↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
02-04 文景の治・呉楚七国の乱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
152/600

02-04-04 漢二 景帝劉啓

 景帝《けいてい》、劉啓《りゅうけい》。即位した年、丞相の「申屠嘉《しんとか》」が言う。

「高帝《こうてい》ほど功績の偉大な方はおりません、太祖《たいそ》の廟といたしましょう。文帝《ぶんてい》ほど徳高きお方はおりません、太宗《たいそう》の廟と呼びましょう」

 景帝もこれを許可した。


 景帝が太子の時、寵愛されていた人物に「鼂錯《ちょうそ》」がいた。景帝が即位してからも引き続き寵愛され、九卿の中でも最も重く扱われ、鼂錯によって定められ、改定された法も多くにのぼった。


 文帝の時代、劉濞《りゅうび》の嫡男が文帝に謁見した。ここで当時の皇太子、すなわち後の景帝も交えての酒宴となり、囲碁を打った。そこで不敬があったため、景帝は碁盤を彼に投げつけ、殺してしまった。それ以降劉濞は仮病を使って参内しなくなった。

 それを鼂錯が「罰として風土を削るべきです」と言っていた。結局文帝はそれを実現しなかったわけだが、景帝が即位するにあたり、改めて鼂錯が言う。

「劉濞殿は天下のあぶれものを集めて謀反を画策しております。封地を削ろうが削るまいが結局は反乱しましょうが、削ってしまえば準備の整わぬうちに決起をさせることができます。決起が遅れれば、その分被害は増しましょう」

 そこで景帝は意見を高官らにも求めたが、これに口出しをできる者は誰もいなかった。

 さらに鼂錯は言う。

「楚《そ》王も趙《ちょう》王も罪があります」

 そこでそれぞれ一郡を削られた。

「膠西《びゅうせい》王も良からぬことを考えています」

 そこで六郡が削られた。

 さらに劉濞の元に會稽《かいけい》と豫章《よしょう》とを削減する旨を伝える使者が到着。ここに至り、ついに劉濞は乱を起こした。膠西・膠東《びゅうとう》・菑川《しせん》・済南《さいなん》・楚・趙の六国は既に劉濞と密約を交わしていたため決起した。斉《けっき》もまた密約を交わしていたのだが、決起にいたって後悔した。

 鼂錯と不和であった袁盎《えんおう》が景帝に讒言する。

「鼂錯を斬り、諸侯のもと持っていた封地を復帰させれば、兵が刃を血に濡らすことなく乱は収束いたしましょう」

 そこで鼂錯は族滅を受けた。ただ乱は収まらなかったため、周亜夫《しゅうあふ》が吳楚の軍を大破し、乱を収束させた。


 景帝は在位十七年で死亡した。太子の劉徹《りゅうてつ》が皇帝として立った。のちの「武帝」である。



蒙求《もうぎゅう》:


孔翊絕書《こうよくぜつしょ》 申嘉私謁《しんかしえつ》

 孔翊《こうよく》は洛陽《らくよう》の長官として勤務したとき、庭に池をしつらえた。孔翊の元に自己アピールであるとか推薦文が届いたとき、すべて内容を見ずに池に投げ捨てたという。

 申屠嘉は劉邦に仕えた武人で、文帝の時に丞相にまで至った。しかし私的な訪問は一切受けなかったという。

 公正な人事を図るために徹底した態度を取るふたり。


鼂錯峭直《ちょうさくしょうちょく》 趙禹廉倨《ちょううれんきょ》

 漢の景帝《けいてい》に仕える鼂錯は実直有能であったが、融通が利かず、また酷薄な判断をしばしば下した。この性分が景帝の時代の宗族反乱・呉楚《ごそ》七国の乱を招いたとされ、腰斬された。

 趙禹は漢の武帝《ぶてい》に仕え、官吏どうしの相互監視体制を確立させた。清廉潔白な仕事ぶりではあったが傲慢な人となりであり、親しい者はほぼおらず、ただ己の職務を全うし、死んだ。

 人当たりのヤバい二人の明暗。


袁盎却座《えんおうきゃくざ》 衛瓘撫牀《えいかんぶしょう》

 漢《かん》の文帝《ぶんてい》に仕えた袁盎《えんおう》は、文帝が側妾の慎《しん》夫人と同じ位置の席について宴に興じているのを見て、慎夫人の席を一段低いところに引き下ろす。文帝と夫人が怒ると、「皇后陛下であればともかく、慎氏は側妾のお一人でございます。その線引きはしっかりとなさいませ」と諫めた。ちなみに諫めすぎて煙たがられた。

 西晋《せいしん》の武帝《ぶてい》に仕えた衛瓘は、後継者の司馬衷《しばちゅう》(のちの恵帝《けいてい》)が暗愚であることを憂慮していた。そこで皇帝しか座れない席にすがりつき、「ああ、この座が惜しゅうございます」と口にした。なお衛瓘は武帝の時代には咎められなかったが、恵帝の時代、皇后賈南風(かなんふう)の策略により殺されている。

 皇帝のために設けられる席にまつわる諫言を為した二人。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。