第38話:最終日~黒白~
メアリーたちが地下から出ていく。
残されるわたしとノエル。二人きり。
前置きが長くなったけど、必要だったから仕方ない。
ノエルに今までの自分を認めさせないと、何を言っても「それは偽りの姿が好きなだけ」と、はねのけられる可能性があったから。
ここからが、わたしの本番。
「ノエル、わたしは貴方のことが好き」
「うん、知ってる」
最初の繰り返し。
でも、ノエルの声色は最初より柔らかくなっている。
今なら、ちゃんと話を聞いてくれるかな。
「ノエル、わたしと初めて会った時のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ。宮廷貴族の子供を集めた交流会でしょ? そこで僕が話しかけたんだよね。『何読んでるの?』って」
そう、彼が話しかけてくれた。わたしの人生が変わった瞬間。とても大事な思い出。
彼も覚えていてくれて嬉しい。
でも、少し残念。
「惜しい」
少し違う。それも、わたしにとって大切なところが。
「ノエルから掛けられた言葉は、そうじゃない」
「あれ、そうだっけ?」
ノエルの視線が左上に向く。過去を思い出そうとしてるときの目の動き。
暫く待ってみる。
答えは出ない。
十年以上前のことだから仕方ないかな、残念。
「『楽しそうだね、その本が好きなの?』ってノエルは言ったんだよ」
ノエル本人が忘れていても、わたしは覚えている。
読んでいた本の題名も、もう忘れてしまったけれど、その言葉だけは忘れない。
「驚いた。それ以上に嬉しかった。両親以外で、わたしの気持ちを分かってくれたのは貴方が初めてだった」
表情を読むことが出来ず、表情を作ることも出来ない。
そんなわたしをみんなはおかしいって言った。『人形みたい』ともよく言われた。
両親は「そんなことない」って言ってくれたけど、親は子供に優しいものだから、それはただの慰めで、わたしはどこか壊れたおかしい人間なんじゃないかって、昔は思ってた。
「初対面の男の子が、わたしの『楽しい』を分かってくれたのは心の底から嬉しかった。救われた、気がした」
「それは……」
ノエルが口を直線に結ぶ。眉は八の字、目は半分ほど閉じて、視線は下。
困っている、あるいは罪悪感、かな。
「僕は……僕だって、君のことは変な子だと思ってたし、面白そうだから話しかけてみたってだけで──」
「それでも、わたしは貴方に救われた」
彼がなんと思おうと、わたしにとっての事実は揺るがない。
だからどうか、そんな辛そうな顔はしないで欲しい。
話を、変えようかな。
「ねえ、ノエル。ノエルの敗因は何だと思う?」
話題の転換に、彼は少しだけ戸惑って、
「……さっきも言ったけど、準備不足」
口を尖らせて言った。まだ悔しいのかな。
わたしは頷きを返して、問う。
「そうだね。じゃあ、わたしはいつから準備してた……ノエルの演技について考えてたと思う?」
「えーっと」とノエルは顎に手を当てて考える。
「六月くらい、かな? 君とメアリーと研究を始めて、一緒にいる時間が増えた」
彼の答えに、わたしはゆっくり首を振る。
「違うよ。全然違う。もっと、もっと、前。十年前から、だよ」
「……おかあさん、か」
察しがいいね。
そう。それが、わたしの人生における二度目のターニングポイント。
「ノエルのおかあさんが眠ったと聞いて、わたしは、今度はわたしがノエルを助けなきゃって、そう思ってたんだよ?」
でも、大変な思い違いだった。
アンファン夫人が時間凍結された翌日。わたしは父に無理を言って彼を訪ねた。
そして、
「いつもと変わらない、元気なノエルに迎えられた。大好きなおかあさんとお話し出来なくなって、抱きしめても、頭を撫でても貰えなくて、いつも通りなんて、そんなはずないのにね」
