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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-10 趙

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01-10-05 趙九 粛侯・武霊王

 襄子《じょうし》は兄の孫、「献子《けんし》」趙浣《ちょうかん》を後継者とした。その子が「烈侯《れつこう》」趙籍《ちょうせき》で、周《しゅう》の威烈王《いれつおう》より正式な諸侯認定を受ける。つまり、ここからが戦国趙である。


 以降「武侯《ぶこう》」「敬侯《けいこう》」「成侯《せいこう》」を経て「肅侯《しゅくこう》」に至ったとき、秦《しん》がぐいぐいと迫ってきた。このとき趙にやって来たのが「蘇秦《そしん》」である。「秦の恵王《けいおう》」に天下の戦略を論じたが用いられなかったため、「燕《えん》の文侯《ぶんこう》」のもとに出向いて趙への協力を取り付け、やって来たのだ。蘇秦は言う。


「鶏のくちばしであるほうが、牛の尻であるよりもマシというものでしょう。いま諸侯の兵力をあわせれば、秦に十倍します。ここはいちど六国が力を合わせ、秦を撃退すべきです」


 その弁舌は確かなもので、肅侯もまた蘇秦に乗り、また遊説のための費用を負担。六国もみなひとたびはこの話に乗り、立役者となった蘇秦にも武安という地の封爵が与えられた。

 ただし、それを黙って見過ごす秦でもない。「犀首《さいしゅ》」を遣わせて趙を欺き、同盟の破棄したくなるようそそのかす。結果趙は斉《せい》および魏《ぎ》からの攻撃を受け、同盟は解除された。蘇秦は趙より逃げ出した。


 肅侯の子が「武霊王《ぶれいおう》」だ。いわゆる胡服騎射を採用、「中山《ちゅうざん》国」を滅ぼす。のちに秦を攻撃したが、こちらは失敗した。その後武霊王は「恵文王《けいぶんおう》」に譲位した。史記によると自由の身となった武霊王は各国を偵察して回ったとある。

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