34・舞踏会の夜④
「……クラーラ、こちらへ」
ユーリイ国王陛下の言葉に、大広間からざわめきが消えた。
代わりに奇妙な緊張感が辺りに満ちる。
ヴェールで顔を隠した小柄な人物が、ユーリイ国王陛下の差し出した手に自分の手を預けた。
ふたりは並んで、大広間の人々に顔を向ける。
もっともヴェールはそのままだったけど。
「親愛なるみなさん、私は今ここに、彼女クラーラとの婚約を発表する。バグローヴィ辺境伯令嬢イオアンナとの突然の婚約破棄については、みなさんもいろいろと考えを巡らせていたことだろう」
大広間は水を打ったように静まり返っている。
ユーリイ国王陛下は、ちらりと異国風の服を着た男性に目を向けた。
「ちょうどそのころ発生した隣国リョート王国での革命と関連付けて、国内の世論を操作するためだったのではないかと疑っていたものもいるかもしれない。しかし違う。すべては私のワガママ、恋情から生じたことだ」
……ユーリア。わたし以外の人と婚約するとは聞いていたけど、もう少しやり方ってものがあるんじゃないかしら。
この前フォマーに言われた通り、甘やかし過ぎてしまったのかもしれない幼なじみの澄んだ紫色の瞳に見つめられて、わたしは口を開いた。
「ご婚約おめでとうございます、陛下」
それから両手を打ち合わせて拍手を送る。
これでいいのよね? ユーリア?
どうせさらに裏や企みがあるんでしょう?
そりゃ武竜バカのわたしだから聞かされても理解できるとは思えないけど、それでもいつかきちんと説明してよね。
「おめでとうございます、陛下」
「国王陛下と婚約者殿に祝福を!」
わたしが拍手を始めると、ほかの貴族の方々も祝福を口にし始めた。
拍手の波も大広間を覆い尽くしそうなほど大きくなっていく。
とん、とダヴィートにつつかれた。
「……知ってたのか?」
「……うっすらとは」
「……そうか」
心なしか、彼は嬉しそうだった。
わたしが完全な自由の身になったからだろうか……なんてね。
神聖ダリェコー教国の教主さまも笑顔で拍手を送っている。
正義感の強いヴァルヴァーラさまは少々不満げな表情をなさっていたが、隣に立つ麗しのゴトフリート大公閣下に微笑みかけられて拍手を始めた。
まあ、わたしはユーリアが幸せならそれでいい。
それでいいのだけれど、どうしても気になることがある。
新しい婚約者として紹介されたクラーラ嬢の胸元に浮かぶ、六弁の花びらが円を描く赤紫色のアザの存在だ。
あれは、狂信者によって創られた邪神の巫女の証。
だれにも知られてはいけないもののはず。
白粉やドレスの意匠で誤魔化すことはできなかったの?
