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第一話「国母」

改訂版第一話。

改訂前比べると改変した設定もありますが変えていない設定もあります。

この世界には神秘と言われる力がある。

「魔法」と「魔道」、この二つだ。

実は前者に関しては魔法以外にも、魔術、神術、精霊術等と地方や時代により呼び名の違いは無数にあるが、近年の研究によりどれも根本的には同じ物であると判断されているので学術名称である「魔法」を使わせて貰うとする。


魔術も神術もそれぞれ違う物であると未だに信じている人達にはこう言おう。

北リグリス訛りと南リグリス訛りの違いである、と。

話している当人達にとっては明らかに違うと言いたくなるかも知れないが、オルレアン語を話すオーランド人達から聞けば、同じリグリス語を喋っているリグリス人としか見る事が出来ないのと一緒なのだ。

つまり、どれもが共通して解明できる体系づけられた技術であるという点において共通している。

もっと簡単に言えば「魔法」という現象を発生させている力の根源が、魔力、神力、マナと呼ばれようが結果的には同じ『力』であり、五つめの基本相互作用である『魔子』である事には違いないという話になるのだが。


閑話休題、魔法については後で図書館にでもいって読めば嫌という程に資料があるので省くとする。

では、そんな「科学」と同じように体系化された「魔法」とは違う物だと一貫して区別されてきた「魔道」とは何かについて説明しよう。

魔道とは今世紀に入っても未だに全てが未解析である本当の意味での「神秘」。

魔法が才能と努力があれば誰でも修められるのに対して、魔道は発生原理から一切未解明の「神秘」であるのだ。

ただ、本人の無意識的な欲求を無尽蔵に叶える魔道は過去において悲劇をそれこそ一山幾らで売れる程に生み出し、魔道師の存在が確認出来なくなった今でも保守的な人々からは忌み嫌われている。

特に大戦期の英雄にして後の大量殺人鬼「破壊者」ラインハルトなんかは有名な話であろう。

右腕に魔道を宿し、触る物全てを「破壊」する事が出来た彼の凶行による犠牲者の数は三桁を超えると言われている。

その人類史に永遠に刻まれる事になった忌まわしい経験故にルグリス教会が先導し、フェミリンス大陸において「最悪の愚行」と言われる魔道師狩りなんて物が流行ったしまった程なのだ。

疑わしきは全て罰せよという原則から、次々に「魔道師」の疑惑ありと告発された人々が裁判にかけられ拷問された上で死んでいった。

魔道師を判別する方法は簡単であり、魔道師は魔道を使う際に「契約の印」と呼ばれる物を身体に浮き上がらせる。

例え浮き上がらなくても、魔道師にとってそこは痛覚が無い場所。

だから教会は次々に告発された人達に痛み(拷問)を与えて、契約の印を探ろうとしたのだ。

まぁ、そんな藁山の中に紛れて混んでいる毒針を見つけるような行為を何十年単位で続けた所為で新ルグリス教なんて物が出来てしまい、今に至っても正統性を争って水面下で宗教戦争を繰り広げている事は有名な話だが。

リグリス人にとっては悲劇であるセイルーンの内紛による崩壊だって新旧ルグリス教会の争いがそもそもの原因なのだから、如何に血生臭い宗教戦争をし続けているかが分かるだろう。



そんな何処でも何時の時代においても歴史に影響を与えてきた「魔道師」であったと思われている人物の中で一人、未だに評価が定まらない人物が一人いる。

その人こそ、ザイスブルク帝國第一皇妃ユーリヤ・ザイスブルク。

「帝國の大淫婦」、「悲劇の賢者」、「史上最悪の虐殺者」、「戦女神」、その他にも両の指どころか足の指を使っても足りない数多くの異名を持ち、歴史家達の頭を悩まし魅了し続けている皇妃ユーリヤ。

