蠢く悪意(5)
レンの側に座ったアナスタシアは、ターニャに指示をだして布や水を用意させている。レンはずっと右手で左腕を押さえていた。
「レン殿下、服を脱いでくださいませ。」
「私を脱がせてどうする?」
へらず口を言うレンに、思わず呆れた顔をするアナスタシア。
「脱がせてもいいなら、エリザベス様にお願いしますわ。」
「わかった、それだけはやめてほしい。」
シャツの袖が血で汚れていて一部はすでに乾いていたが、手を離すと血が更に滲み始める。シャツを脱いだレンの体は、予想外にしっかりとした筋肉がついていた。傷は深くはないようだったが、まだ血が出続けている。
「しみますよ。腕を・・・」
そう言ってアナスタシアは傷口を洗い、つぶしておいた薬草を塗りつけ、ハンカチで強く傷口をしばる。レンはたまに顔をゆがませるが、何もいわずアナスタシアの指示に従っていた。
「つっ・・・」
「どうした?」
「薬草の刺激が強かったようですわ。」
薬草をレンの腕に塗り込んだ時、小指の痣に鋭い痛みが走った。痣は怪我ではないはずだが、薬草が染みたのかもとアナスタシアは思ったのだった。
「すまない。私のように嫌な奴にまで優しいんだな。」
レンはいつもの気怠げな様子ではなく、騎士のような凛とした佇まいを見せている。アナスタシアはレンの予想外な姿に目をみはらせた。
「・・・こちらこそ、ありがとうございます。命をなくすところでした。」
「いや、駆け寄ったときには矢の軌道は外れていたらしい。私の体が範囲内に入ってしまっただけだ、気にするな。」
「私にはそこまでわかりませんわ。助けていただいたことに違いはありません。・・・応急処置ですが、あとは王宮で医者へ見てもらってくださいませ。」
「ありがとう。それと・・・夜会の時はすまなかった。その、あの時はあまり良くない噂が耳に入っててな。ユージンが見かけに騙されていると思ったんだ。」
「謝罪は受け入れましたわ。ただ、あの方法は褒められたものではないと思ってます。」
「本当にすまなかった・・・」
「今回の事で貸し借り無しです。・・・それでは失礼します。」
本当に申し訳なさそうな顔のレンを残してアナスタシアはその場を去った。謝罪は受け入れたが、気持ちはまだ複雑なものがうずまいていて、どのような顔をしていいのか分からなかった。
「お嬢様、こちらを。」
アナスタシアはターニャに預けていた指輪を小指へはめようとして違和感を感じた。痣を良く見ると、龍の指のあたりに線が増えていたのだ、どうやら指の本数が増えたみたいだった。アナスタシアはなぜ増えたのか分からなかったが、不安を覚えてユージンに無性に会いたくなった。
「早く帰って来てほしい・・・」
「お嬢様?」
「帰りましょうか。セルゲイ殿下は?」
「ナツ様についてエリザベス様の邸宅へ。」
「そう、それじゃ私たちは先に屋敷に戻りましょうか。」
先ほど見たナツは確かに顔色が悪かったことを思い出したアナスタシアは、セルゲイがついていってくれたと聞いてほっとした。環境が改善したとはいえ、まだたいして時間もたっていないのだから心の傷口はいつ開いてもおかしくない。
屋敷に戻ると出迎えたセバスチアンが、アナスタシアの姿を見て怪我がないのかと顔色を変えた。言葉だけでは信じてもらえず、ギズがないことを確認されて何もないことがわかると、セバスチアンはお疲れでしょうと、なぜか温室へとアナスタシアを温室へ連れて行く。
「アナスタシア!どこか怪我したのか!」
温室へ入ると会いたいと思っていたユージンが、アナスタシアへ向かって走ってくる。そして腕をとって傷がないか確かめようとした。
「ユージン殿下、お嬢様に怪我はございません。」
袖をまくろうとしたユージンをセバスチアンが慌てて止める。そして、テーブルへ座るよう促した。
「いつお戻りに?」
「先ほどだ、守れなくてすまなかった。無事でよかった・・・」
ユージンはアナスタシアの両手をにぎって、アナスタシアの存在を確かめるように口元にあてる。
アナスタシアは、少し頬を染めてユージンの祈るような姿を見つめている。
「今日のことはすでにご存知ですのね・・・」
「叔母上に会ったときに、アナスタシアの身が危ない事を知ったんだが・・・ついた時にはすでにすべてが終わっていた。」
「フウカ様はご存知でしたの?・・・これは?」
詳しく聞こうとしたが、ユージンの左腕には布が巻かれているのに気がついた。それに少しだが血が滲んでいたのだ。
「あぁ、忘れていた。途中で賊にあったんだが、その際に少し切ってしまった。手当てはしてあるので心配するな。」
「賊に・・・。ユージンが無事でよかったですわ・・・。」
アナスタシアの目から涙がこぼれ落ちる。今まで張り詰めていたものが急にゆるみ、同時に弓で襲われたときの怖さも遅れてやってきた。急に手が冷たくなり、わずかに震えるアナスタシアにユージンは、手をそのまま引き寄せ胸元に寄せた。
「このとおり、生きている。それに傷つける者はいない。」
そして、安心しろと言わんばかりに少しばかり力をこめて抱きしめた。アナスタシアもユージンの背にそろそろと手を回し、存在を確かめるかのように抱きしめる。
「アナスタシア・・・好きだ・・・」
アナスタシアが抱きしめ返してくれたことに幸せを感じておもわず声に出たユージン。
ユージンはアナスタシアの髪に口づけを落とした。顔を近づけると桜の香りがする。自分のプレゼントした香りをまとってくれるアナスタシアに愛しさが込み上げる。
ユージンは体を少し離すと、アナスタシアのあごに手を添えて目線を合わせた。そして、アナスタシアの唇を親指でなぞる。
アナスタシアは次に起こることを予感したのか、潤んだ瞳をそっと目を閉じた。
ユージンは目を見開いたあと、壊れ物に触れるかのように口づけをゆっくりと落とす。
アナスタシアの唇はしっとりとして柔らかい、ずっとしていたいと思ったユージンだが、アナスタシアの緊張が伝わってきた。名残惜しいようにゆっくりと離れるくちびる。
鼻がつくかつかないかの距離でアナスタシアと見つめ合う。お互いの目に色が映り合っていた。
「生きて会えてよかった。」
その言葉に嬉しそうに微笑むアナスタシア。ユージンも同じように笑顔を浮かべている。
そして、再びユージンはアナスタシアに口づけを落とした。アナスタシアも次は肩の力を抜いて受け入れるのだった。
次は少し長めに・・・
評価ありがとうございました。少しでも楽しめますように。




