◆43◆ファーストステイ
「取材でねー、来週からロンドンに行くことになったのよー。ことちゃんもう中学生だしぃ、夏休みだしぃ、ひとりでお留守番できるわよねー?」
ママに頷かされたのは、夏休みに入って1週間後のことだった。
ご機嫌でトランクに荷物をポイポイ放り込むママ。ウンとしか言いようがなかろう。嫌味たっぷりに「いちごマカロンとだろ?」とツッコんでやりたい衝動をぐっとこらえた。
それでも、いいこちゃんでいる必要の無い10日間になるのだと気付いたので、笑顔でいってらっしゃいと言えた。いちごマカロンでもオレンジくず餅でもメロンぼたもちでも、どうでもいいからいってらっしゃいと心から思えた。
……のは、数時間に終わった……。
ママが旅立った数時間後、冷蔵庫が突然「ブイーーーン!」という断末魔の悲鳴を最後に沈黙したのだ。
驚いて恐る恐る開いてみると、中の照明が消え、冷気も止まっていた。困った時の再起動!と思いコンセントを抜き差しするも虚しく、冷蔵庫さんは二度と息を吹き返すことはなかった。
普段から放置プレイ気味のママだが、作り置きや冷凍食品は用意しておいてくれていたので、今まで夕飯には不満を感じることはなかった。今回も何品かのおかずを作り置きしておいてくれたのだが、それらも真夏の室温では残念ながら2日ともたない……。
哀れ御影湖渡子。さて、困った……。
初夜はひとまず作り置きを消費するため、吐きそうになるまで胃袋に流し込んだ。
翌日、ママに電話をしたが、まだフライト中なのか繋がらなかった。覗き込んだ冷蔵庫内ではすでに牛乳が生臭くなっていたので、心の中でごめんなさいをしながらシンクに流した。
なるべく廃棄するものを減らそうと試みるが、私独りの胃袋では2日分がやっとだ。時間が経つにつれ増幅していく食中毒の恐怖に負け、生ゴミだけが増えていった……。
仕方がないので、3日目からはコンビニ飯で過ごした。やっと連絡のついたママは呑気に「あららぁ、じゃあことちゃんの決済アプリにチャージしておくから、なるべく栄養のバランス偏らないように買って食べてねぇ? 冷蔵庫はママが帰ったら新しいの買うわねー」とのことだった。あまりにも人ごと過ぎて苦笑いするしかなかった。仮にも成長期なのだが?
だが、さすがにコンビニ飯が3日間も続けば、飽きもあるのか何を食べていいのか分からなくなってきた。別のコンビニにも足を延ばしてみたが、やはり結果は同じだった。どうやらそういう問題ではないらしい……。
「あぢぃ……」
何を隠そう、うちはエアコンもオンボロである。効きが悪い上に冷たい飲み物やアイスがストックできないので、日中は蒸し風呂地獄なのだ。なおかつ、最低でも1日2度はご飯の調達に徘徊しなければならない。炎天下の灼熱地獄も手伝って、私は確実に夏バテまっしぐらだったのだ。
せめて日中だけでもエアコンの下にいなければ、今度は熱中症まっしぐらになってしまう……。小3の冬、インフルエンザにかかった時は、ママはすっ飛んで帰ってきてくれたな……なんて思い出しながら6日目の夜を過ごした。
7日目、私は図書館へ向かった。なぜもっと早く思いつかなかったのか……。残金数百円のお財布とライブラリーカード、ついでに宿題をバッグに入れ、血肉を求めるゾンビのごとく家を出た。
図書館内は飮食禁止だ。その代わり、ここの図書館には小さいけれど飮食スペースが設けられている。スマホ決済ができない自販機なので、残金を数えつつ小銭を投入し、久しぶりに氷入りの炭酸飲料を飲んだ。もちろん一気飲みなのは言うまでも無い。
オアシスだ。図書館様々だ。ドリンクを買わなければ無料で使用できるなんてパラダイスでしかない!
体の熱が内側から冷まされていく。空腹感は残っているが、食べれそうなものが思いついたら買いに行くことにしよう。足取りも心なしか軽くなった。
真っ先に向かったマンガコーナーには小学生が群れていたのでUターン。比較的学生率の高い文庫本コーナーに腰を下ろした。
天国じゃぁぁぁぁ……!
