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第49話 霧の奥へ続く道

 冒険者ギルドの受付には、朝から多くの人が集まっていた。


 掲示板に貼られた依頼書を見比べる冒険者たち、討伐した魔物の素材を運び込む者、出発前に装備を確かめる者。賑やかな声が響く建物の中で、ユウキは一枚の依頼書を握っていた。


 霧石の洞窟・浅層調査。


 昨日、掲示板で見つけた依頼だ。


 目的は洞窟の浅い区域における魔物の生息調査と、指定素材の採取。


 推奨冒険者ランクはF。


 しかし、依頼書には視界不良や不安定な足場への注意が記されていた。


「……この依頼について、詳しく教えていただけますか?」


 ユウキが受付へ依頼書を差し出すと、セシリアは内容を確認して頷いた。


「霧石の洞窟ですね。少々お待ちください」


 彼女は受付の下から資料を取り出し、ページをめくり始めた。


 バルドはユウキの隣へ立ち、地図が広げられるのを待っている。トーマは興味深そうに資料を覗き込み、ドランは採取道具の入った革袋を足元へ置いた。


「まず、こちらの洞窟は現在、Eランク相当として管理されています」


 セシリアは地図の一部を指さした。


「ただし、今回の依頼で立ち入りが認められるのは入口から続く浅層の指定区域のみです。その範囲であれば、Fランク冒険者にも調査を許可しています」


「……奥へは入れないんですね」


 トーマが尋ねる。


「はい。浅層より先は地形が複雑になり、魔物の危険度も高くなる傾向があります。指定区域を越えた場合、依頼の安全条件から外れてしまいます」


 バルドが静かに頷いた。


「境界の目印はあるのか?」


「あります。主要な通路にはギルドが設置した標識がありますが、霧で見落とす可能性もあります。地図との照合を忘れないでください」


 ユウキは地図へ目を向けた。


 入口から伸びる主通路。


 途中で左右へ分かれる小さな横穴。


 その先にある、浅層の調査区域。


 さらに奥へ続く通路には、赤い線が引かれていた。


 立入制限区域。


 そこから先へ進むことは、今回の依頼では認められていない。


「……霧というのは、普通の霧なんですか?」


 ユウキが尋ねた。


 セシリアは少し考えてから答える。


「洞窟内には、白い霧のようなものが漂う場所があります。地下水と洞窟内の環境が関係していると考えられていますが、場所によって濃さが異なります」


「魔法によるものではないんですか?」


「現在のところ、浅層全体が魔法の影響を受けているという報告はありません。ただし、詳しい発生原因がすべて解明されているわけではありません」


 ドランが資料へ視線を落とした。


「視界が悪いなら、灯りは多めに持っていった方がよさそうだな」


「そうですね。さらに、洞窟内では音が反響します。魔物の鳴き声や足音が、実際とは違う方向から聞こえる場合もあるそうです」


 その言葉に、ユウキは思わず顔を上げた。


 聴覚強化Lv.1。


 森狼から略奪した技能だ。


 旧採石道では、石喰いモグラの接近を察知するのに役立った。


 しかし、音が反響する洞窟では、聞こえた方向をそのまま信じるのは危険かもしれない。


「……耳がよければ安心、というわけではないんですね」


 ユウキが呟くと、セシリアは頷いた。


「はい。洞窟では複数の情報を組み合わせて判断することが大切です」


 バルドは静かに腕を組んだ。


「……足元の状態はどうなんだ?」


「入口付近は比較的安定していますが、地下水によって滑りやすくなっている箇所があります。古い崩落跡もあるため、壁際での採掘には注意してください」


 その説明を聞いたドランが、小さく息を吐いた。


「なるほど。採取のために無理に岩壁を削るのは避けるべきだな」


 セシリアは頷き、依頼書の別の欄を示した。


