第30.5話:閑話 生徒会の二人
【七月二十四日、水曜日、放課後】
自作自演の髪切り事件。
殺意高めのノエル様にハラハラさせられたものの、おおむね作戦通りに行って、まずは一安心です。
エリザベット様に手配していただいた理容師さんに髪も整えて貰って、ミリア様にカバーストーリーの流布もお頼みして、アフターケアもばっちり。
「順調、順調ー」
鼻歌交じりの私は、一人廊下を歩いています。
行き先は教室ではありません。
髪を切って貰ったりするのに時間が掛かってしまいましたから、今日の授業はもう終わっています。
そういえば転生してから授業をサボるのは初めてですねー、なんて他所事を考えながらも、足は自然と目的地に向かっていました。
入学してから何度も、とりわけ放課後には毎日のように通っている場所ですから、ぼんやりしていても道を誤ることはありません。
新しい張り紙はないかと壁の掲示板を物色しながら角を曲がると、黒いプレートに箔押しの金文字が踊る、特別仕様の室名札が目に入りました。
生徒会室。
格式高さを誇示するような高級感で、実はちょっぴり苦手です。
軽い気後れを感じつつ、形式だけのノックをして、返事を待たずにドアを開けます。
「こんにちはー」
「メアリー・メーンか」
『生徒会長』の三角プレートを乗せた机で作業中のロミニド様が顔も上げずにわたしの名前を呼びました。
それ以外に返ってくる声はありません。
「今日はロミニド様だけなのですね?」
「ふん、試験も終わり今学期も残りわずか、特筆すべき業務は差し当たってない。そんな時期にわざわざ生徒会室へ足を運ぶのは、長としての責任がある俺か、あるいは余程の暇人くらいだ」
ロミニド様は手元から目を離さず、鼻を鳴らして言いました。
ややトゲのある言い方ですが、別段機嫌が悪いわけではなく、これが彼の平常運転です。
「あ、ひどいです。私だって、私なりに忙しいんですからね?」
怒っているわけではないのは知っているので、片頬を膨らまして軽く言い返して見せます。
エリザベット様は皮肉をスルーすると良い反応を下さるのですが、ロミニド様はスルーしちゃうとそのまま会話が終了するんですよね……。
「日々が充実しているようで何よりだ。ならば疾く帰るがいい」
「そうおっしゃらず。──それ、お一人で全部片付けるおつもりですか?」
うず高く、というほどではありませんが、ロミニド様の机の上には少なくない量の書類が山を作っていました。それも三山。
「無論。この程度なら俺が直接見た方が早い」
人との関わりを拒絶するかのような頑なさ。ですが、これで引き下がっては主人公の名折れです。
「それでは私たち他の役員の仕事がなくなってしまいます。私にも手伝わせてください」
無理矢理にでも仕事を貰おうと書類の山に手を伸ばすと、
「おい、それなら一番外側の書類を──」
指示のためにロミニド様が漸く顔を上げられました。
今日はじめて、目が合います。
相も変わらず光が──この場合の“光”とは夢や希望の比喩でもありますが──一切ない昏い瞳です……。
吸い込まれそうなほど見入ってしまいます。
しかし……はて、いつもならすぐに目を離されるのですが、一度、二度、とゆっくり瞬きをするほどの時間が経っても、ロミニド様はこちらを見続けています。
「貴様、その髪はどうした」
わたしの髪が、ばっさりと短くなったそれが、気になっていたご様子。
「これですか? 暑くなってきましたのでさっぱりさせてみました。エリザベット様が理容師を紹介してくださったんですよ!」
ショートボブになった茶髪を掌で押し上げながら、にっこり笑います。
それにしても、基本的に他人に興味を示さないロミニド様が自分から容姿の変化について尋ねられるなんて、珍しいことです。
「あ、もしかして、長い方がお好みでしたか?」
「俺の好みと貴様の髪型に何の関係がある。ただ、魔法使いの女であれば髪は長い方が有利であろう、とそう思っただけだ」
「『女の髪には魔力が宿る』というやつですね」
憎い相手の髪を藁人形に仕込むように、好きな人の髪を恋愛成就の御守りにするように、髪の毛には呪いに使える特別な力が宿る、と魔法のない前世の世界でも信じられていました。
そのためでしょうか、魔法の実在するこの世界では髪に魔力を貯めておくことが出来ます。男性にはあまり効果的な方法ではありませんが、女性の魔法使いにとってはいざというときの備えに有効で、実際セレスト様は髪に魔力を通しし非常時に備えるのを日課としていらっしゃいます。
まあ、私は魔力量がすこぶる多いですし一応非戦闘員ですのでそこまでする必要はないんですけどね。このことはロミニド様もご存知のはずですが……。
髪、やっぱり伸ばそうかな?
と、小さな決意を固めたところで、お仕事に取り掛かります。
ロミニド様に言われた通り一番外側にある紙束を持って自分の席へ。
まずはパラパラと中身を見てみます。
「『懇親会企画の依頼』、うわぁ、来校予定者の御身分が恐ろしいほど高位ですね……。クラクラしちゃいます」
「貴様も学園の生徒なら貴族の相手は慣れろ。懇親会の内容は例年同じだ。去年の資料がそこの棚にあるから使い回せ」
「承知しました。こっちは『薔薇園の剪定報告』。秋咲の薔薇も順調に育ってるようですよ!」
「知らん。確認済みの判を捺して……業者を使ったのなら会計にでも回しておけ」
「はい! えっと、こっちは『本棟一階の廊下の損壊報告』……」
あ、ノエル様の三叉槍が開けた穴、直すの忘れていました……。
そっと席を立ち、足を擦るようにして静かに出口に向かいます。
「あのー、ロミニド様? 申し訳ありませんが、私、急用を思い出してしまって……」
「待て」
そのまま自然にするりと出て行こうとしたのですが、ロミニド様に止められてしまいました。
この壁の穴に私が関わってることバレてますかね……。でも髪について知らなかったのですから事件のことはご存知ないはずですが……。
私が判断に迷っている間、ロミニド様は切り取ったメモ用紙に何かを書き連ねていました。
そして、紙を四つ折りにすると、
「わっ」
私に投げ寄越しました。
紙を開くと五名ほど誰かのお名前が。
「これは……」
「貴様の魔法だけでは石材の修復は出来ん。ローラン・シュバリエが捕まればそれでいいが、捕まらぬ場合その生徒たちを当たれ。土属性の中でも石の加工に向く者たちだ」
言うだけ言って、ロミニド様は自分の仕事に戻られました。
「あ、有り難う御座います……!」
一度深く頭を下げて足早に退室します。
ローラン様がいらっしゃりそうな訓練場に向かいながら、手の中にある小さな紙切れをぎゅっと握りしめました。
ロミニド様は迷わず生徒の名前を書き連ねていましたが、前世の学校に比べれば生徒数の少ない学園とはいえ、全生徒の名前や魔力適性を把握するのは一苦労です。人に興味を持って、自分から覚えようと努めなければ出来ないことです。
くすり、と思わず笑みがこぼれました。
人を寄せ付けない癖に、人のことをよく見ている。
他人を邪険に扱いながらも、困っていたら助け舟を出してくれる。
私は、そんな冷たくて暖かいロミニド様のことが大好きなのです。