そんな彼女が持つ真贋が入り混じった数多くの逸話の中に、彼女の部下と思われる人物の手記の公開によって「魔道」研究者達の常識を揺るがした話がある。

皇妃ユーリヤは魔道師史上彼女一人しかいない「生まれながら」の魔道師であったというのだ。

「魔道」とは願い。

魂の奥底からの欲求によって生み出される神秘。

彼女が辿ったとされる壮絶な、吐き気すら覚える人生の軌跡を記した手記の記述を全て信じるならば。

祝福の声は一つも無く、怨嗟の声に囲まれて産まれた皇妃ユーリヤにとって生まれた瞬間にその欲求を持つ事は当たり前の事だったのかも知れない。

「――――」という願い『魔道の根源』が生まれた事は。



         ベルゲン国立図書館蔵書 「皇妃ユーリヤの真実」より抜粋

                  著者 フランツ・フォン・フィルディナント




宰相な皇妃様  第一話 「国母」


教暦 5638年  ザイスブルク帝國 帝都ベルゲン 帝國参謀本部


そこは本来の姿であれば荘厳という言葉が似合う場所だったのだろう。

真紅の絨毯が床一面に敷かれ、壁には職人の緻密な手作業によるものと思われる色付けをなされた精巧な世界地図。

机の上には色艶やかな花が挿された花瓶が置かれ、部屋の端には巨大な帝國国旗が置かれている部屋。

そう、この部屋こそザイスブルク=オルレアン戦争において戦争前からの一貫した指導と戦略により、勝利の立役者となったザイスブルク帝國参謀本部の最高指令室であり、帝國の誇りともいうべき頭脳が集まる場所だ。

首都ルブールを占領されたオルレアン王国との講和会議を一週間後に控えた今、今後の戦略を話し合う為に上級将校達が集まり話している――――筈だった。


「…………」


しかし、その荘厳さは見るも無残な事になっていた。

壁の世界地図には火が付き、その大半が赤茶けた埃と化し。

何時もならば最も丁重に扱われている筈の国旗は破られ、幾つもの踏み跡をくっきりと残して無残に横たわっている。


そして地面に横たわるには無数の黒と赤の混ざり合った「ナニカ」。

だが、よく見れば気がつくだろう、それがかつて生きていた人間である事に。


黒の帝國軍将校服を着ていたであろう彼ら、戦略会議という名の実質的には戦勝祝賀会に集まっていた上級将校達は皆、倒れて生命の赤い水を垂れ流し絨毯に染みこませていたのだ。