「……どうだろ。あのときはおかあさんに恥じないためにも頑張ろうって、とにかくそれだけで。必死だったけど、無理をしていたわけでもなかった、と思う」
「それでこうなっちゃったんだから、やっぱり、無理はあったんだよ」
自分たちのいる牢屋を見渡すと、彼は「そうかもね」と頬を掻いた。
「実際、ノエルがどう思ってたのかは、分からないけど、わたしは『きっとノエルは辛いのを我慢して隠しているんだ』と、思った。だから、貴方がわたしの『楽しい』を見つけてくれたみたいに、今度は、わたしが貴方の『辛い』を見つけてあげようって、そう思ったの」
結果は惨敗。
「言ったよね、わたし、『ノエルみたいには成れなかった』って」
「ああ、なるほど……。そっか、あの頃のミリアはそんなこと考えてたんだ」
ノエルの目線が再び左上を向く。過去の想起。
「確かに、前にも増して、ミリアは機会があれば僕の後ろを付いてきてたね。あ、他人とよく話すようになったのも、この時期か」
彼がわたしのことをよく見てくれていたとわかったのが、少し嬉しい。
結局、ノエルをいくら観察しても、彼は変わらず元気で、かしこく、よく笑う少年だった。
それは、良いことなのかもしれないけど、わたしは彼が本当は哀しいんじゃないかって疑ってた。
だから、
「わたしはノエルをもっと知りたいと思った」
彼を助けたいと思ったし、彼のことを理解出来れば“おかしな”自分のことも分かるんじゃないかって、そんな期待もあった。
彼と自分と、つまり、人間について知ることがわたしの密かな研究テーマになっていた。
ノエルを見てるだけじゃ分からなかったわたしは、次にサンプルケースを増やした。
「ノエルみたいには、出来なかった。自分から話しかけるのは難しかった。けど、輪の中に入ろうと頑張ったら、わたしに話しかけてくれる人が増えていった」
これは、今でもちょっと不思議。
口数も少ない、つまらないわたしに、どうしてみんなよく喋ってくれるんだろう。
「それはミリアの人徳だよ。みんなね、心のどこかで自分のことを誰かに知って欲しい、認めて欲しいと思ってる。ミリアの知りたいって真剣な気持ちが周りに届いているから、みんな自然と君に口を開いちゃうんだよ」
ノエルは、眉尻を下げて口角を力みなく上げている。柔らかな笑み。
「だったら、嬉しいな」
うんうんとノエルは笑って太鼓判を押す。
わたしを誉めるときは元気なんだから、やっぱりノエルは優しい。
「だから、ね。今のわたしがあるのは、ノエルのおかげなんだよ」
彼の表情筋が緊張する。眉が歪む。こういうのを『表情が曇る』と言うんだろうね。
「ノエルがどう思ってても、わたしにとって、ノエルは恩人で大好きな人なの。だから、付き合って欲しい」
「……」
彼は一度口を開いて、何かを言いかけた。
その後も、何度か口をもごもごさせたけど、明確な返事はない。
これじゃ、ダメみたい。
なら、もっと直接的に訴えかける。
「じゃあ、わたしと付き合ったときの、ノエルのメリットを説明します」
「え、あ、うん」
伏せがちになっていた彼の目が見開かれる。驚愕。
良い傾向、まずは揺さぶるのが大事。
「第一に、わたしは浮気をしません。十一年、貴方一筋だった実績があります。伴侶として、貴方だけを愛すると愛の神レアノ様に誓います」
「……うん」
ちょっと、大仰だったかな。
でも、好きな子を誘拐までしちゃう独占欲の強いノエルには、合ってるポイントだと思う。
「第二に、わたしは頭が良いです。だから、ノエルの研究も手伝えるし、こうして議論みたいな言い合いも出来ます。一緒になると、きっと、いつも楽しい」