「今回の指定素材は、霧石と呼ばれる鉱物です」


 ユウキはその名前を繰り返した。


「……霧石?」


「はい。洞窟内の湿った岩壁や、地下水が流れる場所の近くで見つかることがあります。調査用として、品質が中以上のものを三つ採取していただきます」


 ドランが興味深そうに目を細めた。


「魔導具の材料にも使われるのか?」


「一部では、そうした用途も研究されています。ただし、用途によって必要な品質が異なるため、今回の依頼では指定された状態の試料を持ち帰ることが優先です」


 ユウキは資料を確認した。


 必要なものは、魔物の生息情報と霧石三個。


 前回の旧採石道と似た内容ではあるが、洞窟という環境そのものが新しい危険を生み出している。


「……報酬はいくらですか?」


 ドランが尋ねた。


「基本報酬は銀貨四枚です。危険度の高い情報や、新たな生息状況が確認できた場合には追加査定の対象となります」


 銀貨四枚。


 四人にとっては、十分に魅力的な金額だった。


 しかし、報酬だけで判断してはいけない。


 ユウキは仲間たちへ視線を向けた。


「……どう思いますか?」


 トーマは少し考えたあと、真剣な表情で答えた。


「俺は行ってみたい。でも、霧が濃かったら無理に進まない方がいいと思う」


 バルドも頷く。


「わしも同意見だ。浅層だけを調べ、危険があれば戻る。それなら挑戦する価値はある」


 ドランは地図を確認してから口を開いた。


「採取道具は揃っている。あとは灯りと、位置を確認するための目印を準備したいな」


 ユウキは三人の意見を聞き、セシリアへ向き直った。


「……この依頼、ネクシアで受けます」


 セシリアは微笑んだ。


「承知しました。それでは、正式に受注手続きを進めますね」


 ◇◆◇


 ギルドを出た四人は、まず必要な道具を確認することにした。


 広場の端にある長椅子へ座り、ドランが革袋の中身を並べる。


 水袋。


 保存食。


 包帯と応急手当用品。


 採取用の小型道具。


 予備の灯り。


 研ぎ石。


 そして、採取した素材を包むための布袋。


「……灯りはあるが、霧の中では視界が限られるだろうな」


 ドランは道具を確認しながら呟いた。


 トーマが首を傾げる。


「だったら、もっと明るい灯りを買った方がいいんじゃない?」


「明るければ何でもいいわけじゃない。霧が濃いと、強い光が手前で散って、かえって奥が見えにくくなることもある」


 ユウキはその説明に頷いた。


 元の世界でも、濃い霧の中で強い光を向けると、白く反射して見えづらくなることがあった。


 エルディアの洞窟でも、同じようなことが起こるのかもしれない。


「……じゃあ、足元を照らせる灯りの方がいいですね」


「ああ。それに、全員が一か所へ固まる必要もある」


 ドランは細い紐を取り出した。


「これを使って、霧の濃い場所では互いの位置を確認できるようにしようと思う」


 トーマが紐を見つめた。


「……身体に結ぶの?」


「必要なときだけだ。全員が自由に動けなくなるほど短くはしない。引っ張り合って転ばないよう、扱い方にも気をつける」


 バルドが頷いた。


「霧の中で一人だけ先へ進んでしまうよりは、ずっと安全だろう」


 ユウキは四人の顔を見渡した。


 前回の探索では、トーマが単独で偵察を行った場面もあった。


 しかし、今回の洞窟では状況が違う。


 視界が悪く、足場も不安定。


 仲間との距離が離れれば、合流することさえ難しくなる可能性がある。


「……今回は、全員で動いた方がよさそうですね」


「ああ」


 バルドが答えた。


「誰かが危険を感じたら、まず全員が止まる。それを徹底しよう」


 四人は頷き合い、探索の準備を進めていった。


 ◇◆◇


 翌朝。


 リーヴェルを出発した四人は、霧石の洞窟へ向かう道を歩いていた。


