第121話 生きてるとは思わなかった
その日の朝食は、わたしにしてはとても豪勢でした。
野菜がごろごろ入ったミルクスープと、焼き立ての木の実入りパンとフレッシュチーズ、スモークチキンのグリル。薄焼きビスケットもおまけにつけておきます。買っていただいた茶器のセットを使いたいから、朝からお菓子を作るなんてどうかと思いますが、お腹いっぱいで食べられなかったら午後のおやつにすればいいし!
朝から頑張ってしまいましたが、お昼ご飯も夕食も気合を入れて作りたいと思います。
だって、せっかくアルヴィ様が台所を改装してくださったのですから!
調理スペースは以前より倍以上に広がりました。
新しい竈、パンや肉を焼くための石窯もでき、食糧庫も新しくなりました。
食器棚も、以前は必要最低限の物しか入っていませんでしたが、今は必要なサイズのお皿が何枚かずつ綺麗に並べられています。
調味料の入った瓶も増え、それがわたしの使いやすいように並べられている様は、見ているだけでも嬉しくなる光景です。
お菓子やパンを焼くための型も随分と増えて、いかにして全種類を使いこなすか、それを考えるとわくわくします。
つい、鼻歌が自然と自分から漏れてしまいました。
「楽しそうじゃの」
台所の調理スペースから少し離れた場所に、新しいテーブルと椅子があります。
それなりに大人数でも卓を囲めるようにと、アルヴィ様が買ってくださったものです。
そこには、薄く微笑みながらテーブルに頬杖をついたコーデリア様がいらっしゃって、その近くには心の底からつまらない、と言いたげなシュタインが佇んでいます。
「そりゃあ、楽しいですから!」
わたしはシュタインのことは目に入らなかったことにして、コーデリア様に微笑みかけました。テーブルの上に真っ白な皿を並べていき、切り分けたパン、庭から採れたベリーで作ったジャム、フレッシュチーズを乗せました。
別皿に乗せたスモークチキンはいい感じにこんがりと焼き目がついて、香ばしい匂いが漂っています。
きっと、まだ眠っているだろうアルヴィ様を起こしてきたらスープは盛り付けよう、と考えつつ、自分の口元がへにゃりと緩むのも自覚していました。
何だか、平和すぎて夢のようだと思います。
「健気なことじゃ。そんなにあの魔術師が好きか?」
唐突にそんなことをコーデリア様から言われ、思わず喉に空気が引っかかったかのように咳き込みます。
何をいきなり!
「いえ、あの……、げほ」
わたしはコーデリア様を睨みつけつつ、呼吸を整えて続けました。「何ですか、最近、コーデリア様はわたしをいじめて楽しんでるんですか?」
「可愛い子はいじめたくなるものじゃろ? そして泣かせた後に、慰める」
「それは間違った見解です! いじめっ子は嫌われるものなんですから!」
「そうじゃろうか」
コーデリア様はそこで笑みを消し、何事か考えこみました。「そこの魔物は魔術師をいじめて悦に入っているようじゃが」
と、急に話を振られたシュタインは僅かにその目に冷ややかな輝きを灯してコーデリア様を睨みました。
「何故そこで、嫌がらせをするのは相手が嫌いだからという結論に至らないのかが不思議です、女王」
「ふむ」
どこか納得いかないといった様子のコーデリア様を見つめていた時、珍しくアルヴィ様がいつもより早起きして台所の扉を開けたのです。
ちょっとびっくりしました。
いつも、陽がそれなりに高くなってから起きてこられるというのに。
「その通りだよ、コーデリア」
アルヴィ様は眠そうな目つきのまま、椅子に座って言いました。「君がミアをいじめると、ミアに嫌われる可能性があると気づいた方がいい」
「それは困るのう」
自分の向かい側に座ったアルヴィ様を頬杖をついて見つめ、コーデリア様が小さく続けます。「妾――私の野望のためには、ミアに嫌われるのは避けねばならん」
――野望。
それは一体何なのでしょうか、と質問した時でした。
明らかに来客が来たと思われる気配が窓の外に生まれました。魔力と風の精霊の気配、そしてドアノッカーが扉を叩く音が続き、わたしは慌てて鍋の前から離れました。
「どちら様でしょうか」
ドアを開ける前に、そう向こう側にいるであろう魔力の持ち主に声をかけます。
その気配から相手は魔術師、だと思います。
「……あれ?」
わたしの声を聞いて、相手は困惑したようにそう声を上げた後、穏やかに言いました。「俺はラウール・ヴァロア。アルヴィ・リンダールを訪ねてきた」
「ラウール……、ヴァロア様、ですね」
わたしはその名前に聞き覚えがあるような気がして、一瞬だけ考えこみました。
その直後、台所の方から「通していいよ」とアルヴィ様の声が響きます。それほど大きい声ではないのに、ここまで響くのは魔術によるものなのだろうなあ、と思いながらわたしは扉の鍵を開けました。
「どうぞ、ヴァロア様」
わたしが扉を開けると、相手は不思議そうにわたしを見下ろしていました。
「ラウールでいい。ええと……君は誰だ?」
吸い込まれるような深い蒼の瞳。短い黒髪と、騎士様かと思えるくらいに鍛えられた身体。美丈夫、という言葉そのままの男性です。
とにかく、身長が高い。見上げているわたしの首が痛くなりそうなほど。
魔術師だと思われる気配をしているのに、身に着けている服装はそれらしくはありませんでした。
動きやすいだろう黒い服、黒いマント。腰に下げた剣は使い込まれたと思われる細かな傷があり、どう見ても剣士。
でも。
彼の左肩の上には、真っ白な使い魔がいました。
翼を持った、白い猫。ふわふわの毛並みと、気位の高そうな緑色の瞳。
魔術師でなければ、そういった使い魔を従えることはないでしょう。
そして唐突に思い出したのは、聞き覚えのあるラウール様の名前です。確か、アルヴィ様がその名前をおっしゃっていた、と。
「ミア・ガートルードと申します。こちらで使用人として働かせていただいてます」
一瞬、黙り込んでしまったわたしを不思議そうに見下ろしている彼の目に気づき、慌てて名乗ると彼は納得したように笑いました。
「おおー!」
そこへ、嬉しそうなルークの声が響いて。
急に、わたしの左肩にルークの体重がかかり、彼の小さな前足が嬉しそうにわたしの揉み始めます。やめて、くすぐったい!