「そうだね。ミリアと話しているのは、楽しい。言い負かされても、楽しかった」
自分で頭良いなんて言うのは恥ずかしいけど、言った甲斐があったかな。
「第三に、ローリー家は政治に強い。父も王への助言や国務会議で存在感を発揮している。次期宰相候補とも。魔法院のアンファン家と相性は良い。宮廷での基盤が盤石に」
「現実的な話だね。まあ、大事だけどさ」
夢がないけど、実利も大事。メリットとして分かりやすいしね。
「後は……」
何があるかな……。
そういえば、ノエル、『年相応の17歳の男らしい感情を押し殺して』とか言ってたなぁ……。
「ノエルが、その……したいなら、17歳男子的な欲望にも、出来る範囲でお答えする所存」
「ごめん、本当ごめん、それは忘れて。勢いで血迷ったこと言った」
そう、と自分の身体を淡く抱えていた両腕を下す。
そして、彼を招くように大きく左右に広げる。
「このように、わたしと恋人になればいいこといっぱい。なんと今なら、返事1つで即ご契約。どう? わたしと付き合って、くれる?」
「……僕は、ついさっきまで他の女の子のことが好きで、監禁までした男だよ」
「何度でも言うよ。ノエルがどう思ってても、ノエルが誰を好きでも、わたしはノエルが好き」
長細い窓から差し込む縞模様の光は、急速にその明るさを失っていく。
日が落ちていく。
急かされているような錯覚を覚えながら、畳みかける。
「心配いらない。これから、一緒に楽しい時間を重ねていこう。そしたらきっと、いつか、メアリーよりもわたしのことが好きだって思う。思わせる」
今日は新月。
月明りすらない真っ暗な夜。
……彼の顔が、よく見えない。
「ちょっ、ミリア、なに、近い……」
下がる彼をベッドまで追い詰め、鼻先が触れそうになるまで近づいて、ようやく彼の表情が見える。
頬を紅潮させて、そっぽを向いてる。ガラスのような綺麗な瞳はこちらを見たり外したり、せわしなく動いている。羞恥、動揺……かわいい。
暫くそのまま見つめていたら、彼は目をつぶってしまった。
再び目を開けたとき、彼の眼はわたしだけを見ていた──ちょっと、評価に願望が混ざっちゃったかな。
「ここまで言われて、逃げるのはダメだよね。ミリア。誰よりも、僕を好きになってくれた人。ノエル・アンファンは喜んで、交際の申し出を受け入れます」
「────」
思わず、わたしは彼に抱き着いて、ベッドに押し倒してしまった。
「うわっ……。もう、ミリアは大人しそうで、結構強引だよね」
「自分でも、驚き」
ノエルの手が背中に回される。かつて人と関わることを諦めていたわたしを導いてくれた小さな手。あのときよりも、堅く筋ばった手。意識すると、背中も胸板も、記憶にある彼より多少はがっしりとしている。
「やっぱり、ノエルも、男なんだね」
「それ、ベッドに押し倒しながら言うと妙な文脈にならない?」
「失言」
そこまでの意図は、流石にまだない。
耳元で、彼の笑い声が小さく聞こえる。からかっただけみたい。
「ま、背は全っ然伸びなかったけど、僕だってそれなりにね。ローランたちには遠く及ばないけど、力だって」
密着した身体から、彼が力を入れるのが伝わった。
わたしを持ち上げて立ち上がるつもりらしい。なので、
「重化」
体重を1.5倍にしてみた。
「ぐふっ、ちょっと! 魔法はずるいって!」
「だめ、もうちょっとこのまま」
お互いの顔しか見えない、真っ暗な世界で、二人きり。
今日は新月。
月のない夜空は、きっと星がよく見えるでしょう。
暗闇にの中にとりとめもなく浮かぶ無数の光は、アイデアと想像力の象徴でもあるって、何かで読んだ。
「こんな重い女だけど、どうか、これからもよろしくね」
わたしたちの未来に、星の祝福があったらいいな。