 街道から外れた先には、木々の多い丘陵が広がっている。


 旧採石道とは違い、周囲には苔むした岩や湿った土が目立ち、木々の根が地面を這うように伸びていた。


 時折、鳥の鳴き声が聞こえる。


 しかし、森の奥へ進むにつれて、その声も少しずつ遠ざかっていった。


「……なんか、空気が変わってきたね」


 トーマが呟いた。


 ユウキも頷いた。


「うん。少し湿ってる」


 バルドは足元の土を確かめながら歩いていた。


「この辺りは地下水が多いのかもしれんな」


 ドランは地図を確認する。


「もう少し進めば、洞窟の入口があるはずだ」


 四人は歩調を落とし、慎重に進んだ。


 やがて、木々の間から大きな岩壁が見えてきた。


 その根元には、人が数人並んで入れるほどの洞窟が口を開けている。


 入口の周囲には湿った苔が広がり、岩肌からは小さな水滴が落ちていた。


 洞窟の奥は薄暗い。


 しかし、完全な闇ではない。


 内部から、白い靄のようなものがゆっくりと流れ出ていた。


「……あれが霧か」


 ドランが呟いた。


 ユウキは入口へ近づき、内部を覗き込んだ。


 白い霧が、岩の間を漂っている。


 視界は十歩ほど先までしか届かない。


 それより奥は、淡い灰色の影に包まれていた。


 トーマが小さく息を呑む。


「……思ったより、見えないね」


 バルドは盾を構えながら答えた。


「無理をするな。まずは入口付近から調べよう」


 四人は装備を確かめ、洞窟へ足を踏み入れた。


 ◇◆◇


 洞窟の内部は、外よりもひんやりとしていた。


 湿った岩の匂いが鼻をつき、足元には小さな水たまりが点在している。


 天井から落ちる水滴が、一定の間隔で地面を叩いていた。


 ポタッ。


 ポタッ。


 音は岩壁へ反響し、実際よりも遠くから聞こえているように感じられる。


 ユウキは聴覚強化Lv.1へ意識を集中した。


 水滴の音。


 仲間たちの足音。


 装備が擦れる音。


 その一つひとつが、以前より明確に聞こえてくる。


 しかし、音の方向までは簡単に判断できなかった。


 右側から聞こえたと思った水滴の音が、次の瞬間には左側から響く。


 岩壁へ反響しているのだ。


「……やっぱり、音がわかりにくいですね」


 ユウキが呟くと、ドランが頷いた。


「聞こえる音が多いほど、判断も難しくなるのかもしれんな」


 バルドは足元を確認しながら前へ進む。


「まずは、通路の形を覚えよう。帰り道を見失わないことが大切だ」


 四人は壁に設置された古い標識を確認し、地図へ現在地を書き込んだ。


 入口から続く主通路。


 右側に小さな横穴。


 左側には浅い窪地。


 それぞれの位置を確認しながら、慎重に進む。


 トーマは足元の状態を確かめ、必要に応じて仲間へ声をかけていた。


「……ここ、少し滑るよ」


 トーマが指さした場所には、濡れた苔が広がっている。


 ユウキは頷き、足を置く位置を変えた。


 トーマが習得した足捌きLv.1。


 それは単純に速く動くだけではなく、不安定な場所で姿勢を保つ助けにもなっているようだった。


「ありがとう、トーマ」


「うん!」


 トーマは小さく笑い、再び前へ視線を向けた。


 ◇◆◇


 しばらく進んだところで、バルドが足を止めた。


「……待て」


 その声に、三人もすぐに動きを止める。


 バルドは岩壁の一部へ視線を向けていた。


 そこには、淡く青白い光を反射する小さな結晶がいくつも付着している。


「……あれは?」


 ユウキが尋ねる。


 ドランが近づき、結晶の表面を確認した。


「……もしかすると、霧石かもしれんな」


 ユウキは意識を集中し、鑑定Lv.2を発動した。


【鑑定結果】


名称:霧石

分類:鉱物素材


品質:低


状態:湿潤


備考:

