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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-02 夏・殷

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01-02-06 殷 紂王

 殷《いん》最後の王、紂《ちゅう》。

 名は帝辛《ていしん》。弁舌に長け機敏、素手で猛獣と戦い、為される諫言はすべて論破してしまう。そしてよからぬ事も美しく言い飾る。諸侯である「有蘇氏《ゆうそし》」を征伐した際に「妲己《だっき》」と言う女性を獲得し、ベロベロに寵愛する。妲己の言うことならば何でも聞く、と言う勢いである。

 宮廷の財産や庶民の財産も巻き上げて酒池肉林の贅沢三昧。人々どころか諸侯までもが紂を恨みはじめたが、紂はそれを「炮烙《ほうらく》の刑」で抑え込む。銅の柱に油を塗り、炭火の上に渡して、渡り切れたら無罪というものだ。大体の者は足を滑らせて炭火の中に落ちる。妲己はそれを見て大喜び。


 淫乱暴虐の日々を紂の庶兄である「微子《びし》」が諫めたが聞き入れられず、微子は国を去った。叔父の「比干《ひかん》」も三日がかりで諫めたが、紂は怒り「聖人は七つの心臓があるそうだな!」と言って比干を殺害、その心臓を取り出した。たまらず殷の高官たちは楽器や祭具といった儀式のための道具を持ち出し、西の大国である周《しゅう》に亡命した。

「周侯昌《しゅうこうしょう》」、すなわち後の周文王と「九侯《きゅうこう》」「鄂侯《がくこう》」は紂の三公に任ぜられていた。しかし九侯と鄂侯が紂に逆らって殺され、干し肉にされてしまう。周侯昌は密かに嘆息したが、それも紂王の耳に届き、捕らえられてしまう。その後周侯昌の臣下「散宜生《さんぎせい》」が美女宝物を献上したため、釈放された。


 釈放された周侯昌は周に戻って国力を高め、諸侯と連合。その準備を進めるさなかに死亡した。子の「發《はつ》」があとを継ぎ、遂に殷討伐の軍を立ち上げる。「牧野《ぼくや》」における戦いで、殷は大敗。紂は衣や宝玉を燃やし、その火で自らも死んだ。三十一代、六百二十九年の天下であった。



蒙求《もうぎゅう》:


「南風擲孕《なんふうてきよう》 商受斮涉《しょうじゅさくしょう》」

 南風は晋《しん》の恵帝《けいてい》の皇后「賈南風《かなんふう》」を指す。孕《はら》んだ別の妃の腹をかっさばいて赤子を擲《なげすて》たというトンデモな逸話が残るお方。一方、受は古い発音だと紂に繋がったのだそうだ。そして悪事をやめるよう交渉(・)してきた者を斮《き》り殺した。

 無道の限りを尽くし、結果ともに亡国を招いた、と言うことでセットにされている。


「惡來多力《あくらいたりょく》 飛廉善走《ひれんぜんそう》」

 惡來・飛廉はともに紂王の配下として働いた人物。史記には載っている。怪力の配下と素早い配下とか、なんてコテコテな悪役たちなんだ……。

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