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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-11 戦国魏

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01-11-01 魏六 桓子・文侯

 魏《ぎ》の祖先は、元々は姫《き》氏である。周《しゅう》の武王《ぶおう》の弟、「畢《ひつ》」に封爵を受けた姫高《きこう》の子孫であったが、その家門はしばし絶えていた。やがて晋《しん》に子孫の「畢万《ひつまん》」が仕え、魏に封じられたため、以後魏を姓とした。以降で名がよく知られる魏氏は「魏絳《ぎこう》」、そしてその四世代下の「桓子《かんし》」である。彼の代に韓《かん》氏や趙《ちょう》氏とともに知《ち》氏を滅ぼし、その封地を分かち合った。


 桓子の孫、「文侯《ぶんこう》」魏斯《ぎし》の時に周の威烈王《いれつおう》より諸侯としての認定を受ける。文侯は孔子《こうし》の弟子である「子夏《しか》(卜商《ぼくしょう》)」や隠者の「田子方《でんしほう》」らを師と仰いだ。中でも深く敬った相手が「段干木《だんかんぼく》」。彼の住まう村を通りがかるとき、車を止め、深々と礼をした。こうした賢人への恭しい態度から、文侯の元には多くの人材が集まった。



蒙求《もうぎゅう》:

干木富義《かんぼくふぎ》 於陵辭聘《おりょうじへい》

 段干木は魏の文侯より尊敬こそ受けていたものの、魏よりの俸禄は固辞し、慎ましい生活を送っていた。文侯は「段干木は道義豊かな方である。自分は財貨こそ豊かではあるが、では道義と財貨が豊かであること、どちらが優れたことであろうか?」と語っている。

 於陵に住む「陳仲子《ちんちゅうし》」子終《ししゅう》は賢人であり、楚《そ》王よりの招聘を受けるほどだった。しかしその妻が言う。「こうして細々と暮らしていることで十分だというのに、どうしてあえて楚国の憂いを負おうとなさるのですか?」その言葉を聞き、子終は楚よりの招聘を断ったという。

 国主よりの尊敬を受けながらも、慎ましきを貫いた賢人ふたり。

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