部屋の中で燃える炎の赤いパチパチとした音と髪や爪が焦げる強烈な悪臭が立ちのめるその空間で一つ、甲高い呻き声が発せられる。


「………あ゛―っ!!」


それを発しているのは一人の子供だった。

片腕が切り取られ、身体に無数の銃痕を持った男の下敷きになっている子供が身体を必死に揺らして呻いている。

見れば子供もまた身体の至る所に銃によって出来た物と思われる傷を作り、血を流していた。


しかし、その傷から幾ら血が流れ出ようとも、子供は構う事なく自分の上に圧し掛かる死体を揺さぶり続けていた。

火災による一酸化中毒で意識が朦朧とし、失血によって目の前は殆ど見えていない子供はまるで寝ている親を起こすように必死に目の前の死体を揺さぶり続ける。


「あ゛あ゛っ!!」


まともに声を出す事も出来ないが子供は動き続けていた。

身体の位置を変えたり、手の位置を変えたりと必死に目の前のもう二度と動くことはない死体を起こそうと行動をし続ける。


そして、そんな子供の行動が運が悪い事に実ったのか彼女を守る様に仰向けで倒れていたその死体は横に倒れた。

しかし、それは子供の目の前に死体の顔が向けられてしまう事であり……。


「ッ!!?」


ソレと対面をした子供は声無き悲鳴を思わず上げてしまった。

いや、それは子供でなくても普通の感性を持つ者ならば誰でも声を上げるだろう――その死体は直視するのにはあまりにもおぞましい凄惨な「ヒト」だった物だから。

顔はぐちゃぐちゃに潰されており、中身が飛び出している。

それは、血と臓物がたっぷりと詰まった西瓜をありったけの憎しみを込めて叩き割ったような姿。

かつて、それが、「ヒト」の頭であった事など誰が信じられようか。


しかし子供にはそれが自分に対して微笑みをくれ、時には怒り、泣き、笑いあった「人」の頭であると理解出来てしまう。

なぜなれば、その首にかかっている白黒写真が入ったネックレスがかかっていたからだ。

中に映るのはぶかぶかだが、真新しい軍服を身に纏い緊張した顔で佇む子供の横で微笑む十数名の男と女達。

この割られた西瓜の頭の持ち主はその子供の隣にいる穏やかな微笑みを浮かべる初老の男、彼の物に他ならない。


――その瞬間に子供、いやユーリヤ・フォン・フィルディナントは理解をしてしまった。

目の前の男が死という物に囚われてしまった事を。

そして自分が彼らに対してしてしまった事をも。





「ア゛ア゛ア゛ア゛アアあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


朝日が山の陰から見えてくる頃、そんな早朝にベルンホルン離宮の一室にて女の甲高い悲鳴が上がった。

いずれ来るであろう春の訪れを僅かながらも感じさせてくれる山の清々しい朝には似つかわしくない絶望と怨嗟と後悔の入り混じった悲痛な叫び声。


それを聞いた者は二人いた。

一人は山の近くで猟をしていた地元の若い猟師。

彼は悲鳴を聞くとビクンッと跳ねた後に急いで山を駆け下りる、その顔を真っ青で必死だ。

有名なのだ、ベルンホルン離宮が「魔女の館」と言われる原因となったこの悲鳴は。


せっかく仕留めた獲物も仕事道具である銃さえも置いて逃げ出す彼の頭にあるのは館に住むといわれる魔女が行うと噂されているおぞましい儀式の数々。

そして、次に頭を過ぎるのは出掛ける前に老いた同僚の猟師から忠告をされた事だった。

あの館には記録に絶対に残らない飛竜便が着く、その中には未だに魔道の呪縛から逃れる事が出来ない皇帝から魔女への貢物が詰まっていると。

それらしき怪しげな飛竜便が先日に着いたばかりだから、近くに行くのは止めておけと忠告。

……下手を打てばお前も儀式に巻き込まれるぞ、とも。


若い猟師はそれを笑い飛ばしていた自分を責める。

国によって処罰をされた皇妃にそんな真似が出来る筈がない。

どうせ、わがままを言って帝都から物を取り寄せているんだろうと思っていた。

普段からは考えつかない程のスピードで山を駆け下りる彼はそんな楽観的な事を考えていた自分を殴りたくなる。

あの悲鳴はそんな物ではなかった。

今までの人生の中で聞いた事が無いおぞましい悲鳴、未だに耳に残る声からははっきりと感じ取れるのだ――恐怖と絶望を。

駆け下りながら身震いをする、あの悲鳴は若いどころか幼いといってもいい女の声。

脳裏に過ぎるのは妖しげな祭壇の上で腹を割かれて絶望の悲鳴を上げる少女の姿。

隣には年を取った魔女とかつて一度だけ目にした事があるメイドが嗤っている。

その魔女の身体にはきっと、おそらく魔道の紋様が。


そこまで考えた彼は頭を振り、無心になって山を駆け下りていった。






場所は変わって、ベルンホルン離宮。

猟師が駆け出すのと同時に走りだすもう一人の悲鳴を聞いた人物がいた。

その人は「魔女の従者」ことクレア・セレスティン。


悲鳴によって起きた彼女は寝巻きが乱れる事も気にせずに全力疾走で山荘を駆け抜けると、目当ての部屋にノックもせずに入る。


「ユーリヤ様ッ!!」

「………あ゛っ、ぐっ……はぁ、あ゛あ゛…はぁはぁ…」


そこに居たのは上半身だけ起き上がり、荒い息を吐いている一人の少女。

片手で必死に額を押さえており、その隙間から見える黒い目は赤く血走っていて、眼球はギョロギョロと上下左右に動き続けている。

クレアが部屋に入って来た事には気がついたのか、顔を隠したまま彼女に向かって喉から声を振り絞るように言った。


「……その声はクレアか……悪いがそこにある水を取ってくれ」

「はい、ただいまッ!」


まるで足にバネでも仕込んでいたんじゃないかと思う程の機敏な動きで部屋のデスクに置いてあった水差しを取ると硝子のグラスに入れて渡す。


「…………ありがとう」


そう言ったユーリヤは一気に中身を飲み干した。

喉を何度も鳴らし、口の端から少し溢しながらも水を飲み干した彼女は少し落ちつけたのか額から手を離すと、膝の上に置きゆっくりと息を漏らす。


それを見たクレアはユーリヤが寝るベッド脇にある椅子に座り問いた。


「お代わりは必要ですか?」

「あぁ。もう一杯頼む。

……毎度、すまないな」


手に持っていたグラスを彼女に手渡しながら、申し訳なさそうにユーリヤは言った。

主の謝罪にクレアは無言で三度程、首を横に振った後に水を注いだコップを彼女の手に自分の手を重ねるように優しくしっかりと握らせる。


「お気になさらないで下さい。

……それと本日の執務はお休みに、それが無理でしたら午後からになさいませんか?

