第34話 絆の名を刻む
朝日が、薄い木の扉の隙間から差し込んでいた。
リーヴェルの南区にある、小さな宿屋。
その二階の一室で、ユウキはゆっくりと目を覚ました。
「……朝か」
見慣れない天井を見上げながら、しばらく動かずにいる。
柔らかい寝床。
清潔な毛布。
窓の外から聞こえる、人々の穏やかな声。
どれも、灰の鉱山では考えられなかったものだった。
昨夜、四人は初めて得た報酬の一部を使い、この宿に泊まった。
豪華な宿ではない。部屋には簡素な寝台が四つ並び、家具と呼べるものも小さな机と椅子くらいしかなかった。
それでも、雨風をしのぐ屋根があり、身体を伸ばして眠れる。
それだけで、ユウキには十分すぎるほどだった。
「……よく眠れたな」
身体を起こす。
まだ傷の痛みは残っているが、昨日より気分はよかった。
隣の寝台では、トーマが毛布を蹴飛ばして眠っている。
バルドはすでに起きており、窓際で静かに外を眺めていた。
ドランは机に向かい、昨夜から何かを書きつけている。
「おはようございます」
ユウキが声をかけると、バルドが振り返った。
「おう、起きたか。具合はどうだ?」
「昨日より楽です」
「そうか。よかったな」
ドランも顔を上げた。
「なら、まず身体の状態を確認しておけ。今日も町を歩くことになる」
「はい」
ユウキは冒険者カードを取り出した。
昨夜、眠る前に確認したときはHPが二十二、MPが八だった。
魔力はすでに最大まで回復していたが、身体の傷はまだ十分に癒えていない。
カードを手元へ引き寄せ、小さくステータスを表示する。
【STATUS】
名前:ユウキ・コバヤシ
職業:剣士
レベル:2
HP:22 / 36
MP:8 / 8
「……HPは変わってない」
ユウキが呟くと、ドランが頷いた。
「一晩で大きく回復するものではないからな」
「そうなんですね」
「ああ。HPの自然回復は、基本的に一日で最大値の二パーセント程度だ。傷が深かったり、身体が疲れ切っていたりすると、さらに遅くなる」
ユウキは自分の腕を見つめた。
傷はまだ残っている。
今の身体では、自然に回復するまで長い時間が必要なのだろう。
「回復を早める技能や装備もあるが、珍しいものはそれなりに高い」
「……なるほど」
ユウキはカードをしまい、胸元に手を当てた。
治癒魔法。
エルナから託された力。
今ならMPは十分にある。
何度か使えば、残っている傷をすべて治せるかもしれない。
「……治癒魔法」
小さく唱えると、掌に淡い光が宿った。
温かな魔力が身体の内側へ広がり、昨日まで残っていた痛みを少しずつ和らげていく。
手首の傷。
肩に残る鈍い痛み。
長い間、無理を続けてきた身体。
その一つ一つに、優しく触れるように魔力を流した。
やがて光が消える。
ユウキはゆっくりと息を吐いた。
「……ふぅ」
カードを確認する。
【STATUS】
HP:28 / 36
MP:5 / 8
HPが六回復していた。
昨日と同じだけの魔力を使い、同じだけ傷を治せたらしい。
「……二十八か」
まだ八HP足りない。
けれど、MPは五残っている。
もう一度なら、治癒魔法を使用できる。
ユウキは自分の腕を見つめた。
傷は薄くなっている。
痛みも、かなり和らいでいた。
「……もう少し」
再び胸元へ手を当てる。
「治癒魔法」
先ほどより慎重に魔力を流した。
温かな光が身体を包み、残っていた傷をゆっくりと塞いでいく。
魔法を終えたとき、ユウキは少し疲れを感じた。
魔力を使うことには、まだ慣れていない。
それでも、身体は確実によくなっていた。
【STATUS】
HP:34 / 36
MP:2 / 8
「……あと二」
ユウキは小さく呟いた。
HPは最大値まで、あと二。
しかし、MPは二しか残っていない。
治癒魔法をもう一度使うには、魔力が足りなかった。
「もう少しなのにな……」
そのとき、背後から声がした。
「ユウキ、治癒魔法を使っていたのか?」
バルドだった。
「はい。かなり回復しました」
「身体はどうだ?」
「すごく楽です。あと少しで、完全に治せそうなんですけど……」
