01-16-11 蒙求 下3
西門投巫 何謙焚祠
西門豹(史記)&何謙(晋)
戦国魏、文侯の時代。鄴に西門豹が就任した。この頃鄴では川にいけにえを捧げる儀式が無駄に豪勢になっており、それで費用がかさんで人々が苦しんでいた。なので西門豹、ひとまず祭祀の開催を待ち、「やっぱり神に捧げるのは位の高い者じゃないとね!」と、いけにえでなく、祭祀を執り行う巫女やら神官やらを手当たり次第川に投げ込んだ。その後周辺の水利を整えたという。
何謙は淝水の戦いで苻堅を破った名将、謝玄の配下。遠征先で社があったりして、兵士らがたたりを恐れるのを見るたびに、その社を焼き払ってしまったという。
迷信をものともしない名行政官と名将。
雍伯種玉 黃尋飛錢
雍伯(捜神記)&黃尋(幽冥録)
雍伯は父母を無終山に葬ると、そのままその地に住んだ。その地は慢性的な水不足に悩まされており、雍伯は彼らのために無料の水を確保してやった。するとそこにひとりの男がやって来、石でできた種を示す。「これを植えれば財宝がなる。きっと妻にも恵まれる」。本当に財宝がなった。またその財宝を近所の富豪にみせたところ、娘をもらった。
黃尋は貧乏人だった。あるとき大風が起きて、銭がわさわさと飛んできた。こうして銭を獲得した黃尋は大金持ちになった。
謎の霊異により金持ちになったふたり。
史魚黜殯 子囊城郢
史魚(孔子家語)&子囊(左伝)
史魚は衛の霊公の時代の人、つまり孔子の同時代人。霊公が佞臣を重んじ賢臣を遠ざけていたのをしばしば諫めたが聞き入れてもらえず、その死に際して「私は君主を正すことができなかった、ならば葬礼を受けるには値しない」と薄葬を命じた。それを見た霊公が己の過ちを悟り、ついに佞臣を遠ざけたという。
子囊は楚の士大夫。死の床にあり、遺言は「都、郢の防備をしっかりと固めるように」であった。
死の床にあっても国の繁栄を願い続けた忠臣ふたり。
孔翊絕書 申嘉私謁
孔翊(先賢伝)&申屠嘉(前漢)
孔翊は洛陽の長官として勤務したとき、庭に池をしつらえた。孔翊の元に自己アピールであるとか推薦文が届いたとき、すべて内容を見ずに池に投げ捨てたという。
申屠嘉は劉邦に仕えた武人で、文帝の時に丞相にまで至った。しかし私的な訪問は一切受けなかったという。
公正な人事を図るために徹底した態度を取るふたり。
蕭史鳳臺 宋宗雞窗
蕭史(列仙伝)&宋処宗(幽冥録)
蕭史は秦の穆公の時代の人。蕭、要は笛の名手であり、その音を聞くために鳳凰すら降り立ってきたという。
宋処宗が一羽の鶏を飼った。その鶏はとにかく鳴き声が長い。宋処宗がその鶏を溺愛したところ、なんとその鶏が人語を口にし始めるではないか。しかもその内容は極めて機知に富んでおり、鶏の言うことに従ったところ、宋処宗は栄達したという。
霊験あらたかな鳥に関与したふたり。