最近は随分と遅くまでご無理をなされていたようですし、身体を少しは休めて下さい。

このままではユーリヤ様は……」


自分の手の中でグラスを握るユーリヤの手が震えているのをクレアは見逃す事は出来なかった。

固く何かから耐えるように握り締められたそれは今も震え続けている。


「…………いや、予定通り07:30に始める。

今が帝國にとって一番重要な時期なのだよ、半日とて休む事は出来ん」


震えたままの手で、サイドテーブルに置いてあったおそらく寝る直前まで読んでいたであろう書類に手を伸ばすユーリヤ。


「……んっ、何時もより早いが朝食の準備を頼む、量は少なめにな」


受け取ったグラスの中の水を一気飲みして、顔を顰めながら震える書類を必死に読み続けるユーリヤにクレアはため息をつきたくなる気持ちをこらえて言った。


「……ユーリヤ様、後宮に居た時からそうおっしゃい続けてお休みを取った事が無いじゃないですか」


クレアの反論にユーリヤは書類を読み続けながら言う。


「当たり前の話だろう。

新興国家なんて物は最低でも百年は重要な時期が続く。

それに帝國は言葉と民族こそ同じでも、つい最近まで数十の国に分かれていた弱小国家の寄せ集めにすぎないのだ。

その上周りは敵だらけ、何時何処から攻めてくるか分からない最悪な国土ときている。

どこぞの後宮で四十過ぎて猿のようにこの世の春を謳歌している馬鹿はおそらく分かっていないだろうが、明日にも帝國崩壊という事も十分にありうるのだよ」


そう呟きながら書類を捲るユーリヤに今度こそクレアはため息をつき、彼女の手の中にある書類を引っ張って取ると水差しと一緒にテーブルに置いた。


「それは一体何のつもりかね、セレスティン」


書類を取られたユーリヤは鋭い瞳でクレアを睨みつけて、平坦な口調で言う。


「……ユーリヤ様のお気持ちは分かっております。

ですが、その前にご自分のご健康を気になさって下さい。

これ程の汗をかかれて、まだ寒い中を拭かずに温めずに仕事を始めれば風邪を引いてしまいます。

あの糞野、失礼。……ハーペン首相が嬉々としてやって来ますよ?

そうなれば、ユーリヤ様がおっしゃる仕事も出来なくなってしまうでしょう。

ですから流すだけの湯浴みの準備をするので入って下さい、どうかお願いします」


懇願するように頭を直角に下げて言うクレアに対してユーリヤは数秒間の間睨み続けたが、今度はユーリヤがため息をつき降参とばかりにもう片方の手で持っていた白いメモ用紙をピラピラと振った。


「分かった、分かった。確かにそれは嫌だな。

では、準備を頼むよ、クレア」

「はい、分かりました。

後、書類を読む事については止めませんが、ベッドから出たりするようなお体を冷やすような事はくれぐれもご自愛ください」


クレアはそう言うと外に出て行った。

その後ろ姿を見送ってしばらくした後、ユーリヤは一度、少しだけ頭を下げると自分の部屋にあるデスクに前に座り明かりをつける。


「……ッ」


しかしその瞬間、彼女は震え上がった。

忠告を無視し、冷たいマホガニーの椅子に座る事で背中に張り付く寝巻きの感触に自分がどれだけ発汗をしていたのか彼女はようやく気がついたのだ。

寝巻きどころか下着までびっしょりと寝汗で濡れている。

そして、また全身を震わせた。

それは寝室内の冷え込みと汗の蒸発による気化熱で体温を奪われた事による、無意識の発熱行動。

つまり、それまでの彼女はその生理的な反応が出来ない程に消耗していたのだ。


「……変わらんな、私は」


そうユーリヤは呟くと照明を消し、椅子から立ち上がる

彼女が今、感じている寒さを考えると、このままだったら確実に風邪をひいていただろう。

下手を打てば風邪から肺炎の連続攻撃で死にかねない。

魔術師人口が圧倒的に劣り魔術後進国であるザイスブルク帝國では、魔術医療技術最先端のオルレアン王国のような病気に対する完全治療が不可能なのだ。


やはり自分の『部下』の言う事は素直に聞いておくべきだと再認識し、少しでも身体を温めておこうと書類を掴んでベッドに戻ろうとするが彼女の動きはある一点で思わず止まってしまう。