湿気の多い洞窟内で形成される鉱物。

魔導具の素材として利用される場合がある。


「……霧石です。でも、品質は低いみたいです」


 ユウキが答えると、ドランは頷いた。


「依頼は中品質以上が三つだったな」


「はい」


 バルドは周囲の岩壁を確認した。


「この辺りにあるなら、少し先にも似た鉱石があるかもしれん」


 ユウキは青白い結晶を見つめた。


 霧の中で淡く光を反射するその姿は、どこか幻想的だった。


 しかし、ここは安全な観光地ではない。


 魔物が生息する洞窟だ。


 四人は周囲への警戒を続けながら、さらに奥へ進むことにした。


 ◇◆◇


 ――カツン。


 突然、遠くから小さな音が聞こえた。


 ユウキは足を止めた。


 水滴の音とは違う。


 硬いものが岩へ触れたような、短い音。


「……何か聞こえました」


 ユウキが告げると、三人も動きを止めた。


「どっちだ?」


 バルドが尋ねる。


「……まだ、はっきりとは」


 ユウキは耳を澄ませた。


 音は洞窟の奥から聞こえているように感じられる。


 しかし、反響しているため正確な位置はわからない。


 そのとき、トーマが地面へ視線を落とした。


「……あれ?」


 彼はしゃがみ込み、濡れた土の上に残された跡を指さす。


 そこには、小さな足跡があった。


 細長い形。


 先端には、爪のような痕跡が残っている。


「……魔物の足跡かな?」


 ユウキが尋ねると、バルドは頷いた。


「可能性は高いな」


 ドランは地図を確認した。


「……この先に、小さな広間があるはずだ」


 ユウキは足跡の向きを確かめた。


 それは、まっすぐ広間へ続いている。


 その瞬間。


 ――カツン。


 再び音が響いた。


 今度は、少し近い。


 四人は顔を見合わせた。


「……慎重に行きましょう」


 ユウキが言うと、三人も頷いた。


 バルドを先頭に、四人はゆっくりと広間へ近づいた。


 ◇◆◇


 霧の向こうに、黒い影が見えた。


 最初は岩の一部かと思った。


 しかし、その影はわずかに動いている。


 低い姿勢。


 細長い四肢。


 そして、背中に並んだ硬そうな突起。


「……何かいる」


 トーマが声を潜めた。


 ユウキは剣の柄へ手を添え、鑑定Lv.2を発動した。


【鑑定結果】


名称:霧穴トカゲ

種族:魔獣族・爬虫類型


魔物ランク:1

レベル:4


HP:38 / 38

MP:6 / 6


【能力値】

STR(筋力):12

VIT(耐久):11

AGI(敏捷):13

MAG(魔力):3

MND(精神):5

DEX(器用):12


【習得技能】

壁面移動 Lv.1

噛みつき強化 Lv.1

霧中感知 Lv.1


【状態】

警戒


 ユウキは表示された情報を確認した。


 レベル4。


 今の自分より一つ高い。


 しかし、能力差は極端ではないため、鑑定は成功している。


 気になるのは、壁面移動と霧中感知だった。


 この魔物は、霧の中でも周囲の状況を察知し、岩壁を移動できるらしい。


「……霧穴トカゲです。レベル4で、壁を移動する技能があります」


 ユウキが小声で伝えると、バルドはすぐに周囲の岩壁を確認した。


「……壁からも襲ってくる可能性があるということか」


「はい」


 そのとき、トーマが小さく声を上げた。


「……あっ!」


 視線の先。


 広間の左側の岩壁に、もう一つの影があった。


 さきほどの個体よりも小柄で、身体の色も少し薄い。


 ユウキはすぐに鑑定を発動する。


【鑑定結果】


名称:霧穴トカゲ

種族:魔獣族・爬虫類型


魔物ランク:1

レベル:2


HP:24 / 24

MP:4 / 4


【能力値】

STR(筋力):8

VIT(耐久):7

AGI(敏捷):12

MAG(魔力):2

MND(精神):4

DEX(器用):10


【習得技能】

壁面移動 Lv.1

霧中感知 Lv.1


【状態】

警戒


「……もう一匹。こちらはレベル2です」


 ユウキが伝えると、バルドは盾を構え直した。


「二匹か。まだほかにもいる可能性がある。油断するなよ」


 四人はゆっくりと後退しようとした。


 しかし、その瞬間。


 最初の霧穴トカゲが、岩壁を駆け上がった。


「……っ!」


 トーマが息を呑む。


 魔物の四肢が岩壁へ張りつき、身体が横向きになったまま素早く移動する。


 その速度は、地面を走るときとほとんど変わらないように見えた。


「……来るぞ!」


 バルドが叫ぶ。


 霧穴トカゲは岩壁から跳び、ユウキへ向かって牙を剥いた。


 ユウキは反射的に剣を抜く。


 しかし、今度は森狼との戦闘とは違った。


 敵の動きを見て、攻撃の軌道を考える。


 そして、剣を構える位置を調整する。


 霧穴トカゲの牙が迫る。


 ユウキは一歩だけ身体を横へずらし、剣を斜めに構えた。


 刃の側面で、魔物の身体を外側へ流す。


 その瞬間、体内の魔力が動いた。


「……斬り返し!」


 剣術Lv.2の武技。


 消費MPは三。


 ユウキは受け流した反動を利用し、素早く剣を引き戻す。


 そして、身体を回転させながら斜めに斬り上げた。


 ザシュッ!