「久しぶりにゃ! ラウール、マドレーヌ!」
その声を聞いて白い使い魔は目を細め、つんとした口調で言いました。
「あら、元気そーね? あなたの名前、何だっけ?」
「おい!」
「冗談よ、ルーク」
ふっ、と鼻で笑うような表情を見せた白猫――マドレーヌはルークよりもずっと大人びた態度を見せています。そしてどうやら、軟化した彼女の態度に安堵したらしいルークが、今にもマドレーヌに飛び掛かろうとしています。
「感動の再会は後にしろ」
ラウール様が呆れたように肩の上にいるマドレーヌの頭を撫で、彼女が目を細めて喉をごろごろ言わせると、ルークも諦めたようにわたしの肩の上で大人しくなりました。
わたしはドアの脇に身体を移動させると、彼らをお屋敷の中に招き入れました。
しかし、一瞬だけ悩みました。
台所に案内すればいいのでしょうか?
アルヴィ様の気配がするのは台所なので、まあ、仕方ないかな、とわたしが廊下を先に立って歩き始めると、背後を歩くラウール様の足音が響きました。
「おお、生きてるとは思わなかったぞ!」
台所に入ってすぐに、ラウール様は明るく言いました。
アルヴィ様はその時、コーデリア様と何か話をされていたようでしたが、ラウール様の声に眉を顰めて動きをとめました。
「久しぶりの挨拶がそれか? 君も無駄に元気そうで何よりだよ」
深いため息をついてから、アルヴィ様は苦笑交じりにそう口を開きます。
でも今度は、ラウール様の方が動きをとめる番でした。
「……随分大所帯になったな、お前。どうした、これは」
困ったように頭を掻きつつ、ラウール様がコーデリア様とシュタインの顔を交互に見やり、それからわたしを見下ろして微笑みました。「女の子がいてよかった。男ばかりだと心に安らぎがない」
元々は、コーデリア様は女性なのですけども。
まあ、今は男性だからそうは口にできません。
「相変わらず女好きは治ってないらしいな、ラウール」
アルヴィ様は眠そうな目つきのままそう言って、わたしに視線を向けました。「ごめんね、ミア。この邪魔ものにも出せる食事はある?」
「え、あ、はい!」
もちろん、余ったらお昼ご飯にも回せるよう、多めに作ってあります。わたしはすぐに食器棚に向かうと、来客のために食事の準備をしました。
そこでやっと、ラウール様は腰から剣を外すと壁に立てかけ、空いている椅子に腰を下ろしました。
「まあ、何はともあれよかった。赤い夜が来たと聞いたからな、てっきり死んだかと思った」
「……そのつもりだったんだけどね」
アルヴィ様が軽い口調で言うと、ラウール様はぎょっとしたように身体を硬直させます。でも、わたしが彼の前に料理の乗った皿を置くと、我に返ったように苦々しく笑います。
そして、真っ白な翼のある美猫のためにも、小皿の上に細く割いたスモークチキンを置くと、彼女は鼻をぴくりとさせてテーブルの上に降り立ちます。
ルークもそわそわしだしたので、彼の分もついでに。
「気が変わったのか?」
ラウール様の探るような声が台所に響き、アルヴィ様がそれに頷いて。
「ああ、残念ながらそういうことだね」
「残念、か」
ラウール様は眉間に皺を寄せて何か言葉を探していましたが、スモークチキンのグリルにフォークを突き刺して口に運ぶと、「あ、美味い」と口元を緩ませます。
「……相変わらず、女と美味しい食べ物があれば幸せな奴だよ、君は」
アルヴィ様はくくく、と笑い声を上げてから、先ほどまでの眠そうな表情をどこかに追いやって続けました。「で? 何か用があってきたんだろう? でなきゃ、君がわざわざこんな場所にやってくる理由なんてない」
「酷い言い草だな。これでも、お前とはそれなりに友情っぽいものを感じていたんだが」
「それはどうも」
「でもまあ、用があるのは事実だ」
ラウール様はそこでにやりと笑い、アルヴィ様を見つめました。「王城での仕事依頼がある。面倒だろうが潔く諦めろ」
「……本当に面倒だよ」
アルヴィ様はうんざりといった表情をして見せましたが、その少し後に複雑そうな感情がその面に生まれたのです。「でも、殿下に会ういい口実になるかもな」




