01-08-04 田斉 先祖
田氏の斉を語るにあたり、姜斉と田氏との繋がりを書いておこう。
陳のところで書いた通り、陳の公子陳完が斉に亡命した。元々は陳の一門だから、姓は嬀だ。ただし陳から斉に亡命したところではじめ陳氏を名乗り、のちに更に田氏に改めた。ちなみに「姓」が一門の大グループ、「氏」が姓の中の一グループ、と考えてくれればいい。
陳完が仕えたのは斉の桓公。その五世代のちの人物が「釐子」田乞。景公に仕え、租税の徴収にあたった。彼は民から年貢を納めさせるにあたっては通常よりも少なめに徴収し、種籾を貸し出すときには通常よりも多めに貸し与えた。こうして人心を買ったのだが、景公はこの振る舞いを食い止めることができなかった。晏子が田氏に乗っ取られると危惧したのは、まさにこのことだ。
釐子はそこから斉の中枢に食い込み、政を恣として、死亡。子の「成子」田恒も同じく斉の政治を乗っ取り、「簡公」を殺し「平公」を立てた。すでにこの頃、田氏の封爵地は斉公の封爵地よりも大きくなっていた。
成子が死ぬと「襄子」田盤が立ち、韓・趙・魏とよしみを通じた。この三氏が晋を、そして田氏が斉を乗っ取ろうとしているわけで、目的が一致していたのである。
その後「荘子」田白を経て「太公」田和が、遂に斉公に任じられたわけだ。




