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将棋部との絡み

「今日、パソコン部行っていい?」

「いいけど……?」


「なんかあったん?」


「何?また情報収集?」

「ま、そんなとこ」


 小林は、俺の知らない女子と向かい合って何か喋っていた途中だったらしい。てっきり俺と小林は“モテない仲間”だと思っていたから、なんだか追いていかれた気分がする。

まぁ、別に「喋っている」というだけの話なんだが。女子と喋るという経験が異様に少なかった俺からすれば、距離感感じるには十分な現象だった。

 

「村椿、ちょい一局手伝ってくれねぇか」


どうやら将棋を指したいたらしい。


「石田女流女人が来てくれてるから稽古付けて貰っとるんやけどさ」

誰だよ、「石田女流名人」て。

「もう全然勝てんがんよ。だからさ、ちょっと横から智慧貸してくれん?」



 そんなこと言われても俺は将棋なんてロクに打てない。コマの動かし方を一通り覚えている程度で、精々小学校の時に宿泊合宿で『少年自然の家』とかいう場所で暇つぶしにクラスメイトと打ってた程度だ。


「お前、良く言ってんじゃん。卓球は『徒競走しながら将棋を指すような競技』とかなんとか」

「いや、それ比喩やから」

「まーまー、そう言わずに」


そう言われ、キーボードから手を放して小林の下へ向かった。

 湯上さんは4組の女子。小柄で眉毛が太く、ツンツンとはねた髪型が特徴的なキリっとした人だった。

 パソコン部の部員だが、部内では「将棋同好会会長」とイジられる程の将棋好きで、基本的には将棋を売ってるだけ。

 一応パソコン部の部員として何かしらパソコンに絡めた活動をしなければならない、ということで将棋のPCゲームを創ったり、実況動画を編集したりしているらしく、Vチューバ―として活動する計画も進行中だそうだ。


 どんなものかと思いながら、しばらく小林の横に手近な椅子のキャスター滑らせると、座り込んで見物していた。


「……強ッッ」

「やろ!?」


 湯上さんは、滅茶苦茶将棋が強かった。

 指し方からして、俺みたいな素人には理解できない。

 例えば、自分の銀将が俺達の歩兵にやられそうになっているのに放置したり、馬という最強クラスのコマが俺達の香車に取られそうになっているのに、それをあっさり捨てて代わりに俺達の金将を取りに来たり……。

 そこだけ切り取ってみたら、明らかに俺達が弱い駒で強い駒をとる、という有利な状況だ。

 だが、気がつけば俺達はすっかりやりくるめられてしまう。

 気がつけば自分たちの飛車が相手のと金に追い込まれて逃げ場がなくなってたり、桂馬とかいうワケワカラン変な動きをする駒の射程にこっちの金と銀が同時におさめられて、どっちか片方を犠牲にしなければいけなくなったり……。

 もう訳が分からないまにやりこめられてしまう。


 そんな一手一手に、俺ら男子二人がヤイヤイヤイと騒いでいる中、対する湯上さんは流石女流名人というだけあって全く動じていなかった。

 一言も発さずに長い睫毛の奥から鋭い視線を盤へ向けて発し続け、ガサガサと窓の外で金木犀の葉が夏風に揺れる音を背にして黙り込んでいた。


「ちょい、俺トイレ行ってくるじゃあ。後はお前ひとりで打っといて」

「え、マジ?」

 只でさえやり込まれてんのに、俺一人で太刀打ちできるわけがない。それ以前に、俺にとってはこの将棋指しのツリ目女子は初対面なんだぞ。

「お、おぉ」

 直接喋ったことがないから、何とも気まずい。


 先に口を開いたのは、女流名人の方だった。

「小林と仲いいんやね」

 将棋盤から目を上げないまま。

「ん?まぁ、そやね」

「卓球部なんやね。ここのパソコンを私物みたいに扱って、よく調べものしとるけど」

「やったら、一球でも多く練習すればいいと私は思うけど、それって間違いなんかな」

「え?」

 直球かよ。

 ほぼ初めてまともに話相手に、

「まぁ……そーやね。それも一理あるって感じやと思う」

 声に迷いがないな。語尾に「?」がつくような語調で喋ったりするもんだろ、フツー。

 言葉遣いには見た目通りの気の強さが感じられるが、声質は繊細な性格をイメージさせう細い声色だった。ちょっと有磯さんに似てるが、アノ人ほど威圧感はない。

「たださ、ずっと卓球部におるんもキツいんぜ。息が詰まるっていうか……」


「限界を感じてしまうんぜ。動体視力がないもんやから にはついて行けない。元々の身体能力が低いから大きいラリーには 手先が不器用だから 」


「もう、将棋で言う所の『歩』やよね。持って生まれた実力がさ」

「鍛えないんですか。実力を底上げすれば解決する話ばかりでした。今のは」

「いや、当然それはやるって。けど、筋トレをやっても元の骨が細いし筋肉も少ない。体も堅いし。人として、スタートダッシュに遅れとるんゼ」

 弱点を克服するための努力で、自分が無能だと思い知るなんて思わなかった。

 それに、有磯が言っていたことだってある。

「もう、ここまでくるとさ、時間的な問題も出てくんにか。間に合わんやろ。高校生活3年――いや、部活の引退までやったら実質2年か。八方ふさがりやもん」

 目の前の将棋盤では、攻めたてていた銀が敵の金に寄られて

 いつだって、強いのは元々の性能が高い方だ。

「限界感じることも多いもん……もう、ダメなんかなって」

 俺、何で初めてまともに話す人相手にこんなぶっちゃけてるんだろうね?

