01-13-03 楚九 懐王
その後「共王」「康王」「郟敖」「靈王」「平王」「昭王」「惠王」「簡王」「聲王」「悼王」「肅王」「宣王」「威王」を経て、「懷王」に至る。「秦の惠文王」が斉の攻撃に出たとき、楚に斉と組まれてはことだと、張儀を派遣して懷王を説得させる。同盟をこちらと組んでくれれば、秦の領土を割譲する、と。懐王はそれを信じ、斉に救援を派遣しなかったのだが、結局約束を反故にされる。怒った懐王は秦に攻め込んだが、敗北した。
その後秦の昭襄王が会談を持ちかけてくる。皆が罠だという中懐王は出向き、秦に囚われてしまった。
人々は懐王の息子「頃襄王」を立てた。懐王は秦国内で憂悶のうちに死んだ。
やがて秦により郢が落とされたため、陳に遷都。頃襄王が死に、「考烈王」が立った。更に「壽春」に遷都した。
蒙求
楚昭萍實 束皙竹簡
楚の昭王が長江を渡らんとしたときに長江で真っ赤な果実をひろった。すると孔子が「楚の昭王のもとにもたらされた吉祥です」と語る。陳でこのことが童謡に歌われていた、と言うのだ。ちなみに昭王の時代に呉の闔閭からの攻撃を受けいちど郢を失陥している。「このときの王が昭王だったから、楚は滅びずにすんだ」と孔子は語ったそうである。
束晳は西晋時代の人。戦国魏の王墓から発掘された竹簡を解析したり、嵩山の麓で発見されるも誰も解読できなかった竹簡を読み解いたりしている。
んー、これは楚の昭王と言うより、孔子と束晳がその博識を讃えられている感じですね。




