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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-06 魯(孔子老子)・衛・鄭・陳

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01-06-08 鄭二・陳五

「鄭《てい》」。

 姫《き》姓。周《しゅう》の宣王《せんおう》の弟である「桓公《かんこう》」姫友《きゆう》が封じられた。「武公《ぶこう》」「莊公《そうこう》」が継ぎ、みな周で司徒の地位に就いた。前 501 年に「聲公《せいこう》」が公位についたとき「子產《しさん》」(本名は國僑《こくきょう》)が宰相として施政を助けた。孔子《こうし》が鄭を通過したとき、子產と兄弟のごとく接した。前 605 年の「襄公《じょうこう》」の就任以来、鄭は毎年晉(しん)や楚《そ》からの攻撃を被っていた。子產の時代にはそれをはねのけるだけの外交ができていたものの、結局戦国時代に入った前 305 年の「康公《こうこう》」の時代、「韓《かん》の哀侯《あいこう》」によって滅ぼされた。韓は鄭の地に都を移した。


「陳《ちん》」。

 嬀《き》姓。舜《しゅん》の子孫「胡公《ここう》」嬀満《きまん》が封じられた地だ。武王《ぶおう》によってこの地に封じるよう求められた。前 672 年に「利公《りこう》」の息子嬀完(ぎかん)、改姓して「陳完《ちんかん》」が斉《せい》に亡命した。彼の子孫は「田《でん》氏」となり、後に斉を簒奪することとなる。

 陳は前 478 年に「楚《そ》の惠王《けいおう》」によって滅ぼされた。

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