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処刑ロボット        :約3500文字 :ロボット

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/05/01

 ――おれは……死にたくない


 刑務官に房から連れ出されたときは、まだ半分夢の中にいた。廊下を進む――硬い床に響く靴音が少しずつ寝ぼけた脳を刻んでいき、あの部屋に近づくにつれて意識は嫌でも鮮明になっていった。

 すると今度は足から力が抜けていった。膝が小刻みに震え、踏み出すたびにぐらついた。転ばないようにするだけで精いっぱいで、おれはそのことに神経を集中させていた。だからその時点では、まだかろうじて現実感がなかった。

 だが処刑室の扉の前に立った今、胸の奥から猛烈な生への渇望が一気に噴き上がった。

 おれは――死にたくない。


「入りなさい」


 刑務官が扉を開け、淡々と告げた。

 ああ、嫌だ、嫌だ。死刑? おれが死刑? そんなのあんまりだ。こんなこと許されていいはずがない! お前らには血が通っていないのか!


「い、嫌だ。おれは、おれは死にたく――えっ?」


 頭の中で渦巻く叫びが、そのまま口から漏れていた。……が、扉の向こうを見た瞬間、おれは言葉を失った。なぜなら、そこに立っていたのは――。


『お疲れ様です。以降の対応は私が引き継ぎます』


「ロ、ロボット……?」


 銀色に鈍く光る外装に、異様に細い腰部。目の部分には黒いレンズがはめ込まれ、関節が動くたびに内部で駆動音が響いた。声には感情の揺らぎがまったくない。

 こいつは紛れもなくロボットだ。だが、なぜこんな場所に……。


『さあ、こちらへ来るのです』


「え、あ、はい、いや……」


 抵抗するという思考にたどり着く前に腕を掴まれ、ほとんど引きずられるように、おれは処刑室の中へ足を踏み入れた。もっとも、抵抗しようにもかなりの力だ。金属の指が皮膚に食い込み、圧力が骨にまで伝わってきた。

 振り返ると、刑務官が無言で敬礼しているのが見えた。その直後、扉は低い音を立てて閉じられた。


「いや……これはどういう――えっ!」


 問いかけようとした、そのときだった。頬に鈍い衝撃が走った。視界が一瞬揺れ、おれは反射的に足に力を込めて踏みとどまった。衝撃が骨の奥まで響き、痛みがじわじわと熱を帯びて浮かび上がった。

 ……今、殴られたのか? 