「湖渡子ちゃん?」
冷気を受けてひんやり気持ちのいいテーブルにつっぷしかけたところで、斜め前に座っていた少年が声をかけてきた。
「あ、藍ちゃん!」
すぐに「しー」と唇に人差し指を宛がうのは、私服姿だとより少年ぽさを増してしまう友人こと、美空藍ちゃんだった。
慌てて辺りを見渡すが、幸いにもお咎めの視線はなかった。藍ちゃんはテーブル越しに身を乗り出し、小声で問いかけてきた。
「奇遇だね。湖渡子ちゃんは宿題?」
「ううん、まっさかぁ。あはは。藍ちゃんは宿題?」
「まっさかぁ」
これこれ、と手にしているコミックをふりふりする藍ちゃん。小学生わんさかコーナーから調達してきたのだろう。一世代前に流行った少年ダンプのマンガだった。
藍ちゃんは読みかけのページに人差し指を差し込み、リュック片手に私の隣へ移動してきた。木製の椅子に腰掛けると「えへへ」と照れ笑いをした。つられて私も頬が緩む。
「じゃあ湖渡子ちゃんも読書?」
「んー、まぁそんなとこかなー。いやぁ、お恥ずかしいんだけど、実はさぁ……」
私はここ1週間のトラブルをかいつまんで話した。藍ちゃんは気の毒そうに「あちゃぁ……」と眉を寄せた。
「それは大変だったねぇ。うちでよかったらいつでも来てくれてよかったのにぃ」
「いやいや、他人様に迷惑かけるわけにいかないよぉ。今日から日中はここで涼めるから、食欲も戻ると思うし、お小遣いももうちょっとあるから大丈夫。お気持ちだけありがとね、藍ちゃん」
「だけどさぁ……」
今度は私が「えへへ」と笑ってみせる。実際に藍ちゃんの笑顔と優しさに触れて、残り1週間を乗り切れそうな気がしてきたのだ。持つべきものは友達だ。ありがたや、友情!
「湖渡子ちゃんさえよかったらさ、今夜うちに泊まり来ない? 辞めたのに気まずいかもしれないけど、6時から演劇部のみんなで合宿という名のお泊まり会をうちでするんだ」
「お泊まり会? すごいね、藍ちゃんちおっきいの? 演劇部って、だって……」
「全員じゃないよ。それに、うちの家族も今日から温泉旅行でいないの。永井先輩がお料理得意らしくてね、みんなでカレー作ろうよって張り切ってる」
ガイ先輩がお料理……。お菓子作りが得意と言っていた藍ちゃんもだが、本当に人は見かけによらない……。
「台詞の読み合わせとかするんだけどさ、来れない人たちの代役とかプロンプとかやってくれたら、みんなも助かるんじゃないかな? なんだかんだ言って、志緒先輩なんかは遊びがメインだと思うし」
……間違いない。
「いやぁ、でもやっぱ気まずいよぉ……。私は辞めた身だし、ガイ先輩が来るってことは……」
キャンキャンうるさい妹も来るんでしょ?
「うん、明徒ちゃんも来るよ。でも永井家は厳しいらしくてね、お泊まりはせずに10時には帰るって」
どう? と首を傾げる藍ちゃんの提案は実に有り難いし光栄だ。エアコン付き、夕食付き、うるさい子犬なし。魅力的すぎて、退部した気まずさが薄れてきてしまう……。
「ほんとにいいのかな……? 私がいても」
「いいよいいよ! 泊まるのは志緒先輩と菜々香ちゃんだけだから、お布団も足りるし」
攻略したばかりのラスボスの顔が浮かぶ……。だが、私はもう氷堂菜々香には動じないのだ。現に拒否反応が起こらない。むしろ永井明徒のほうがめんどくさくて会いたくないくらいだが、ガイ先輩が連れて帰ってくれるとのことだし……。
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しちゃおうかな?」
「よかった! 一応、演劇部のみんなには連絡しておくね」
その後も私たちはしばらく、人目を気にしながらこしょこしょ話をしていた。
藍ちゃんがお昼に一度家に戻るというので、私は1人図書館に残り、舞い戻ってきた空腹感と戦いながら閉館時間まで粘った。
何を隠そうファーストステイだ。友達の家に泊まりに行った事などない。何を持っていったらいいのか? 着替えや下着、歯ブラシくらいかなと考えながら一つ一つバックに詰めていく。
冷静になってみると、色んな意味でドキドキかも……。
以前待ち合わせしたコンビニまで迎えに来てくれるというので、6時に遅れないように少し早めに家を出た。