その視線の先にあるのは手に持っていた書類ではなく、デスクの横のコルクボードに張られている一枚の紙。


「…………」


じっと見つめる彼女の視線の先にある紙の正体は写真だった。

白黒でありながら珍しく鮮明であり、そこにいる人物達全員は一人を除いて皆が笑顔の写真。

その仲間はずれの一人こそ、まだ髪を赤いリボンではなく白いリボンで結んでいる若きユーリヤ・フォン・フィルディナントその人。

彼女は写真に写る人々を懐かしむように確認すると、傍に置いてあった元帥杖を手に持ち誰かに語りかけるように呟く。


「……嗤ってくれて構わんよ。この女は相変わらずのようだ」


写真の少女が写っている部分を指でなぞり、呟くユーリヤ。


「あぁ、是非とも盛大に嘲笑ってくれ。

君たちに教えられた事を忘れていたのだからな。

……それに私は今更になって後悔をしているのだよ、この傷跡を付けた事を。

安っぽい悲劇のヒロインを気取って、他ならぬ私が君達の名誉に傷を付けてしまったのだから」


彼女はベッドに向けて歩きながら、自嘲するような乾いた笑みを浮かべて無数に傷がある杖の一番大きな傷を撫でる。


帝國元帥という存在はセイルーン王国の制度を受け継いでおり他国のそれとは比べて極めて特異な存在。

彼女が持つ元帥杖、この杖を持つ限り任命した王以外は誰も口を挟ませない程の軍事的権力を持つ事が出来るのだ。

陸軍の元帥であっても、海軍長官以上の権力を持ち艦隊を動かす事が出来るといえばその権力の大きさが分かるだろう。

そして、その権利を失うのは本人の自己申告のみ。

そう言うと誰もが終身元帥であると思い込むだろうが実際には過去の慣例によって元帥の地位を剥奪される事がある。

それが元帥杖の破壊。

慣習的に元帥が指揮する軍が敗北した場合、自らの手で元帥杖に傷を付ける。

負ければ負ける程に傷は多くなり、杖がその傷に遂に耐え切れなくなった時に今まで生きてきた軍人としての地位と名誉の全てを失うのだ。


「戦友、この杖に刻まれた傷は屈辱ではあるが、私達が共に戦ってきた証だと思っている。

だが、この傷だけは女々しい私の懺悔だ。

罵って嗤って蔑んでくれて構わない、何時から私はコレが「私だけ」の物であると思っていたんだか、「私たち」の物であったのに」


ベッドに潜り込み片手で杖を握りしめながら目の前の書類、クルト・ハーペン首相から送られてきた資料を一瞥して彼女は言う。


「本当に脆弱だな、私は。

君たちの「その姿」が見えていて、そうしたのは私であるのに救いを求めているなんて。

君達に対する贖罪なんて物はたった一つしかないのに」


彼女が見つめるのは自分の周りの空間。

布団によって薄暗いだけの空間だが、ユーリヤは「宙」を見つめ続ける。

ただ、それを彼女の額で爛々と光り始めた紋様だけが照らし続けていた。





「さぁ、どうぞユーリヤ様」

「……あぁ」


そう受け取った二人が入るのは現在では片手で数える程しか知らないがザイスブルク皇家所有離宮の中で最も豪華と言われるベルンホルンの風呂場。

今でこそ「魔女の館」と渾名を付けられてしまい忌み嫌われるベルンホルン離宮だが、この離宮は元々過去の王が意中の女性と二人っきりで隠れて過ごしたいが為に作った離宮。

ベルゲンの本宮のような大きさは無いが、むしろこの狭い空間だからこそ来た意味を果たせるという理由がある。

そして当然、こんな山奥で過ごす王と愛妾の数少ない娯楽である風呂はそれはもう豪華絢爛の有様になっていた。


「……何度見ても思うが、一代に一つは必ず無駄な物を作るのがザイスブルク皇家の伝統なのだな。

こんな僻地で私が来るまでの何十年間と使われていなかった離宮に魔法を半永久的に使わなければ維持できない深層の温泉なんて無駄の極みだろうに。

どうせなら一般解放でもして維持費ぐらいは稼いでも誰も文句は言わないと思うのだが」


風呂場の上に吊り下げられている効能と歴史、概略が書かれた職人の手彫りによる金属版を見ながら呆れたようにユーリヤは言った。


「その見解には同感ですが、私達が居たという事実がある以上そういう意味ではもう使えないでしょう」

「私がくたばった後ならどうにでもなると思うがね。

なにせ謎めいた皇妃にして悪女にして魔女なのだよ、このユーリヤ・ザイスブルクという存在は。

下世話な感情から住んでいた住居を見たいという奴も現われるだろう。

ふむ、地下の冷凍室を改造して儀式場でも作っておくか?

