01-11-02 魏七 田子方・李克
文侯の元に集まった人材を見てみよう。
田子方と文侯の息子、のちの「武侯」魏撃が道ばたで会う。魏撃が恭しく挨拶したところ、田子方はろくろく挨拶しようともせず立ち去ろうとした。魏撃は田子方を呼び止め、「どうしてそう傲慢な態度が取れるのだ」となじる。すると田子方は涼しい顔で「貧乏ものは失う物もない。だからいくらでも傲慢な態度を取れる。だが君子は違うだろう。守らねばならぬ物も多い。なればこそ傲慢ではおれぬ、違うかね?」と言う。確かに! と魏撃は納得した。
また食客の一人「李克」と文侯が話す。
「先生は以前私に、夫は家が貧しくなったときに始めて良妻がいてくれればと、国主は国が乱れたときに始めて良き宰相にいてくれればと願うものだ、とお教えくださいました。では、国が乱れぬうちに良き宰相を迎えるにはどうすれば良いのですか?」
「五つの見方があります。
一つ、その人物が立身していなかった頃、どのような人物と付き合っていたか。
二つ、富貴となった際、何に金を費やし、誰に分け与えたか。
三つ、高官となったときに、どのような人物を任用してきたか。
四つ、ピンチの際にどのような対応をとったか。道義にそぐわぬ振る舞いはなかったか。
五つ、いざ困窮したとき、決して手を出してはならぬ手段に手を染めることはなかったか。
これらをもとに、宰相たるべき人物をご選定なさいませ」
文侯は「魏成」「翟璜」のどちらを宰相にすべきか迷っていたのだが、李克の言葉に基づき、魏成を宰相に任用した。ちなみに魏成は文侯の弟で、子夏や田子方、段干木らを推挙した人物でもあった。
蒙求:
陳逵豪爽 田方簡傲
陳逵は淝水の戦い直前あたりの東晋の官吏。言論に長ける人物であり、ある集会でみながどうにか陳逵を論破して手ぐすね引いていたところ、そういった人々をシカトして、昔孫策が大活躍した古戦場を見ながら「あの孫策も志を得られなかったのだよな」と詠嘆したという。いやシカトすんなし。
田子方は魏の武侯に挨拶されるもまるで取り合おうともしなかった。その理由は上記の通り。
お前らの都合にこっちを巻き込むんじゃねえ、知ったことかよ、と突っぱねるふたり。いや陳逵さんはもうちょっと周りを構ってやってもいいんじゃないかな……?
董宣彊項 翟璜直言
董宣は後漢光武帝の臣下のひとり。光武帝の娘の召使いが殺人を犯したところ、娘は召使いを匿い、追及を逃れようとした。董宣、構わず摘発の上、殺した。すぐさま光武帝のもとに引っ立てられるたのだが、むしろ柱で額をかち割り、盛大に流血しながら「死ぬなら死ぬで構いませんが、善良な人を殺害した罪をきっちり裁かないってんなら、陛下、誰があんたの言葉を正しいと思うんです?」と直言。これには参ったと光武帝も苦笑し、董宣の振る舞いを認めるしかなくなった。
そしてここに名が挙がる翟璜も直言の人であった。文侯が中山を滅ぼしたところ、本来そこは弟に封爵地として与えるべきであったにもかかわらず、自らの子に与えてしまう。これを翟璜に「仁ならざる振る舞いである」と直言を受け、激怒。しかし直後「任座」が「仁君のもとには直言の士がいる者だ、ならば文侯は仁君と言えよう」と言う。これに文侯も唸り、翟璜の言を受け入れ、褒美を与えた。
主より不興をも恐れず直言をなし、主君を正しい方向に導こうとしたふたり。




