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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-09 田斉

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01-08-04 田斉 先祖

 田《でん》氏の斉《せい》を語るにあたり、姜斉《きょうせい》と田氏との繋がりを書いておこう。


 陳のところで書いた通り、陳の公子陳完(ちんかん)が斉に亡命した。元々は陳《ちん》の一門だから、姓は嬀《き》だ。ただし陳から斉に亡命したところではじめ陳氏を名乗り、のちに更に田氏に改めた。ちなみに「姓」が一門の大グループ、「氏」が姓の中の一グループ、と考えてくれればいい。


 陳完が仕えたのは斉の桓公《かんこう》。その五世代のちの人物が「釐子《りし》」田乞《でんきつ》。景公《けいこう》に仕え、租税の徴収にあたった。彼は民から年貢を納めさせるにあたっては通常よりも少なめに徴収し、種籾を貸し出すときには通常よりも多めに貸し与えた。こうして人心を買ったのだが、景公はこの振る舞いを食い止めることができなかった。晏子《あんし》が田氏に乗っ取られると危惧したのは、まさにこのことだ。


 釐子はそこから斉の中枢に食い込み、政を恣として、死亡。子の「成子《せいし》」田恒《でんこう》も同じく斉の政治を乗っ取り、「簡公《かんこう》」を殺し「平公《へいこう》」を立てた。すでにこの頃、田氏の封爵地は斉公の封爵地よりも大きくなっていた。


 成子が死ぬと「襄子《じょうし》」田盤《でんばん》が立ち、韓《かん》・趙《ちょう》・魏《ぎ》とよしみを通じた。この三氏が晋《しん》を、そして田氏が斉を乗っ取ろうとしているわけで、目的が一致していたのである。


 その後「荘子《そうし》」田白《でんはく》を経て「太公《たいこう》」田和《でんか》が、遂に斉公に任じられたわけだ。

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