18 翼を持つ者3
あれから三日後、身体がすっかり動くようになった私は、陛下や世話をしてくれていた女官達の目をかすめて外へ出た。
そして、その足で風の丘へと向かう。
ずっと考えていた。
どうして私はこの世界で生まれたんだろう。
どうしてあっちの世界へ送られたんだろう。
この翼は何を意味しているんだろう。
私の存在の意味はなんだろう。
考えても考えても、答えは出ない。
向こうの世界で私はごくごく普通の高校生だった。
以前陛下が言った通り、取り立てて特徴もない、平凡そのものの女の子だった。
でもこの世界に来てしまった。
風の乙女、特別な存在として。
私に何が出来るだろう。
私は何をするべきなのだろう。
そう考えたら、答えは一つだった。
丘の上を見上げる。
結界はあの日のまま、硬いガラスのように立ちはだかっている。
リューンはいない。
私一人だけ。
無謀と言うなら言えばいい。
それでも私は向き合わなくてはならない。
私が一歩を踏み出そうとした時、
「そうはいかん」
突然背後から声が聞こえた。
振り向くと、そこには怖い顔のレンディルム陛下が立っている。
いつの間に?
「お前のことだから、そろそろ抜け出してくるだろうとは思っていたが、案の定だな」
ゆっくりと私の方へ歩いてくる。
「駄目だと言っただろう。さあ、帰るんだ」
私に向かって手を出す。
でも私は動かなかった。
「ふふふふふっ」
私の笑いに眉をひそめる。
「なんだ?」
「私もね、どうせ見つかるだろうと思って、準備していたの」
「なに?」
私は大きく声を張り上げた。
「オーティス、メイル、ゼーロ!陛下を押さえていて!」
「はいっ!」
丘の下で隠れていた三人が、バラバラと駆け寄ってくる。
へっへっへ、ここにくる途中で兵舎に寄って頼んだのだ。
この三人、実は私の水浴びをのぞこうとした人達。
弱みを握られてる、ていうのもあるかもしれないけれど、陛下のためって強調すると快く引き受けてくれた。
「お前達!」
三人は驚く陛下を取り囲み、羽交い締めにする。
「しっかり捕まえていて!」
ウインク一つ送って、私は丘を駆け上がった。
「待てっ!やめろ!」
背中から陛下の怒鳴り声が聞こえる。
それを無視して、私は結界の前に立った。
透明な恐ろしい壁。
「やめろ!もう、それに触れるな!」
「陛下、お鎮まりください」
揉み合う声がする。
ごめんね、陛下。
でも、私はやらなきゃならないの。
ゆっくり手を近づける。
バチバチバチッ
激しい火花が飛び散った。
両手に巻いた包帯が、みるみる黒く焦げ、ぼろぼろになって落ちていく。
熱い。
灼熱の蛇が絡みつくようだ。
「ルーラ!」
陛下が私を呼ぶ。
「陛下、危険です。ここはルーラ様を信じて………」
「離せ!俺の命令が聞けないのか!」
「お許しを!」
「陛下の身の安全が第一です」
さしもの陛下も三人がかりじゃ動けないはず。
「くっ!」
悲鳴をあげないように歯を食いしばる。
気の遠くなるような鋭い痛みが全身をさいなむ。
だけど、気絶なんかするものか。
初めは鏡のように見えた結界も、触れて探ると編み上げられた毛糸のように幾本もの糸で出来ている。
その糸の間に指を突っ込んで、こじ開けようと力を込める。
固い。それに奥ほど衝撃は強い。
砕けそうになる意志をぐっとこらえる。
竜よ!私に翼を与えた守護者!手伝って!
私は負けない!
絶対に、絶対にーーーー開く!
その瞬間、急に私の中の血が沸きたったような感覚に襲われた。
バァン
爆竹が爆ぜるように、何かが頭の中で弾ける。
同時に私の指先を光が貫いた。
青い閃光!
