01-10-03 趙六 先祖 襄子
簡子が死に、襄子が立つ。この頃「知の襄伯」智瑶が韓氏、魏氏、趙氏に領土の割譲を迫ってきた。「魏の桓子」魏駒と「韓の康子」韓虎は割譲に応じるも、襄子は拒否。このため知伯が韓魏を率いて攻めてきた。
襄子は晋陽に立て籠もり、三氏を迎え撃つ。対する三氏は晋陽を水攻めにした。
水は晋陽城の天井までわずか 1.5m の所にまで迫り、沈んだかまどに蛙が住み着くほどの事態になったが、晋陽の民が叛意を抱くことはない。一方で襄子は裏で魏桓子と韓康氏に手を回し、三者合同で知伯を攻め、討ち果たす。知伯の旧領は趙・魏・韓で分配とした。
襄子は知伯の頭蓋骨を漆で塗り固め、酒の杯あるいは尿瓶とした。この報復行為に怒りを覚えた者がいる。知伯の配下の「豫讓」という。
彼は復讐を志すも失敗、襄公の前に引っ立てられる。その振る舞いを義とした襄公はいちど彼を釈放した。
とは言え、それで諦める豫讓ではない。彼は浮浪者に身をやつし、襄公が使う橋のたもとに隠れ、チャンスをうかがう。
すると橋の手前で襄公の車を引く馬がいななき、立ち止まった。襄公があたりを捜索させ、豫讓を発見。いくら義士でも、二度目に恩情を掛けるわけにはゆかない。こうして豫讓は殺された。




