02-01-04 秦一 始皇帝 上
天下統一は前 221 年、始皇帝の治世 26 年目のことである。
始皇帝はは各地より兵器を集め、鋳つぶして鐘や太鼓の台、銅像などに変えた。また全国の富豪十二万戸をみな咸陽に移住させた。
丞相の「王綰」らは燕や斉、楚といった地が遠いことを理由に、各地に始皇帝の子らを王を派遣するよう進言。すると李斯が答える。
「それを周の武王がやったが、結局お互いを仇敵のごとく憎み合い、殺し合ったではないか。今は陛下のご神威によって保たれている。ならばお子らも功臣らも、みな等しく賦税の分配によって報賞すれば良く、また制御もしやすい。こうすれば天下も治まるのである」
始皇帝も、天下が治まったのに国を建てれば、結局争いごとが勃発するだけだ、と言い、李斯の建言を承認。国内を三十六の郡に分け、守、尉、監の役人を置いた。
前 218 年、始皇帝は東方を巡幸するにあたり泰山に登り、封禅の儀式を執り行う。これは「天下が安寧のもとに治まった」と天に報告する儀式、すなわち天下の主であることの宣言である。天への報告を封といい、地への報告を禅という。
また海に船を浮かべて遊覧。このとき居合わせた「徐市」らが始皇帝に言う。
「幼子らと共に海を旅し、蓬萊、方丈、瀛洲の三神山に詣でることをお許しください。そこには不老不死の霊薬があると聞いております。見つけ出し、陛下に献上したいのです」
始皇帝、この申し出を承認。彼らを旅立たせた。
その後始皇帝は長江を渡り、湘山に向かおうとしたが、風に邪魔され、進めない。居合わせた博士に湘山の神が何者かを問うと、堯の娘にして舜の妻だと答える。始皇帝は怒り、湘山の木をすべて切り倒させ、赤土をむき出しとさせた。