「そうですかね」

 将棋盤を睨みながら呟いた。カリ、カリ、と白く小さな掌の中で駒を擦る音が聞こえる。

「私には、アナタの詰み筋が見えんがやけど」

 あ、タメ口になった。てか、二人称で「アナタ」って初めて使われたかもしれない。

「まだ持ち時間はいくらでもあるから、いくらでも長考できるし」

「いや、けど2年じゃ――」

「――あなたの人生は高校生活で絶えるんですか」

 俺のネガティブな言葉を遮るように告げる。……ってか、また敬語に戻ったな。

「アナタはただ、序盤戦で大駒を取られたことを重く受け止め過ぎてるだけ」

 そういうと、俺の陣地に攻め込んでいた歩がと金に成った。

「もしくは、駒落ち将棋のハンデを過敏に計算しているだけ」

 ひとつ前にしか進めなかった歩から成りあがったと金は、今まで進めなかった右に動くと、俺の王の退路を潰してきた。

「そして、アナタが『弱い』という意味合いでつかった“使い捨て”の一兵卒である『歩』は、『と金』に成れば金将という将と同格の力を持ちます。それ以前に――」

 ピシリ――木のぶつかり合う鋭い音を立てて、1枚の歩を俺の飛車の前に打った。

「使い捨ての歩は、捨てられたって相手の持ち駒になったり、此方の持ち駒になったりを繰り返して将棋盤を巡り、何度だって闘いの場に立ち上がってきます」

 俺の飛車の前でプレッシャーをかけている、一枚のと金に頭を悩ませる。

 マズイ。飛車という貴重な戦力を取られたらもう絶対勝てないだろう。

 小林から「せめて飛車くらいは護っとって」と言われている以上、飛車は取られるわけにはいかないんだが、丁度いい逃げ場がみつからない。かといって、目の前の歩を取れば次の手で後ろに控えている金将の餌食になってしまう。

「付け加えると、将棋において『一歩千金』『歩の無い将棋は負け将棋』『と金のおそはや』『まむしのと金』……。歩の強さを謳った格言はいくつもあります。これは将棋指しにとっては常識です」

 考えるが、上手い手が見つからない。

「歩をぞんざいに扱い、取った取られたを意識しない程軽く扱うのは初心者の証拠。将棋のいろはを心得た者は、歩の1枚で戦局を左右させます」

 飛車の逃げ道を探しながら、聞こえてくる小林さんの言葉を頭の中で咀嚼する。

 励ましてもらってるみたいだけど、俺別に将棋詳しくないから理解できてる自身がない。

 それに、一つ引っかかるポイントもある。

「いや、けどさっき湯上さん、『大ゴマを取られたことを気にし過ぎ』みたいなこと言ってなかった?それと今の言った内容って矛盾しとらんけ?」

「してません。何故なら、言葉の裏にある状況が違うので」

「状況……」

「大ゴマをとられる 。一方、

「要は、気の持ちようってことすか?」

「気持ち以上に、勝負で大切なものがありますか?才能や時間の限界……それはあくまでも、気力を振り絞ったあとに考えるものです。『人事を尽くして天命を待つ』と言うでしょう。才能や時間のように、人の手でどうにもできない天命の類は、人事を尽くしたあとにやるものです」

 『まずやってからじゃない?』『それはもう、ウチにとってはギャンブルやから』。なんだか、藤さんが言ってたことを思い出す。


「……ちなみにですけど、アナタの飛車はもう逃げ場がありませんよ」

「……マジすか……」

「はい。では、遠慮なく頂きますね」

 慣れた手つきで飛車をつまみ上げると、ピシリと言って、歩を進めた。盤上には、俺の飛車を取った歩と、王の逃げ場を塞いでいると金が幅を利かせている。

「圧倒的だね……」

「当然です。経験が違うんですから」

「……俺も、もし卓球の初心者と本気で試合したら

 藤さんとの卓球を思い出す。アノ人は、何というか単純な人だから色々と驚いてくれたけど、もしも湯上さんみたいな理屈っぽい人を相手に卓球をやって、俺はこんなに格の違いを見せつけられるのだろうか。