一点の光源から鋭い光線が幾筋も伸びる。
それは次の瞬間柔らかくしなり、リボンのように私を包んだ。
一瞬、陛下の私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
けれどすぐに光に飲み込まれた。
急速に落下するような感覚。
そこのない谷に落ちたように、どこまでも落下し続ける。
目の前は光。透き通った青白い輝きだけ。
青い光の海に中に飲まれ、何も見えない。何も聞こえない。
そのうちに、落ちているのか上っているのかもわからなくなった。
動いているのか、止まっているのかも。
意識はある。だけど、透けるカーテンの向こう側に置いてきたみたいに、全てが淡く霞んでいる。
ふわふわとした浮遊感が気持ちいい。まるで水の中にいるみたい。
一体なにが起こったのだろう。
ここはどこ?
細めた目にはさざなみにように揺らぐ光の世界が映る。
四方上下を見回す。
光の粒子だけが漂う空間に浮かんでいる。
落ちはしないけれど、支えられているわけでもない。
重力がないだけ。
手を動かしても空気を突き抜けるだけで、とても不安定な感じ。
ピシャン
初めて音が聞こえた。水滴が落ちる音。
ピトン、ピンッ
澄んだ透明な音が響く。
綺麗だ。
目を閉じて耳を澄ます。
ピトンッ
どこから?どこから聞こえるんだろう。
『………よ』
頭の奥で、何かが聞こえた。
『目覚めよ』
今度ははっきり聞こえた。
これは声?水がふるえるような、不思議な響き。
そっと目を開く。声の主はいない。
「誰?」
声を出してみる。光が揺れて、青い鱗粉みたいにきらきらと輝いた。
「誰なの?」
姿は見えない。ただ、声だけが聞こえる。
『ルーラ・シェゾネ・フィーリアル』
なに?誰の名前?
「私は水城瑠羅よ」
『それもまた真の名。我が呼んだのは風に刻まれた名』
「あなたは誰?どうして私のことを知っているの?」
『我が名はヘイロン。そなたを導く者。そなたが我を呼んだであろう?』
「あなたは私を守護してくれている竜なの?」
『そのようなものだ』
だったら、わかるかもしれない。
「ねえ、あなたなら教えてくれる?私は何故この世界に呼ばれたの?」
『何故そんなことを知りたがる?』
「私、こっちの世界で生まれたんだって。翼があって、風の刻印があって、風の乙女なんて言われるんだ。でも、私は向こうの世界では全く普通の子だった。きっと、こっちに来なかったら一生そのままで済んだと思う。なのに、結界を解くために呼ばれて………私、どうすればいい?」
声の主は無言で続きを促す。
「風の精霊、私には見えないし、声も向こうで一度聞いたきり。結界も破れなかったし、わたし、ここに来た意味がない。ねえ、あなたは私を導くって言ったよね?だったら教えて。私は何故この世界に来たの?」
縋るように尋ねる。
すると、静かに答えが返ってきた。
『そなたがこの世界を求めていたから』
「私、知らなかったんだよ。こっちの人間だったって」
『それでも、どこか違和感を持っていなかったか?周りのものに溶け込めない何かを持っていることに気付いてはいなかったか?どこかへ逃げたいと考えたことはなかったか?』
そんなこと…………考えたことがないと言えば嘘になる。
辛いとき、苦しいとき、どこかへ逃げたいと考えたことは確かにある。
何度も、ふとした瞬間に感じる、わずかな違和感。
その度に気のせいと言い聞かせていた。誰にでもあることだと。
声の主は私の思いを読んだのかどうか、淡々と続ける。
『人は不思議なもの。逃れたいと叫び続けていても、いざ叶ったなら以前の方が良かったと主張する。他ならぬ自身で選んだことなのに』
「でも、私は風の乙女になんてなりたくなかった。みんなに期待されて、守ってもらっているのに、風の乙女なら出来るはずのことが私にはできない。こんな惨めなことない」