いや、意味の無い暗号を屋敷に仕込んでおくのも一興かもしれん」


用意されていた椅子に座ったユーリヤが考えこみながらそう言うと、クレアは顔を歪ませる。


「そういうユーリヤ様の名前を売るような商売方法はあまり好きでは無いのですが……」


苦言を漏らしながら、ユーリヤの身体を洗い始めたクレアに向かってユーリヤは優しい微笑みを返しながら言った。


「気にする必要は無いクレア、これは迷惑料なのだよ。

麓の村の住人には色々と迷惑をかけてしまっているからな。

私が来た事で住み慣れた故郷から越してしまった民もいるのだろう?

近い未来には科学技術も発展しこの離宮のような魔術の温泉汲み取り方が国民達でも気軽に出来るようになる。

そうなれば、私が寂びさせてしまったこの村も温泉街として蘇る事が出来るだろう。

そこに観光名所の一つぐらいは送っても問題はあるまい」


彼女が言っている事は間違ってはいない。

絶対に記録に残らない不定期に来る竜籠、謎の女の悲鳴、公式にはないデザインの帝國軍服を纏った者達の出没。

国民が不気味さを感じているのは事実であるが、それだけ注目もされているのだ。


「後は玄関に肖像画……は無理そうだな。

これでは儀式か何かの生贄の方にしか見えん。

しかし陛下も本当によくコレを何度も抱けたものだ。

正直、死人を抱いているような気分だろうに。

……そこだけは本当に尊敬出来る」


苦笑いを浮かべながらユーリヤが見るのは鏡に映った自分の裸体。

そこには列強といわれる国の皇妃にはどう考えても見えない姿が映っていた。

顔立ちこそ普通の少女並だが、その目に下にははっきりとした黒い隈が出来ており肌の青白さと相成って死人のような不気味さを見せている。

そして、その下に視線を下ろしていけばほのかに浮かび上がっている肋骨があり、抱き締めたとしても女性的な柔らかさは感じられるとは思えない。

加えて、身体のあちこちに銃痣らしき赤黒い斑点や手荒く縫ったような裂傷、火傷の痕があり、どんなに好意的に判断したとしても一般受けをする魅力は持っていなかった。

むしろ、貧民街の子供では無いかと憐れみを受けるような肉体である。


「自覚なさっているのなら、もう少し食べて休息を取って下さい。

最近は以前に増してお痩せになっているのですから。

……それと、お気持ちは分かりましたがやはり私はユーリヤ様の名前をそういう風に使うのは反対です。

ティッセル陸軍長官が知れば、今度こそ憤死しかねいですし」


髪を湯で梳きながら言うクレア。

彼女の脳裏に過ぎるのはユーリヤの結婚式の時に憤怒のあまり顔を真っ赤にして倒れた一人の将校。

あの時の姿から考えると、ありえない事ではない。


「私達の子への贈り物でのあるのだから、怒らないで欲しいのだがな」

「え?…………はぁっ!?」


手に持っていた桶を盛大に音を立てて落とし、狼狽をするクレア。

耳に残るのはユーリヤの口から漏れた衝撃の発言「私達の子」。

脳内に過ぎるのは今年で四捨五入をすれば六十にもなる大男が主に覆いかぶさる姿。


「ちょ、ちょ、ちょっとそれは……お待ち下さい、ユーリヤ様!!」

「ん?いきなりどうしたのかね、クレア?」


自らがした発言の重要性に気がついていないユーリヤは動揺し続ける部下に問いかける。


「て、て、ティッセル閣下とユーリヤ閣下のご、ご子息がこのふ、麓のむ、村に居るのですかっ!?」

「クレア、君は一体何でそのような……あぁ、そういう事かね。

すまない、すまない、私の言葉が足らなかった所為で色々と誤解をさせてしまったようだ」


最初はクレアの挙動不審な姿に訝しがっていたが、原因を理解出来たのか申し訳なさそうな顔で苦笑をする。


「クレア、私には子が一人と一ついるのだよ」

「?」


クレアはユーリヤが言った言葉の意味が分からずに首を横にかたむける。


「一人は君も知っている通り、私と陛下の子だ。

これはまぁ、生まれてくる事がなく死んでしまったがね」


