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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-05 春秋呉・蔡・曹・宋

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01-05-01 呉五 季札・闔閭

」。


 文王ぶんおうの伯父、太伯たいはく仲雍ちゅうようが封じられた地だ。二人から十九代下り「壽夢じゅぼう」の代に初めて王を名乗る。壽夢には四人の子がいたが上の子が王になっては死にを繰り返し、末っ子の「季札きさつ」の番になった。

 季札は賢人であり、元々壽夢は季札にあとを継がせるつもりであった。しかし季札は義に添わぬ事と断固として拒否、延陵えんりょうに逃れた。

 季札は各地へ使者として出向いたのだが、その途上にさしかかった「じょ」の君主が内心で季札の腰に提げていた宝剣を欲していた。それに気付かぬふりをして各地を巡った季札、帰途にて再度徐に立ち寄る。するとその君主が死んでいたため、墓に例の宝剣を捧げ、帰還した。


挿絵(By みてみん)


 結局王位は次男の子を経て、長男の子「闔廬こうりょ」に。「伍子胥ごししょ」と共に国事を運営する。彼は西の隣国である出身で、父が殺されたため呉に亡命してきたのだ。

 闔廬と伍子胥は、その卓越した指揮力でもって楚の都を陥落させる。しかし呉の南からえつが攻めてきたので撤退、追い払う。後年、その越を討とうとしたら、よりによって闔廬が戦死。子の「夫差ふさ」が立った。



蒙求もうぎゅう

季札挂劒きさつかいけん 徐穉致芻じょちちすう

 季札のエピソードはここに見える通り。おそらく蒙求に採用されているから十八史略にも入れたのでしょう。でなきゃちょっとここだけやけに詳細でいびつ。

 徐穉は後漢の人。聡明ではあったが、隠遁指向。ただお世話になった人が亡くなったときには、名を明かすこともなく、大いに哀悼の意を示し、去ったという。

 二人とも栄達を避けつつ、しかし死者に対する礼節を尽くした、という感じでペアにされているようだ。

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