『もしそなたが風の乙女でなければ、この世界に呼ばれることはなく、もし誤って来たとしても、言葉も通じず無残な最後を遂げていたやも知れぬ』
「…………だから、私はそもそもここには来たくなかったの。【特別】でなくても良かった」
『望まなければ、たとえ風が呼ぼうとも声は届かぬ。そなたが風の声に応えたということは、そなた自身があの世界から逃れることを願っていたに他ならぬ』
とうとう耐えきれず私は叫んだ。
「違う!だって私は向こうの世界が好き。パパもママも那智やみんなも大好き。この世界に来たいなんて思ってなかった」
それは私の欲しい答えじゃない。
でも、声は静かに私を追い詰める。
『意識下では。無意識下では求めていた。本来自分があるべき場所を』
唇が震える。怒りと悲しみが混ざり合った言いようのない感情が私を襲う。
「そんなこと………誰でも考える事じゃない!ここは自分のいるべき世界じゃない。どこかにもっと自分にとって楽な世界がある。そんなことを夢見ている人はいくらでもいるわ!どうして私なの?どうして私だけがこんな世界に連れてこられなきゃならないの?どうして帰れないの………っ!」
これまで押さえつけていた感情が爆発する。
どうして私だけがこんな目に遭わなくてはならないの?
帰りたいのに………帰りたくてたまらないのに!
悲しくて悔しくて涙が溢れて来た。
『帰れぬ?何故帰れぬと思うのだ?』
不思議そうな問い。
「だってアルファさんが風鏡と水鏡二つないと無理だって………」
『成る程、人間とは不便なものだな』
呑気な返事だこと。人がこんなに泣いてるのに。
『そなたにはわからぬか?』
なにが?
『次元のひずみは混沌の中にある。混沌から生まれたものなら、望めば簡単に越えられるもの。人の身体はそうそう飛べぬかもしれぬが、その魂は混沌からなるもの。時折、次元の狭間を漂うこともある』
声は優しく私を諭す。
『そなたの魂も時々ひずみを越えて夢を紡いでいたであろう」
突然私の周囲に風景が現れる。
「これは………」
立ち枯れた黒い森、遠くに広がる赤い砂漠、くすんだオレンジ色の街。
光のカーテンに映し出される、いくつのも映像。
夢で見た、あの世界。
そんな馬鹿な………
繰り返される夜、見るたびに忘れる夢。
ただの変な夢だと思っていた。だから気付きもしなかった。
あんなに綺麗だったのに、緑と風に護られた大地は、今は無残な姿をさらしている。
真っ白だった神殿は、黒く汚れてしまった。
どうして気づかなかったんだろう。
私はこの世界をずっと前から知っている。
『思い出したか?』
声は優しく響く。
「ええ」
茫然と答える。
私、ずっと心の中で否定していた。
この世界は私の世界じゃない。私は関係ないんだって思っていた。
違うのに。本当はずっと還りたかった。
この風、この大地、すべてが懐かしくて、愛しくて………
これは魂に刻まれた記憶。望郷の想いが見せた夢。
緑の都、白き神殿、風渡る豊かな大地。
私の生まれた場所ーーー
『どちらもそなたの世界だ』
「うん」
日本もビスラも、どちらも私の国。
わからなかったことがすっと理解できた。
この世界に来て、どうしてこの非常識な事態を冷静に受け入れたのか。
どうして大した疑問も持たずに納得したのか。
どうしてあんなに自分の居場所を求めたのか。
そして、そもそも私がここにいる訳が。
私は失いたくなかった。
この国を。壊れかかった、もう一つの私の国。
二つの世界の存在で、私は保たれている。
この世界でいるときに、向こうの世界の存在が支えであったように、向こうの世界でいる時も、こちらの世界が支えだった。きっと、心の奥深くで。
私は弾かれてここに来たんじゃない。誰かに連れて来られたのでもない。
望んで来たんだ。
ただ、この国が愛しいから。
滅びていくのを、ただ手をこまねいて眺めてるわけにはいかなかった。
もう逃げない。