 いや、出来ない。


「卓球には張本智和っていう天才がいてさ。 でもそれって見方変えたらさ、普通の選手体が何人もやられてるってことなんよね。 そういう人のコト考えると」

「考え過ぎなんですよ。アナタはあくまでも一介の卓球部員の高校生なんです 大きすぎる目標は、相対的に自分を小さく見せますから卑屈な精神を育てかねませんよ」

 アンタには「考え過ぎ」とか言われたくないんだけどな。

「将棋だってさ、藤井7段とかおんにか。

 張本智和と同年代の

「アぁいう人がさ、それこそ経験でも努力量でも勝る大人をバンバン倒しとるやろ?『あぁ、やっぱりどうにもならないことってあるんだな』ってネガティブなこと考えてしまわん?」

「……では聴きますが、その張本選手とやらに負けた選手を、アナタは嫌いになりますか?

「そんなわけないやん」

 水谷隼 サムソノフ 


 彼らに日本代表の座を奪われている大矢英俊や高木和卓など、個性的で魅力的なプレーをする選手はいくらでもいるし、そんな人たちに対する憧れが俺のモチベーションだ。

「そこの勝敗関係なしに、メッチャ好きやもん」

「――私もですよ」

 将棋盤を悠然と見下ろしながら、湯上さんは断言した。

「藤井聡に負けた棋士の方々に、惚れ惚れするような方が幾らもいます。――“強さという優劣のつけ方”だけが、物事の価値じゃないんですから」

“強さと言う優劣のつけ方”という言葉が、なんだか胸に刺さった。

「そもそもアナタは、『自分が勝利する』という行き先を間違えてるんじゃないですか」

「は?」

 スポーツは強くなって 。勿論「スポーツを通じて人間性を成長させる」とか「健全な肉体に健全な精神が宿る」傾向があるのは間違いない。俺が好きな個性的な選手だって、あくまでも勝利を目指して個性が磨かれたはずだ。


「例えば歩は に向いてますが、 には使えません。 あくまでも最終目標は

 小さな指が ツンと素っ気ない雰囲気を醸しながら駒を配置した。

「歩がどうなろうが、将棋は終わりません。アナタがどうなろうが、世界は終わりません。だけど、歩が 王が勝者になる物語に幕が下ります」


「銀でもなく金でもなく、飛車でも角でも、当然王にも生まれなかった。 だからこそ出来る活躍があるに決まってるじゃないですか。何度でも将棋盤を目まぐるしく駆け回る歩兵にしか出来ない仕事があるんです」


「アナタにしか出来ない仕事があるんです」


「アナタは、誰か勝たせてあげたい王はいませんか?」

 頭に浮かんだのは、ノートに書きつけた理想。

そして――あの日、中学生の時にみた光景。地区大会では毎年上位に来ていた志津田という選手を破って見せた選手・四十内大地だった。

俊敏な動きで 白惣優兎だった。

 俺を圧倒した佐々原だった。

初の練習で 石動昴流だった。


「ありがとう。何か……何かが見えた気がした」

 俺がそう告げると、一瞬困ったように目をパチパチと動かした。

「役に立てたのなら、幸いです。」

 また伏し目に戻って、ポツリと声を漏らした。

「もっとも―――心のどこかで、もうとっくに気づいてるはずですよ。漠然と。人間が、本気で『無駄』だと思ってることに血道上げるハズありませんから」

 蝉しぐれを浴びながら、長考に入った石田は

「俺、もうちょい頑張ってみるわ」

 そう言って、端の方で特に活躍することなく居座ってた桂馬を跳ねさせた。

 今、この瞬間は役に立たないし、後々役に立つかは、俺にも解らない。だけどこのままとどまっているばっかりじゃ、活躍するチャンスだってないだろう。

「その意気です。……ま、とりあえず、この一局は詰んでますが」

「え」

「もう詰んでいます。どうあがいても勝てません」

「え」

「よく観察してください。“詰み筋”が出来上がっています」

 そう言われても、詰み筋とやらは全く解らなかった。 ⇒石田に負ける将棋と一緒じゃん

「そ……っか。駄目か、これ」

「はい。だから次ですね」

 ザラザラと音を立てて、駒を掻き集めると、もう一度並べ直していく。

「負ける、悔やむ、考える、気付く、学ぶ、挑む……この繰り返しですよ」

 淡々と語りながら、そう言った。

 やっぱり、小学校から何かに打ち込んでいた人の言葉って言うのは、全く違うジャンルの人でも重みがある。

 つい湯上さんの存在感へと見惚れてしまう、トイレに言っていた小林が帰って来た。

「おい、聴いてくれよ君達!さっきトイレいってきたら蛇口からガスで沸かしたみてぇに温まったお湯が出て来てさ……ってハァ!?負けとんにかよ!ちょっと小便しにいっとった間に!」

 その後も俺らコンビは石田女流迷人に立ち向かったが、一向に歯が立たないままやられっぱなしだった。


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