ユウキはカードを見せずに答えた。
「魔力が足りなくなってしまって」
バルドは頷いた。
「なら、少し時間を置けばいい」
「そうですね」
ドランも会話に加わった。
「通常なら一時間で一MP回復する。焦る必要はないだろう」
ユウキは頷いた。
朝食をとっている間にも、魔力は自然回復していく。
もう少し時間が経てば、残った傷も治せるはずだ。
「……じゃあ、最後の一回はあとにします」
バルドは満足そうに笑った。
「それでいい」
そのとき、寝台の向こうから声がした。
「……お腹すいた」
トーマだった。
毛布にくるまったまま、目を閉じている。
ドランが呆れたように言った。
「起きているなら顔を洗ってこい」
「……あと少し」
「飯がなくなるぞ」
「起きる!」
トーマは勢いよく身体を起こした。
その様子に、ユウキは思わず笑った。
◇◆◇
宿の一階では、焼きたてのパンと温かな野菜のスープが用意されていた。
四人は同じ卓を囲み、朝食をとっていた。
「うまい!」
トーマがパンを頬張る。
「そんなに急いで食べなくても、逃げたりしないよ」
ユウキが笑うと、トーマは口いっぱいにパンを詰めたまま頷いた。
バルドも穏やかに笑っている。
ドランは食事を進めながら、机の上に小さな紙を広げた。
「さて、今日の予定だが」
「仕事を探すんですか?」
ユウキが尋ねる。
「それも必要だが、先にやることがある」
ドランは紙を指さした。
「宿代、食費、生活用品。それから装備だ」
そこには、昨日の報酬と支出が簡単にまとめられていた。
初めての依頼で手に入れた銀貨は十二枚。
宿代と食費に銀貨二枚を使ったため、昨日の報酬から残っているのは銀貨十枚だった。
もちろん、それだけで四人分の武器や防具を十分に揃えるのは難しい。
「装備って、そんなに高いんですか?」
ユウキが尋ねた。
「物によるな」
ドランは答える。
「安いものもあるが、安ければ何でもいいというわけではない。武器は壊れれば命に関わる」
バルドが頷いた。
「盾も必要だな」
「俺は短剣!」
トーマが元気よく言った。
「ユウキは剣だろ?」
「うん。でも、どんな剣がいいのか全然わからなくて……」
「なら、店で聞けばいい」
バルドが笑った。
「最初から何でも知っている必要はないさ」
ユウキは頷いた。
そのとき、ふと思い出す。
「そういえば、パーティーの名前も決めないと」
トーマが顔を上げた。
「あっ! そうだった!」
昨日、セシリアからパーティー登録を勧められた。
しかし、名前が決まらなかったため、登録は保留になっている。
「何か考えたのか?」
バルドが尋ねる。
ユウキは少し迷ってから頷いた。
「……はい。一つだけ」
「おお!」
トーマが身を乗り出した。
「何? 何て名前?」
ユウキは三人の顔を見渡した。
灰の鉱山で出会った仲間たち。
年齢も、得意なことも、考え方も違う。
それでも、あの過酷な場所から一緒に逃げ出し、今もこうして同じ卓を囲んでいる。
そんな四人に、似合う名前。
「……ネクシア」
ユウキは静かに言った。
「ネクシア、という名前はどうでしょうか」
トーマが首を傾げた。
「ネクシア?」
ドランも眉を上げる。
「聞いたことのない言葉だな」
「……そうですね」
ユウキは少しだけ言葉を選んだ。
ネクシア。
元の世界で知っていた、ネクサスという言葉。
繋がり。
結びつき。
異なるものが交わる場所。
そこから、自分なりに考えた名前だった。
けれど、ネクサスという言葉は、この世界には存在しない。
少なくとも、ユウキがこれまで見聞きしてきたエルディアの言葉ではなかった。
その由来を正直に話せば、自分が別の世界から来たことに触れなければならない。
ユウキは少し迷い、曖昧に笑った。
「……昔、遠い場所の言葉を聞いたことがあるんです」
「遠い場所?」
バルドが尋ねる。
「はい。その言葉を少し変えて、考えました」
「元になった言葉は何というんだ?」
ドランの問いに、ユウキは一瞬だけ息を止めた。
しかし、名前だけなら話しても問題ないだろう。