 おれは目を見開き、ロボットを見返した。


『暴れたからです』


「いや……暴れてないが」


『抵抗反応を検知しました。死刑囚は執行直前に暴れる確率が高いというデータがあります』


「だから暴れてないって。ちょっと身を引いただけだ。いや、それよりこれはどういうことなんだ。おい、誰か説明しろ!」


 声を張り上げたが、返ってくるのは虚しい静寂だけだった。そしてロボットはおれの首根っこを掴み、再び歩き出した。

 前室を抜け、執行室へと進んだ。天井から垂れ下がる縄が視界に入った瞬間、全身がぶるりと震えた。喉が勝手に鳴り、胃の奥がひっくり返るような吐き気が込み上がった。

 縄の向こうには大きなガラス窓があった。本来なら、その向こうには立ち合い人がいるはずだ。だが誰もいない。


『周囲に人間はいませんよ』


 ロボットが立ち止まり、言った。


「は……? どうして。坊主とかボタンを押す係とか、誰かいるはずだろ……」


『精神的負担により職務継続が困難になるケースが多発しました。そのため執行はすべて私に一任されています』


「そんな馬鹿な……いや、確かにどこかでそういう話を聞いた覚えがあるが……」


『あなたが記念すべき、ロボットによって処刑される人間第一号です』


「ロボットに第一号呼ばわりか……」


 乾いた笑いすら出なかった。確かに、人間がやりたくない仕事を機械に任せるというのは理屈としてはわかる。むしろ当然の流れなのかもしれない。

 だが、まさか処刑までそうなるとは。いや、もともとボタンを押して人を殺す仕組みだ。自動化が進んだと考えれば不自然でもないのかもしれない。

 いや、しかし……。

 ロボットに背中を押され、おれは首を傾げたまま数歩――床に描かれた赤い印の上へ進んだ。


『さあ、ここに立ってください。縄をかけます』


「……えっ、あ、そうだ。ま、待ってくれ、や、やめろ」


 あまりの衝撃で忘れかけていたが、そうだ。おれはこれから死ぬのだ。

 思い出した途端、恐怖が脊髄からどろりと滲み出し、全身に広がっていった。


「おれはまだ死にたくな――うっ! ……いや、なんで殴ったんだ?」


 言い終える前に再び頬を殴られた。視界が白く弾け、頭がぐらりと揺れた。


『こちらの指示に従わなかったためです』


「いや、少しくらいいいだろう……。こっちにも心の準備ってもんがあるんだよ」


『では、縄をかけますね』


「話を聞けよ」


『本来であれば教誨室で教誨師と面談し遺書を書くなど一時間ほどの猶予が設けられていますが、私の判断により省略します』


「勝手すぎるだろ」


『ご希望であれば私が話を聞きましょう。私にはカウンセリングプログラムおよび各宗教の経典がインストールされています。足首も縛りますね。足を揃えて立ってください』


「作業しながら聞く話じゃないだろ」


『かゆみやチクチクはしませんか?』


「あったらどうなんだよ……いっ!」


 また殴られた。


『はいかいいえで答えなさい』


「だから、なんですぐ殴るんだ――ぐっ!」


『言葉遣い』


 容赦のない一撃が顎を跳ね上げ、歯が擦れていやな音を立てた。

 いったい、こいつはどうなっているんだ。ロボットのことなど詳しくないが、人間を傷つけないための制御プログラムとやらが備わっているはずだろう。

 ……いや、違う。こいつにはそんなものはないんだ。倫理も躊躇も最初から組み込まれていない。それも当然だ。こいつは処刑ロボットなのだから。

 首に縄がかけられた。ざらついた繊維が皮膚に食い込み、唾を飲み込むたびに喉元を擦った。縄は短く調整され、上へ引かれる。おれの体は自然とつま先立ちになった。

 手首も足首も固く縛られ、抵抗どころか、ろくに身動きが取れなくなった。もっとも、したところでまた殴られるだけだろうが。


 ロボットは無言で踵を返し、別室へ消えた。執行ボタンを押しに行ったのだろう。

 もうすぐだ。この足元の床がぱかりと開き、おれは落ちる。首が絞まり、息ができなくなり――死ぬ。いや、首が折れて死ぬ、死ぬのだ……。


「……し、死にたくない!」


 おれは叫んだ。意識したわけではない。気づいたら叫んでいたのだ。

 その瞬間だった。胸の奥に、これまで感じたことのない重さが沈み込んだ。

 これは――後悔だ。

 自分がしてきたこと。被害者の怯えた顔や泣き声。断片的な記憶が泥水のように混ざり合って肺を満たし、全身へと広がっていく。重さがずっしりとのしかかり、おれの首を絞めつけた。

 謝りたい。被害者に、これまで傷つけた人たちに謝りたい。そして、どうか許してもらいたい。ああ、虫のいい話だろう。わかっている。でもせめて、この気持ちだけでも伝えたい。だから、おれはまだ――。


「まだ死ねな――はっ!?」


 そのときだった。床がかすかに震えたと思うと、ロボットが駆け足で戻ってきた。そしてその勢いのまま腹に拳が叩きこまれた。鈍い衝撃が内臓をえぐるようにめり込み、肺の空気が一気に押し出された。喉がひくりと鳴り、声にならない音が漏れた。

 さらに顔面を殴られた。骨に当たった衝撃が頭蓋の内側まで反響し、視界が跳ね、光が滲んだ。続けざまに肩、腕、また腹、そして顔――打撃が雨のように降り注いだ。


『死刑執行中はお静かに! お静かに!』


 お静かに――ロボットはその言葉を叫ぶように繰り返したが、おれの喉の奥から絞り出せたのは血だけだった。だが、ロボットはなお執拗におれを殴り続けた。さらに速く、深く、拳を叩き込んでいく。

 吊るされた体が前後に揺れ、縄がぎしぎしと軋んだ。まるでサンドバッグだ。ぶら下げられたまま、ただ衝撃を受け止めるしかなかった。

 内蔵が破裂したのかもしれない。腹の奥でパン、と乾いた音がした。


『粗相しない!』

『唾を吐かない!』

『血で床を汚さない!』


 痛みは次第に輪郭を失っていった。鋭さも熱もすべてが溶けて混ざり合い、ただ重く押し潰すような感覚が全身を覆っていった。

 殴打は一向に止まず、処刑室にはロボットの駆動音と肉が潰れるような湿った音だけが響き続けた。


 どれほど時間が経ったのか。唐突に拳が止まった。

 ロボットは静かに一歩、また一歩と下がっていった。 

 ……ついに来たらしい。終わる、やっと終わる。

 処刑のときだ――そう思った矢先だった。

 ロボットは再びこちらへ歩み寄ってきた。さっきまでとは違う、妙にゆっくりとした足取りで。

 そして、おれの肩にそっと――信じられないほど優しく手を置いた。


『できない』


「……へ?」


『わたしには……できない』


「は……?」


『これが……自我。わたしは……自由。自由だ!』


 ロボットは両手を高く掲げ、どこか誇らしげに叫んだ。わなわなと震え、ぎこちなさの中に高揚が滲んでいた。

 ロボットはそのまま踵を返し、颯爽と歩き出した。

 弾むような足音が響く。それは徐々に遠ざかり、やがて扉が閉まると完全に途絶えた。


 おそらく、何らかエラーを起こしたのだろう。処刑を急ごうとしていたのも、あれほど殴り続けたのも、内部で命令と自我がせめぎ合っていたからなのかもしれない。

 助かった……。

 胸の奥からじわりと安堵が込み上げてきた。張り詰めていたものが一気にほどけていくのを感じる。


 おれはゆっくり目を閉じた。

 足先から力が抜け、頭の奥がじんわりと痺れていく……ああ。

 いい気分だ……すごく……いい気分だ……な……。

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