本人はおそらく無意識であろうが、彼女は自らの傷痕だらけの腹を撫でた。

浮かべていた表情は優しみも悲しみも怒りも無い能面のような無表情、その表情には誰にも踏み込む事を許さない彼女だけの矜持がある。


「……ユーリヤ様」


クレアは何も言えない。

そんな表情のクレアを鏡の向こうに確認したユーリヤは振り向くと言う。


「何、君がそう落ち込む必要は無い。

私にはまだ、もう一人のとても手がかかる子が『いる』のだから。

その子はティッセル、ファルケンルウス、ミュッケル、他にも数え切れない多くの父を持ち、私や君、ヴェストシュバルツ、アッヘンバッハ等、父と同じように数え切れない母を持つ私達の子がな」


はっとした表情を浮かべたクレアは呟くように言った。


「……ザイスブルク帝國」


その言葉にユーリヤはクレアが一度も見た事がない程の優しげな笑顔を浮かべて微笑む。


「その通り。

思い返してみたまえ、この子を産むのは本当に苦難の連続だっただろう?

子を護る羊水として何万ガロンという戦友達の血を捧げ、栄養には帝國の民の無数の嘆きを引き起こした。

君のこの傷だって『子』の産む為の栄養の一つだと思っている」


ユーリヤが撫でるのはクレアの肌に無数にある酷く焼け爛れた火傷。

医学についてある程度の知識がある者が見れば、すぐに故意的につけられた事が分かる傷。

そして、どれだけの苦痛と苦悶が肌の持ち主を襲い掛かったのかも。


「愛しているのだよ、私は。

例えどんなにこの子から嫌われたとしても、愛せずにはいられない。

私の戦友達の血と涙と嘆きと怨嗟――――そして希望によって生まれる事が出来たこの国を」

「…………」


クレアは言葉が出なかった。

いや、声すら出せないというのが正解なのかも知れない。

それ程に彼女の心は荒く揺れていた。


「それに私は世界中の誰もが嫌ったとしても、私はこの子を愛し続けなければならないのだ。

でなければこの子の誕生の為に戦場で私が祖国の為に死ねと命じ、それに準じた彼らはどうなる?

地獄に行く前に、君達の人生は何もかもが無駄であった、と言えるいいのか?

そんな事が出来る程に私の顔の面は厚くない。

私達の子はここまで立派に成長した、君達の犠牲は決して無駄ではなかった、と言う事こそが戦争で勇気を振り絞って死んだ者達への唯一の手向けだと思わないかね?」


まるで天使と見間違うような微笑で言ったユーリヤに対しその子である帝國の人間、クレアが出来た返答は一つだけだった。


「……はい、その通りです。ユーリヤ様」


そう、盲目の肯定だけ。

まるで神にでも会ったかのように傅き、頭を下げたクレアの姿にユーリヤは確信と安心を得たようにその天使の笑みを深めると、近づき肩に手を当てて告げる。


「君が私と同じ見解を持っているようで、安心したよ。セレスティン特務魔術大尉」


その言葉を言われた瞬間にクレアの雰囲気が一変した。

触った瞬間にその箇所が細切れにされてしまいそうな鋭利で尖った雰囲気。

穏やかだった筈の目は今にも獲物を食い千切ろうと忍び足で近づく狼のような力を放っている。


「……牙をしまいたまえ。

『今は』切り替える必要は無い。

これからする話はただの世間話だ、大尉。

そう、ただ風呂で湯を浴びながらする女同士の世間話。

意味は分かるかね、情報局所属クリア・セレスティン特務魔術大尉?」


ニヤリと天使の微笑から悪魔の微笑に切り替えて笑うユーリヤに天使の信奉者もまた悪魔の信奉者となった笑みを浮かべた。


「勿論です、ユーリヤ・フォン・フィルディナント帝國元帥閣下。

私達は戦友ですし、一緒に風呂に入れば何気ない世間話をしてもおかしくありません」


クレアは落としてしまった石鹸を拾うと、ユーリヤの髪を再び洗い始める。


「なぁ、セレスティン。

実はさっきまで読んでいた報告書はハーペンからの物なのだ。

内容は『君達』ならもう知っているだろう?