「……ネクサス、です」
「ネクサス……」
バルドがゆっくりと繰り返した。
「わしは知らんな」
「俺も初めて聞いた!」
トーマが言う。
ドランも頷いた。
「商人が使う外国語にも、聞き覚えがない」
「……かなり遠い場所の言葉なので」
ユウキは静かに答えた。
遠い場所。
そう説明すれば、嘘にはならない。
ただ、その距離が海や山を越えた先ではなく、世界そのものを隔てたものだということを話していないだけだった。
「それで、どういう意味なんだ?」
バルドが尋ねた。
「……繋がりや、結びつきという意味です」
ユウキは三人を見た。
「俺たち、もともとは全然違う場所で生きてきた人間ですよね」
バルドが頷く。
「そうだな」
「年齢も違うし、得意なことも違う。それでも、あの鉱山で出会って、一緒に逃げて……こうして今も一緒にいる」
ユウキは少し照れくさそうに笑った。
「だから、その繋がりを大切にしたいと思ったんです」
しばらく、誰も口を開かなかった。
最初に笑ったのは、トーマだった。
「いいじゃん、ネクシア!」
「本当に?」
「うん! 俺、好きだよ!」
ドランも頷いた。
「短くて覚えやすい。意味も悪くない」
最後に、バルドが口を開いた。
「ユウキ」
「はい」
「お前は、わしらのことを大切な仲間だと思ってくれているんだな」
ユウキは少し驚いた。
そして、静かに頷いた。
「……はい」
それだけは、迷わず答えられた。
「俺にとって、皆さんは大切な仲間です」
バルドは穏やかに笑った。
「なら、わしに異論はない」
ユウキの胸が温かくなった。
まだ話せていないことはある。
自分が異世界から来たことも、略奪という力を持っていることも。
いつか、それを打ち明けられる日が来るのだろうか。
今は、わからない。
それでも、三人と一緒にいたいという気持ちは本当だった。
「……ありがとうございます」
ユウキは小さく頭を下げた。
トーマが笑った。
「決まりだね! 俺たちのパーティーはネクシア!」
バルドも頷いた。
「ああ。悪くない名前だ」
ドランは紙にその名前を書きつけた。
「なら、ギルドで正式に登録しよう」
ユウキは笑った。
「はい!」
◇◆◇
朝食を終えた四人は、しばらく宿で休んでから外へ出た。
通りにはすでに多くの人が行き交い、店先からは威勢のよい声が聞こえてくる。
ユウキは、昨日までより軽くなった身体を確かめながら歩いていた。
宿で治癒魔法を二度使用してから、一時間以上が経過している。
ユウキは周囲に見られないよう、冒険者カードを手元へ引き寄せた。
【STATUS】
HP:34 / 36
MP:3 / 8
「……あっ、回復してる」
魔力が一だけ回復していた。
これなら、もう一度治癒魔法を使える。
ユウキは立ち止まった。
「皆さん、少しだけいいですか?」
バルドが振り返る。
「どうした?」
「あと少しで傷を全部治せそうなんです」
「魔力が回復したのか?」
「はい」
バルドは頷いた。
「なら、ここで少し休もう」
四人は人通りの少ない広場へ移動した。
ユウキは石造りの長椅子に腰を下ろし、静かに呼吸を整える。
今のHPは三十四。
最大値までは、あと二。
今回の治癒魔法がいつもどおり発動すれば、完全に回復できるはずだ。
「……治癒魔法」
淡い光が掌に宿った。
ユウキは魔力を身体へ流し込む。
残っていた小さな痛みが消えていく。
手首の傷跡も薄くなり、肩や背中に残っていた違和感も和らいだ。
やがて光が消える。
ユウキはゆっくりと目を開いた。
今までとは、明らかに感覚が違っていた。
身体の奥に残っていた痛みがない。
深く息を吸っても、胸が苦しくならない。
ユウキは冒険者カードへ意識を向けた。
【STATUS】
HP:36 / 36
MP:0 / 8
「……治った」
小さな声が漏れた。
HPが最大値まで回復していた。
「全部、治ったんです!」
ユウキが顔を上げる。
トーマが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「本当!?」
「うん!」