 刃が霧穴トカゲの脇腹へ食い込む。


「ギャッ!」


 魔物は短い悲鳴を上げ、地面へ転がった。


 しかし、まだ倒れない。


 霧穴トカゲは四肢を踏ん張り、再び岩壁へ逃れようとした。


「……逃がすな!」


 ドランが声を上げる。


 だが、バルドはすぐに制した。


「深追いするな! もう一匹がいる!」


 その言葉に、ユウキは顔を上げた。


 左側の岩壁。


 小柄な霧穴トカゲが、すでに身体を低くしていた。


 その黄色い瞳が、トーマへ向けられる。


「……トーマ!」


 ユウキが叫ぶ。


 次の瞬間、小柄な霧穴トカゲが岩壁から飛びかかった。


 トーマは反射的に身体を横へ動かした。


 足捌きLv.1。


 何度も練習してきた重心移動が、自然と身体を動かす助けになった。


 鋭い牙が空を切り、トーマの肩の横をかすめる。


 トーマはそのまま短剣を構え、魔物の着地位置を確認した。


 しかし、焦って攻撃しなかった。


 相手の動きを見てから。


 退く場所を確かめてから。


 それが、これまでの鍛錬で身につけたことだった。


「……今だ!」


 トーマは地面を蹴り、魔物の側面へ回り込んだ。


 そして、右手の短剣を突き出す。


 ザッ!


 刃が小柄な霧穴トカゲの肩へ浅く入った。


 魔物は痛みに反応し、身体を捻って距離を取る。


 その動きを見たドランが、一歩踏み込んだ。


「……重打!」


 片手鎚へ魔力が巡る。


 ドランは魔物の進路を見極め、短く鎚を振り下ろした。


 ゴンッ!


 重い一撃が、霧穴トカゲの背中へ命中する。


「ギャウッ!」


 魔物は地面へ崩れ落ちた。


 しかし、ドランはすぐに追撃しなかった。


 もう一匹が、まだ近くにいる。


 そのとき、最初の霧穴トカゲが再び動き出した。


 傷ついた身体を引きずりながら、岩壁へ登ろうとしている。


 バルドは盾を構え、進路を塞ぐように移動した。


「……ユウキ!」


 その声に、ユウキが振り返る。


 霧穴トカゲは岩壁へ張りつこうとしていたが、傷の影響で動きが鈍っていた。


 ユウキは剣を構え直し、一歩踏み込む。


 しかし、今度は武技を使わなかった。


 すでに相手は大きく負傷している。


 無理にMPを消費する必要はない。


 ユウキは剣先を低く構え、魔物の動きを見極めた。


 霧穴トカゲが振り返る。


 鋭い牙が、最後の抵抗のように突き出された。


 ユウキは身体を横へずらし、その攻撃を避ける。


 そして、短く剣を振り下ろした。


 ザンッ!


