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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
02-07 前漢の黄昏

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02-07-06 漢五 哀帝劉欣

 哀帝《あいてい》、名は劉欣《りゅうきん》。「劉康《りゅうこう》」の子、元帝《げんてい》の孫だ。祖母は「傅氏《ふし》」、母は「丁氏《ていし》」。成帝《せいてい》に子が無かったため、甥の劉欣が皇太子に立てられ、即位した。丁氏と傅氏とで結託し、王莽《おうもう》をいったんは罷免、自宅に押し込めることに成功した。


 前 6 年、哀帝が病がちであったため、「夏賀良《かがりょう》」の「漢がいま衰微しつつあるのならば、改めて天命を授かり、すみやかに元号、帝号を改めるべきであります」という建言を採用、太初《たいしょ》と改元し、陳聖《ちんせい》劉《ルりゅう》太平《たいへい》皇帝と帝号を改めた。しかしなんの効果もなかったため元に戻され、夏賀良らは処刑された。


 哀帝は「董賢《とうけん》」を寵愛していた。前 2 年に董賢を大司馬としたが翌年に哀帝が死亡。董賢も自殺した。


 哀帝の在位は七年。改元は二回、建平《けんぺい》と、元寿《げんじゅ》である。哀帝の死後間もなく太皇太后の王氏《おうし》は王莽を大司馬領尚書事とした上で、中山《ちゅうざん》王の「劉衎《りゅうかん》」を招いて即位させた。平帝《へいてい》である。

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