「やったじゃん!」
バルドも安心したように笑った。
「そうか。よかったな」
ドランはユウキの様子を確かめてから頷いた。
「なら、ひとまず傷の心配はなくなったわけだ」
「はい」
ユウキは自分の両手を見つめた。
長い間、傷だらけだった身体。
痛みがあることが当たり前になっていた。
けれど、今は違う。
自分自身の力で、ようやく傷を治すことができた。
「……エルナさん」
ユウキは小さく呟いた。
優しく微笑んでいた、あの老女。
彼女から託された治癒魔法が、今度は自分自身を救ってくれた。
『自分も大切にしなさい』
その言葉を思い出し、胸の奥が温かくなる。
「……ありがとうございます」
届くはずのない感謝を、ユウキは静かに口にした。
バルドは何も聞かず、穏やかな表情で見守っていた。
しばらくして、ドランが口を開いた。
「だが、魔力は使い切ったんだろう?」
「……はい。ゼロになりました」
「なら、しばらく治癒魔法は使えんな」
「そうですね」
「それに、傷が治ったからといって、急に剣を使いこなせるようになるわけでもない」
ドランの言葉に、ユウキは頷いた。
「わかっています」
HPは完全に回復した。
それでも、剣士としての経験はほとんどない。
身体強化や剣術を習得していても、それらを十分に扱えるだけの技術はまだ身についていなかった。
「これから、少しずつ練習します」
ユウキが答える。
バルドは笑った。
「それでいい。まずは、武器を手に入れるところからだな」
「はい!」
四人は再び歩き始めた。
◇◆◇
冒険者ギルドは、今日も多くの人で賑わっていた。
依頼書を眺める冒険者たち。
報酬を受け取る者。
装備の修理について相談する者。
その光景の中を進み、ユウキたちは受付へ向かった。
「おはようございます、皆さん」
セシリアが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます」
ユウキが頭を下げる。
「今日はどうされましたか?」
「あの、パーティー登録をお願いしたくて」
「もちろんです」
セシリアは登録用紙を取り出した。
「名前は決まりましたか?」
ユウキは頷いた。
「はい。ネクシアです」
「ネクシア……」
セシリアは小さく繰り返した。
「素敵な響きですね。何か意味があるんですか?」
ユウキは少しだけ迷った。
しかし、ここでも同じように答えることにした。
「遠い場所の言葉が元になっています。繋がりや結びつきを意味する言葉を、少し変えたものです」
「なるほど。皆さんの絆を表す名前なんですね」
「……はい」
セシリアは優しく微笑んだ。
「とてもよい名前だと思います」
ユウキは少し照れくさくなった。
セシリアは羽根ペンを取り、登録用紙に名前を書き込んだ。
ネクシア。
その文字を見つめていると、不思議な感覚がした。
元の世界で知った言葉が、今、この異世界で自分たちの名前になろうとしている。
それは、失ってしまった故郷と、新しく出会った仲間たちを繋ぐ、小さな橋のようにも思えた。
「それでは、皆さんの冒険者カードをお預かりします」
四人はカードを差し出した。
セシリアはカードを登録用の魔道具へ順番に置き、所属情報を更新していく。
やがて、装置の中央に青白い光が集まった。
【冒険者パーティー登録】
パーティー名:ネクシア
所属:
アルヴェイン王国
リーヴェル支部
所属人数:4名
【構成員】
ユウキ・コバヤシ
バルド
トーマ
ドラン
【冒険者ランク】
全員Fランク
【登録状態】
有効
小さな音が鳴った。
魔道具の光が消える。
「登録が完了しました」
セシリアは四枚のカードを返した。
「おめでとうございます。皆さんは本日から、正式な冒険者パーティー『ネクシア』です」
トーマが嬉しそうに声を上げた。
「やった!」
バルドはカードを眺め、静かに笑った。
「まさか、こんな年になってパーティーを組むことになるとはな」
ドランも頷く。
「わしも、こうなるとは思わなかった」
ユウキは自分のカードを見つめた。
そこには、新しい項目が追加されていた。