わざと見せているのだとしたら──イヤな予感がして、心臓がドクンと跳ね上がった。
「……イオアンナ?」
わたしの様子に気づいて、ダヴィートが心配そうな視線を向けてくる。
「ごめんなさい、ダヴィート。なんでもないの」
裏があるのは間違いないとしても、この場で騒動は起きないだろう。
ユーリア、無茶なこと考えてないといいなあ。
わたしの幼なじみは他人を囮にするような真似はしないと思うけど。
「なんでもないってことはないだろ。かつての婚約者が自分以外の人間と婚約したんだ。未練がなくったって複雑な気持ちになるさ。それとも……未練あるのか?」
不安げに尋ねてくるダヴィートは、なんだかとっても可愛く見えた。
「……くっくっく」
大広間は祝福の言葉と拍手の音で満ちていたのに、その嘲笑は妙にはっきりと耳朶を打った。
注目の的であるユーリイ国王陛下のすぐ近くにいる人間の口から紡ぎ出されたものだったからかもしれない。
ヴェールで顔を隠した小柄な人物の唇から出た声ではない。
異国風、隣国リョートの装束を着た男性からでもない。
嘲笑を響かせたのは、竜神教の司教だった。
「わざわざ我らを招くからにはなにか企んでいるのだろうと思ってはいたが、この程度とは笑わせる。我らはな、もう巫女など欲していないのだ。だが生け贄としてならもらってやろう!」
彼は笑いながら、自分の持つ黄金の杖から手を放す。
杖はくねり捻じれ、細く伸びて絡まり形を変えていく。
──竜の姿へ。
それは先日地下迷宮で見たものよりも小さかったが、
間違いなく穢された武竜そのものだった。
細く伸びた金属の骨で構成された竜は人間ほどの大きさがある。
「いやああぁぁぁっ!」
アドリアナ嬢の恐怖の叫びが大広間を貫く。
(……鱗ノ印、食イモノ……)
災霊と同じ永遠の飢餓に突き動かされた穢された武竜は、クラーラ嬢へと飛びかかった。
「危ないっ!」
ユーリイ国王陛下がクラーラ嬢を庇い、背中に穢された武竜の爪を受けた。
正装のマントが破られる。
「そんなっ!」
ずっと怯えた様子だったリョートの男性が司教──いや、狂信者を見つめる。
「あ、あなたは違うと……我が国の民を生け贄に捧げて邪神を復活させようとしている輩とは違う、本当の竜神教徒だとおっしゃっていたではないですか。邪神を崇める狂信者たちから、我が国の民を守ってくださるのではなかったのですか」
「狂信者? それはそちらのことだろう。闇の竜母さまとともにこの間違った世界を壊し新しい世界を創る、我らこそが真の竜神教徒よ!」
「戯言を!」
神聖ダリェコー教国の教主さまがご自分の黄金の杖を振るった。
杖の先に竜の頭の幻影が重なり、その口が黄金の雷を放つ。
「ははっ」
狂信者は笑いながらリョートの男性をつかみ、自分の前に移動させて盾にした。
男性の胸に黄金の雷が突き刺さり、霧散する。
「ぐええぇぇっ」
「くっくっく。我ら真の竜神教徒は争い合って自滅した竜になど頼らぬ。武竜などただの道具。我ら自身の力で戦うのよ」
もちろんほかの人間も黙って見ていたわけではない。
「陛下っ!」
近衛騎士はユーリイ国王陛下とクラーラを支えて逃がすものと穢された武竜の前に立ち塞がるもの、そして列席している貴族を避難誘導するものに分かれて行動している。
「俺も行ってくる」
「ダヴィート、わたしも!」
「なにをおっしゃってるんです。イオアンナさまはこちらです!」
「ヴァルヴァーラ嬢、みなさんをお願いしますね」
「はい、ゴトフリート閣下」
武竜の契約者たちが穢された武竜と狂信者へと向かう中、わたしはヴァルヴァーラさまに腕をつかまれて大広間から引きずり出された。
穢された武竜は地下迷宮のときよりも小さい代わりに敏捷だった。
ユーリイ国王陛下とクラーラ嬢──ふたりは列席者とはべつの方向へと逃げていった──の姿が消えると、大広間中を動き回って手当たり次第に攻撃をし始めたのだ。
「アドリアナさまもご無事ですか?」
ヴァルヴァーラさまはアドリアナ嬢も一緒に避難させていた。
「……はい。私……」
地下迷宮での恐怖が蘇ったのだろう。彼女の美しい顔は涙でグチャグチャになっていた。
貴族だけでなく、侍女や従者たちも外に出たようだ。
大広間の扉が閉められる。
戦うものの邪魔をしないのも大事なことだ。
今はおとなしく去るしかない。
わかっている。わかっているけれど……ダヴィートと、ユーリアたちのことが心配でならなかった。
左足に巻きついた、わたしの武竜の名前を呼ぶ。
(……光の竜王姫……)
(焦るでない。そなたにはそなたの仕事がある)
……わたしの仕事?