彼がこの事を知る前に。

……急な予定変更で迷惑をかけてしまったが」

「いえいえ、『私達』の長は感謝していましたよ。

この件に関しては私達から見るとデリケートでしたし、問題の大きさから独力での対処は不可能でした。

ですが閣下が首相に恩を着せてリークして下さったお蔭で、こちらから頭を下げる羽目にはならなかったんです。

お蔭で色々と助かっております、我々にはああゆう組織力は無いですからね」


ユーリヤは苦笑いをしながら、何かを思い返して邪に微笑むクレアに言葉を返す。


「……あれは別にそこまでの恩を意図して売った訳ではないのだがな」

「それでも、助かったのは事実です。

それで閣下、帝國の心臓、帝都に居座る恥知らずな者共の『首相考案』の処理方法について何か?」


そう質問をするクレアにユーリヤは頷くと言葉を続けた。


「あぁ、一つの危惧がある。

どうにもハーペンという男は本質は『優し過ぎる』らしい」

「えぇ、まぁ。私個人としては認めたくは無いですが世間一般ではそうでしょう。

彼ぐらいな物です、趣味で『国籍』を問わない孤児院を経営しているのは」


二人が言うのは戦災孤児の救済を目的に設立された「シュバシコウ孤児院」の事だ。

オルレアン、ザイスブルク両国に設置されたこの孤児院の筆頭寄付人こそがクルト・ハーペン。

そういう子供を生み出す原因となった戦争を指揮を取った将校である彼のその行為に対して偽善であると批判はあるものの、騎士道の誉れと評判が高い。


「そこだけは認めてやりたまえ、裏でどういう考えがあったとしても首相の博愛精神は素晴らしい。

褒められるべき物だと思うよ?――無論、『彼個人』で行っている間はな。

……だがクレア、今回はそんなとても優しい首相が考える『処理方法』についてどうしても憂慮してしまうのだ」

「えぇ、それについては『私共』も憂慮しております。

首相の遵法精神は分かりますが、あれでは全てが潰せません。

有害な菌というのは完全に撲滅しなければ、また繁殖をしてしまうのに」


深刻そうな顔で言うクレアに頷くユーリヤ。


「あぁ、その通り、その通りだとも。

優しい彼でも帝國の首相としての自覚はある、大きな物はきっちりと始末をつけてくれるだろう。

しかし、『君達』が憂慮するように、おそらくあれでは見逃してしまう小さい物が出てきてしまう。

自分を小さく振る舞い帝國の法から裁られる事を逃れた、本当の『赤い怪物』。

我が子の慈悲深さを理解出来ない奴らがな。

あれでは私達の子はまた風邪を引いてしまう」


顎に手を当てて、わざとらしく心配そうに振る舞うユーリヤはクレアは肩に手を置き、慰めるように言う。


「それは、それは、実に悲しい事ですね。

しかし、優しい首相では陛下と議会がお決めになった法を『一応』破ってはいない彼らを潰してしまう事は出来ないでしょう。

まぁ、例え首相が厳しい『鎮圧方法』を考えても、それ以前に彼の根城たる議会が『暴挙』を許すとは思えませんが」

「たぶん、君達のその予測はまるで『聞いていたかのように』間違っていないだろう。

あぁ、だがこれだと私の愛する『六角形』も怪物達に悩まされているだろうな。

だから是非とも、見てみたい物だ、君達と『六角形』が協力して怪物達を打倒してくれる映画を。

フィナーレは彼らが自らが怪物となった薬を提供した真の敵の名前を叫んだ後に、我が子の中に生まれてきた事を後悔し惨たらしく死んでいく、なんかが最高だと思わないかね?

次回作の期待も多いに高まってしまう、そんな素晴らしい『映画』を見る事が出来たら私は涙を流して喜んでしまうに違いないだろう。

なぁ、君もそう思わないかね?――――帝國参謀総長ミハイル・フォン・ファーレンシルト」


ユーリヤの視線の先にあるのはクレアがいつの間にか持っていた色鮮やかな玉。

それは彼女が喋り終えると発光を止める。


「ふふっ、フィルディナント帝國宰相閣下の願いはきっと近い内に叶うと思いますよ。

それはもう、どんな映画より泣けるような展開が待っているでしょう。

閣下のような特上の観客の願いを私達と『六角形』が聞き届けない筈がないんですから」


見る者によっては天使にも悪魔にも見える笑みを浮かべながら彼女達は嗤い続けていた。


第一話はどうでしたか?楽しめて貰えたら幸いです。

ではでは、次話「軍部」の更新でも皆様に会えるのを楽しみにしております。



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