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01-13-04 楚九 屈原
懷王の臣下に、ひとりの大文人がいた。「屈原」である。彼は懐王の秦入りを強く反対したのだが、最終的には懐王の子のひとり、「子蘭」に押し切られる形での出立を許してしまった。
屈原は懐王の時代に大いに信任されていたのだが、しばしば讒言にあい、その立場を危うくしていった。そのときに自らの立場を嘆いてものした作品が「離騷」、すなわち今日に「楚辞」の一節として伝わる詩である。
頃襄王の治世下にあり、屈原、ついには南の地への流刑が決まってしまう。屈原は世をはかなみ、川に身を投げ、死んだ。
蒙求
屈原澤畔 漁父江濱
楚で重んじられながらも、数々の讒言にあい、ついには世を儚んで自殺した大詩人、屈原。彼が自殺するよりも前、心労で憔悴していたときに漁父と長江のほとりで出会ったのだという。そこで「おれひとりが正しいばかりにひどい目に遭う」と洩らした屈原に「知らんわ。俗塵にまみれてるからじゃ」と漁父はすげなく返した。
いや、そのえげつない返し、嫌いじゃないですけど、もっとこうさぁ……w