【冒険者ギルド登録証】
氏名:ユウキ・コバヤシ
冒険者ランク:F
職業:剣士
所属パーティー:ネクシア
自分の名前の下に、仲間たちと決めた名前がある。
ユウキはカードを指でなぞった。
「……ネクシア」
小さく呟く。
その響きが、胸の奥へ静かに染み込んでいった。
「どうしました?」
セシリアが尋ねる。
「……いえ。嬉しくて」
ユウキが答えると、セシリアは微笑んだ。
「これから、皆さんでたくさんの経験を積んでくださいね」
「はい!」
四人は揃って頷いた。
◇◆◇
「ところで、今日は依頼を受けられますか?」
セシリアが尋ねた。
「いえ。今日は装備を探そうと思っています」
ユウキが答える。
「装備、ですか?」
「はい。ジョブは決まったんですけど、まだ武器を持っていなくて」
セシリアは納得したように頷いた。
「なるほど。それでしたら、南区の武具店を訪ねてみてはいかがでしょうか」
「武具店?」
「はい。『鉄火の槌』というお店です。初心者向けの装備も扱っていますし、店主の方は装備の扱いにも詳しいんですよ」
トーマが目を輝かせた。
「剣もある?」
「もちろんです。短剣や盾もありますよ」
セシリアは微笑んだ。
「ただし、装備には等級があります。高い等級の品は性能もよい傾向がありますが、価格も高くなります」
ドランが頷いた。
「等級は十級から特級までだったな」
「はい。一般的に、十級が最も低く、数字が小さくなるほど上位の装備となります。そして一級のさらに上が特級です」
ユウキは興味深そうに聞いていた。
「等級が高ければ、誰でも強くなれるんですか?」
「いいえ」
セシリアは首を振った。
「装備の性能が高くても、使いこなせなければ意味がありません。特に武器は、体格や戦い方との相性が大切です」
「……なるほど」
「それから、等級が低くても、丁寧に整備された武器の方が扱いやすい場合もあります。最初は無理をして高価なものを買う必要はありませんよ」
ユウキは頷いた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。皆さんに合う装備が見つかるといいですね」
セシリアは微笑んだ。
「ネクシアの皆さん、よい一日を」
四人は受付を離れた。
◇◆◇
リーヴェル南区。
石畳の通りを歩いていくと、遠くから金属を叩く音が聞こえてきた。
カン。
カン、カン。
規則正しく響く音。
その先には、大きな鉄製の看板が吊るされた建物があった。
【鉄火の槌】
看板には、交差した剣と槌の絵が描かれている。
「ここかな?」
トーマが尋ねた。
「そうみたいだね」
ユウキが答える。
ドランは店の外観を見上げた。
「鍛冶場も併設しているらしいな」
建物の奥から、熱気と鉄の匂いが漂ってくる。
バルドが扉へ手をかけた。
「入るぞ」
重い木の扉が開く。
その瞬間、ユウキの目に飛び込んできたのは、壁一面に並べられた武器だった。
長剣。
短剣。
槍。
斧。
盾。
鎧。
これまで見たこともないほど多くの武具が、整然と並んでいる。
「……すごい」
ユウキは思わず呟いた。
トーマも目を輝かせている。
「うわぁ……!」
店の奥から、低い声が響いた。
「いらっしゃい」
現れたのは、大柄な男だった。
短く刈った黒髪。
太い腕。
煤のついた革の前掛け。
その手には、まだ熱を帯びた金属を挟む大きな工具が握られていた。
「見ない顔だな。新人冒険者か?」
男が尋ねる。
「はい。今日、パーティーを登録したばかりです」
ユウキが答える。
「ほう。名前は?」
「ネクシアです」
男は少し考え、それから笑った。
「聞いたことのねえ名前だな」
「……はい。新しく考えた名前なので」
「そうか。悪くねえ響きだ」
男は工具を作業台へ置いた。
「俺はガルド。この店の主人だ」
そして、四人を見渡す。
「で、何を探してる?」
ユウキは少し緊張しながら答えた。
「……剣を探しています」
「剣?」
「はい。剣士になったんですけど、まだ自分の剣を持っていなくて」
ガルドはユウキの身体を見た。
細い腕。
まだ鍛えられていない肩。
