01-10-06 趙九 蘇秦・張儀
いわゆる合従の立役者、蘇秦についてだ。ここでは合従連衡としてワンセットになる「張儀」も先んじて紹介しておこう。ふたりはともに「鬼谷先生」に師事を受けた弁舌家である。
蘇秦は各国を回り登用して貰おうと働きかけたがことごとく失敗、故郷に戻ってくると妻にも兄嫁にもまともに出迎えられなかった。それで奮起して合従策を編み上げ、燕の文公をはじめとした諸侯に働きかけたのである。
ろくに士官もできなかったはずの蘇秦が、突然六国の同盟を束ねる立場になって帰ってくる。冷たくあしらった家族たちとしては立つ瀬がない。うつむき、まともに蘇秦を見ることもできない。それを見て蘇秦は嘆息する。
「それもこれもひとりの蘇秦だと言うのにな。ああ、おれが故郷でちょっとでも田んぼを持っていたら、こんな立場になぞなれなかったろう」
そう言うと、手持ちの財貨を友人や家族にばらまいて立ち去った。合従解消後は燕を経て斉に移るも、そこで殺された。
対する張儀である。彼ははじめ楚で登用して貰おうと働きかけたが、楚の大臣に馬鹿にされた。妻がそれに怒るのだが、張儀は言う。
「見ろ、おれの舌はなくなっておらん」
合従がなった頃、蘇秦はわざと張儀を怒らせ、秦に赴かせた。とは言え蘇秦は陰から張儀を支援しており、それを知った張儀は「合従が上手くいっている間は何も言わぬ」と語った。
いざ合従が崩壊すると、張儀は秦王の元に出向いて連衡策、つまり秦と六国各国とで個別に同盟を結び、各国の紐帯を切り崩す策に出る。
またあるとき秦より兵を預かって魏の領土を強奪。その上で魏に乗り込んで和解交渉を行い、更に一部の領土を秦に割譲させた。これらの功績から秦の宰相にまで至るのだが、秦の昭襄王には猜疑され、魏に出奔。魏で宰相となったが、一年後に死んだ。