 刃が魔物の首元へ入り込む。


 霧穴トカゲは大きく身体を震わせたあと、地面へ崩れ落ちた。


 そのまま、動かなくなる。


 ユウキは剣を引き戻し、静かに息を吐いた。


 しかし、戦闘はまだ終わっていなかった。


 もう一匹。


 小柄な霧穴トカゲが、地面で身体を動かしている。


 ドランの重打によって大きな傷を負っているものの、まだ生きていた。


 トーマは短剣を構え、慎重に近づいた。


 しかし、魔物は身体を起こすことができず、弱々しく前脚を動かしている。


 トーマは一瞬だけ表情を曇らせた。


 それでも、剣を握る手を緩めなかった。


 魔物は危険な存在だ。


 生きている限り、反撃してくる可能性がある。


 トーマは深く息を吸い、短剣を構え直した。


「……ごめん」


 小さく呟いたあと、慎重に刃を突き出した。


 短剣が魔物の急所へ届く。


 霧穴トカゲは一度だけ身体を震わせ、そのまま動かなくなった。


 静寂が戻る。


 洞窟の中には、天井から落ちる水滴の音だけが響いていた。


 ◇◆◇


 四人はしばらくその場から動かなかった。


 霧がゆっくりと流れ、倒れた二匹の魔物の身体を薄く覆っていく。


 ユウキは剣を構えたまま、周囲へ視線を向けた。


 ほかに魔物がいないか。


 岩壁の上。


 霧の奥。


 足元の影。


 それぞれを確認してから、ようやく剣を下ろした。


「……みんな、大丈夫?」


 ユウキが尋ねると、トーマは頷いた。


「うん。怪我はないよ」


 ドランも鎚を下ろす。


「わしも問題ない」


 バルドは盾の表面を確認し、静かに頷いた。


「全員無事だな」


 ユウキは安心したように息を吐いた。


 その瞬間。


 視界の奥に、青白い文字が浮かび上がった。


【人物レベル上昇】


ユウキ・コバヤシ


Lv.3 → Lv.4


 ユウキは目を見開いた。


 さらに、別の表示が続く。


【能力値成長】


最大HP:39 → 43

最大MP:9 → 10


STR:10 → 11

VIT:8 → 9

AGI:10 → 11

MAG:3 → 3

MND:12 → 13

DEX:12 → 13


「……レベルが、上がった」


 ユウキが呟くと、トーマが顔を向けた。


「えっ!?」


 そして、すぐに自分の冒険者カードを確認する。


 その瞬間。


「……あっ!」


 トーマが声を上げた。


「俺も!」


 彼のカードには、新しいレベルが表示されていた。


【人物レベル上昇】


トーマ


Lv.3 → Lv.4


 トーマは驚いたようにカードを見つめた。


「……本当に上がってる!」


 ユウキは嬉しそうに笑った。


「やったね、トーマ!」


「うん!」


 トーマは満面の笑みを浮かべた。


 その隣で、ドランも自分のカードを確認していた。


 しばらく表示を見つめていたが、やがて小さく笑った。


「……どうやら、わしもだな」


【人物レベル上昇】


ドラン


Lv.5 → Lv.6


「……ドランさんも!」


 ユウキが驚く。


 ドランは頷いた。


「ああ。今日の戦闘が、これまでの経験と重なったのかもしれんな」


 バルドは三人の様子を見て、穏やかに微笑んだ。


「……おめでとう。三人とも、よく頑張ったな」


 トーマが顔を向ける。


「バルドさんは?」


「わしは、まだLv.7のままだ」


 バルドはそう答えたが、表情に落胆はなかった。


「だが、それでいい。今日は三人が成長した。それだけでも嬉しいことだ」


 ユウキはバルドの言葉を聞き、胸の奥が温かくなった。


 戦闘で成長する速度は、誰もが同じではない。


 これまでの経験。


 人物レベル。


 戦闘への貢献。


 そうしたものが重なり合い、それぞれ異なる形で成長していく。


 ユウキは自分の手を見つめた。


 人物レベル4。


 最大MPは十。


 剣術Lv.2。


 斬り返し。


 少しずつではあるが、確かに強くなっている。


 しかし、まだ探索は始まったばかりだった。


 ユウキは倒れた霧穴トカゲへ視線を向ける。


 そして、胸の奥にある固有権能の存在を思い出した。


 略奪。


 敵から技能を奪うことのできる力。


 使えば、さらに新しい能力を手に入れられるかもしれない。


 しかし、その代償として魂蝕が進む。


 ユウキはしばらく考え込んだ。


 目の前には、二匹の霧穴トカゲが倒れている。


 どちらも、すでに死んでいる。


 略奪の条件は満たされているはずだ。


 しかし、今は仲間たちが近くにいる。


 それに、ここはまだ魔物の生息する洞窟の中だ。


 長く留まるのは危険かもしれない。


 ユウキは静かに息を吸った。


 力を得ること。


 その代償を受け入れること。


 そして、今の自分に本当に必要なものを選ぶこと。


 その判断を、これからもしなければならないのだろう。


 霧は静かに流れ続けていた。


 その奥には、まだ知らない魔物たちが潜んでいるかもしれない。


 ユウキは仲間たちへ視線を向けた。


「……まずは、周囲の安全を確認しましょう」


 バルドが頷く。


「ああ。戦闘が終わったからといって、油断は禁物だ」


 四人は再び周囲へ警戒を向けた。


 霧石の洞窟。


 その浅層に足を踏み入れたユウキ達は、新たな成長を手にした。


 しかし、まだ依頼は終わっていない。


 必要な霧石は、まだ一つも採取できていないのだ。


 薄い霧の向こうから、再び水滴の音が響いた。


 ポタッ。


 ポタッ。


 その音に混じって、かすかな擦過音が聞こえた気がした。


 ユウキは耳を澄ませる。


 しかし、反響する音の中では、その正体を確かめることができなかった。


 ユウキ達の探索は、さらに奥へと続いていく。


――第49話 完。

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