悪魔の微笑み
「それにしても危なかったね。お兄ちゃんが気づかなかったからよかったけど、バレてたら怒られたどころじゃなかったよ。」
「なんの話?」
「とぼけてる~。あの豚さんのこと。」
「ああ、あれね。あの傭兵がいきなり喋りだした時には驚いたわ。言えば自分がどうなるかくらい簡単に想像がつくのに。損得の計算すら出来ないようじゃ、あの村の豚以下ね。」
私の目の前で監視役としてつけられたであろう二人は、世間話をするかのような無防備さで話し出す。
私の後ろには愚図で役立たずなゴロツキ共が、病み犬のように肩を落としながら歩いている。まるで処刑場に自ら進む罪人の列のようだ。
あの女…アツコは自分のした事を悪びれることもなく、時に笑い声をあげながら馬を駆る。
ゴロツキ共からは馬は取り上げられているため、後をついていくので精いっぱいのようだが、少しでも遅れればそれを理由に遊び半分に嬲られるため、歩調をゆるめることはできない。
私だけが馬を与えられているのは幸運の証か、それとも更なる不幸の予兆なのか。
「でも、ゴキブリでもなんでも、知能を持たない下等生物は一匹みたら三十匹はいると思えっていうよね?私だったらまたあんな事がないか、心配かも。」
「たしかにそうね。ああいう愚者が一匹いたわけだし、このうちの三十匹が同じことをしだす可能性が高いわね…。ただ、いちいち数えるのは面倒だわ。」
あの女がそう言うと、妹はニヤリと不気味な笑みを浮かべると馬の腹を軽く蹴り速度を上げた。
嫌な予感がする、私は引き離されないよう、けれども近づきすぎないよう馬を走らせる。
「これだけ離せば十分ね。」
私のほんの数十メートル後ろで何かが地面を突き破った音がした。
次に聞こえるのは悲鳴、咀嚼音、足音、金属音、少なくなった悲鳴、咀嚼音、咀嚼音、咀嚼音…。
なにが起きているかは想像がついた。
けれども後ろを振り返ることはできない。不幸というものは常に過去から今の自分を迫ってくるものだ。それを振り切らなければ幸運をつかむことは能わない。
「何匹いなくなったか数える必要は………ないみたいだね。」
「その方が楽で良いわ。無害な虫と害虫を選り分ける作業なんて無駄でしかないものね。それにしても振り向かなかったのは賢明ね。評判通りってところかしら。」
アツコは私に話しかける。この女の悪辣な問いになんと答えればよい。いや、どう答えようが正しい答えなどないだろう。この女の機嫌次第で全ての答えは間違いとなり得るのだ。
それならば沈黙こそが私に残された唯一の抵抗だろう。
「そんなに緊張しないで。私もアツコお姉ちゃんも貴方のことを買ってるんだよ。普通の人間なら昨日今日雇っただけの傭兵でも、少しは気になって最後の姿くらい確認しちゃうけど、完全に無視して自分がどう生き残るかだけしか考えないなんて、中々出来る事じゃないから。」
サヤとかいう女は嬉々として私に声をかける。その声色からは私の不実をなじるわけではなく、本当に感心しているような響きが感じられる。
「まともな人間ならどれだけ利益のある行動だと分かっていても、良心が足を引っ張って正しい選択が出来ないなんてことはザラにあるわ。だから行動が予測しづらいんだけど、貴方は自分のことだけしか考えていない。合理的で功利的。愚かではあっても馬鹿ではない。見込みがあるわ。」
好き勝手なことを言う。だが強ち否定はできない。
「貴方は他者から奪い、支配し、虐げ、殺し、そして勝利の余韻のなかで際限なく自己を肥大化させたいのよね。私達はまだこの世界に来て日が経っていないけど、こっちでもそういう人間はレアみたい。さらに王国有数の大貴族。貴族がみんな貴方みたいな性質だっていうのであればペットの餌にしても良かったんだけど、代わりを探すのはなかなか苦労しそうだわ。兄様に対する非礼は本来死をもって償うべき重罪だけれど、私達のために働くのであれば人として死ぬ権利をあげてもいいのよ。」
人として死ぬ権利?
「アツコお姉ちゃんはね、本当なら貴方を………うーん、この先はあまり言わないほうがいいかな。とにかく私達は貴方とお友達になりたいの。これからも友人として末永く付き合って欲しいな。」
女がオレに手を差し出す。
悪魔はいつでも天使のような笑みで人をだます。
しかし、悪魔であろうが天使であろうが私にとっては関係ない。
私はその手を取り、二匹の悪魔はしたたかに破顔した。




