01-09-03 斉八 孫臏・龐涓
威王の時代、魏が韓に攻撃を仕掛けていた。韓は斉に救援を依頼。そこで「田忌」に軍を預け、救援に向かわせた。
対する魏将は「龐涓」。かつて「孫臏」と机を並べて兵法を学んだ仲だ。龐涓は自らの兵法が孫臏に及ばないからと、罪を着せて孫臏の両足の腱を切り(ちなみにこれを臏刑と言う。つまり孫臏とは臏刑に遭った孫氏、と言う意味)、顔に入れ墨を入れた。斉の使いは魏で孫臏に出会うと、密かに斉に連れ帰る。そして孫臏を軍師とした。
孫臏は韓の救援そのものには出向かず、あえて魏の都に攻め寄せた。韓を攻めていた龐涓は慌てて斉の迎撃に戻らざるをえなくなってしまう。対する孫臏、撤退をしながら野営地にはじめ十の窯を残しておいたとしたら、翌日には五の窯を、その翌日には二の窯を残し、斉軍の離脱兵が多くなっているよう見せかけた。はたして龐涓は斉軍の士気が衰えているものと判断、強行軍で兵を進め、うかつに「馬陵」にある、伏兵を配しやすい地に踏み込んでしまう。
その地にある木に刻まれていたのが、有名な言葉「龐涓、この樹の下に死す」である。隘路に追い込まれていた疲労困憊の魏軍は、周囲より一斉攻撃を受けて壊滅。龐涓は「あのガキの名を上げさせてしまったか」と言い残して自殺。また軍を率いていた魏の太子「魏申」も捕虜となった。