重い武器を振り回すには、経験も筋力も足りない。
「……なるほどな」
ガルドは腕を組んだ。
「なら、まずは重さを確かめるところからだ」
壁に並ぶ剣の中から、一本を取り出す。
それは、飾り気のない鉄製の長剣だった。
「持ってみろ」
ユウキは両手で受け取った。
「……っ」
思っていたより、重い。
剣先がわずかに下がる。
それでも、なんとか持ち上げることはできた。
「どうだ?」
「……少し、重いです」
ガルドは頷いた。
「だろうな。今のお前には、もう少し軽いものの方がいい」
別の剣を取り出す。
先ほどより刃が短く、幅も狭い。
「こっちはどうだ?」
ユウキは受け取った。
先ほどより、ずっと扱いやすい。
「……あっ。こっちの方が持ちやすいです」
「そうだろう」
ガルドは笑った。
「武器は大きければいいってもんじゃねえ。自分の身体に合ったものを選ぶんだ」
ユウキは剣を見つめた。
初めて、自分の意思で選ぶ武器。
これから先、大切な人を守るために使うかもしれないもの。
「……この剣は、いくらですか?」
ガルドは値札を指さした。
そこには、銀貨十二枚と書かれていた。
「……十二枚」
ユウキは目を見開いた。
昨日、四人で一日働いて得た報酬と同じ金額。
しかも、宿代と食費を払った今、その金額すら手元には残っていない。
「……高いですね」
思わず呟く。
ガルドは笑った。
「新人には、そう感じるだろうな」
ユウキは剣を静かに戻した。
トーマも、短剣の値札を見て固まっている。
「……俺たち、全然お金足りないじゃん」
ドランが腕を組んだ。
「だから先に確認しに来たんだ」
バルドも頷く。
「すぐに揃えられるとは限らんからな」
ユウキは並べられた武器を見渡した。
剣士になった。
けれど、剣を手に入れることすら簡単ではない。
冒険者として生きていくには、想像していた以上に多くのものが必要なのだ。
そのとき、ガルドが口を開いた。
「……お前ら、金がないのか?」
ユウキは少し恥ずかしそうに頷いた。
「はい。昨日、初めて依頼を達成したばかりで……」
「なるほどな」
ガルドはしばらく考えていた。
そして、店の奥へ視線を向ける。
「なら、ちょうどいいものがあるかもしれねえ」
「……え?」
ユウキが顔を上げた。
ガルドは奥の棚へ歩いていき、古びた木箱を引っ張り出した。
その中には、使い込まれた武器が何本も入っている。
「新品じゃねえが、まだ使えるものだ」
ガルドは一本の剣を取り出した。
鞘には細かな傷があり、柄の革も少し擦り切れている。
しかし、刃は丁寧に研がれていた。
「こいつなら、安くできる」
ユウキは、その剣を見つめた。
「……中古の剣、ですか?」
「ああ。ただし、ただの中古品じゃねえ」
ガルドは不敵に笑った。
「ちょっと訳ありでな」
ドランが眉を上げる。
「訳あり?」
「そうだ」
ガルドは剣を作業台へ置いた。
「性能は悪くねえんだが、前の持ち主が妙なことを言い出してな」
ユウキは首を傾げた。
「……妙なこと?」
ガルドは剣の柄を指で叩いた。
「この剣を握ると、誰もいないはずなのに声が聞こえるって話だ」
店の中が、静まり返った。
トーマが小さく呟く。
「……えっ?」
ユウキは剣を見つめた。
古びた鞘。
擦り切れた柄。
何の変哲もない、一本の剣。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。
声が聞こえる。
その表現には、覚えがあった。
灰の鉱山。
第三坑道の奥。
そこで聞いた、あの声。
『逃げて』
『私たちは、まだ繋がっている』
ユウキは無意識のうちに、剣へ視線を向けていた。
「……この剣」
小さく呟く。
ガルドが顔を上げた。
「ん?」
ユウキは、ゆっくりと尋ねた。
「……少し、見せてもらってもいいですか?」
ガルドは頷いた。
「構わねえ。ただし、妙なことが起きても俺は知らねえぞ」
ユウキは静かに剣へ手を伸ばした。
その指先が、柄へ触れようとした瞬間――。
胸の奥で、何かが微かに震えた。
――第34話 完。




