12 ジャスミンの残り香
「俺の話を聞いてくれ」
ジルベルトが言った。
──時は十五年前に遡る。
姉との過去の話。
ジルベルト十三歳。姉のテレーザ十五歳。
姉のテレーザは、王都に留学したジルベルトに付いてきて、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
しかし、喘息持ちの姉は王都で体調を崩した。医者に処方された薬を使ったら、突然死してしまった。
葬儀のあと、茫然自失のジルベルトは、姉のジャスミンの匂いのするドレスに顔を埋めた。
すると、目の前に死んだ姉がいるように感じられた。
『前を向くのです。ジルにはやるべき使命があります。私はいつもここで見守っていますからね』
ジルベルトは、そう聞こえた気がした。
もちろん錯覚だ。
でも亡くなった姉が側にいるように感じたのは、事実だった。
ジルベルトは、立ち直って復学した。
そして今でも、ときおり姉のドレスに顔を埋めて、ジャスミンの香水を吹き付けるようになった。
香水の残り香が、姉が側にいるようで安心するのだ。
それが見えない力になって、監察官長官の激務に励むことができた。
深夜の満月に照らされたバラ園の東屋に集まった四人。
ジルベルトがとつとつと語る話を、婚約者のクリスティーナは黙って聞いた。
アランもエリア(ロザンナ)もジルベルトのこの話は初耳だった。
「──それでアランは背格好や雰囲気が姉のテレーザに似ていたから、一度姉のドレスを着てもらったんだ。もちろんアランは嫌がったけど、そこは上司としての権力を振りかざして、無理やり従わせた。悪かったな、アラン」
「いえ、長官の命令であれば何でも従います」
鎖骨を手で押さえてしゃがんだアランが言った。
額から汗の粒が吹き出ていた。
「そうしたら、姉がそこにいるような気がして、つい抱きしめてしまったんだ」
「ついって、女装しても男じゃない。ジル、あなたはそんなにお姉様のことを……」
「愛してる。シスコンって、馬鹿にしてくれても構わない。今でも姉の死を受け入れられない。姉の残滓が感じられるなら、なんでもしたよ。姉がよく行ったカフェに顔を出したり、姉の友達に会ったり……でもそれだけじゃ駄目だった。たとえ男であっても姉の面影があるのならと、アランに協力して女装してもらった。姉のドレスを着たアランを抱きしめたとき、僕は本物の姉がそこにいるような気がして、幸せな一日が送れたんだ」
ジルベルトのたどたどしい声に、クリスティーナが反応した。
「ジル、辛かったのね。どうしてそんな大事なことを私に隠したのよ。あんたは、馬鹿よ!」
クリスティーナのまなこから涙が流れた。大きな涙の粒が床に次々と落ちた。
そして右手に握った警棒を落とした。
カランカラン、と転がる。
それをエリアが拾った。
「言えなかった。クリスに僕の弱みを見せるのは、男らしくないと思った。それと、呆れて別れ話をされるんじゃないかと、怖かったんだ!」
ジルベルトの苦渋の表情。
「ねぇ、結婚はお互いの欠点を補うことでもあると思うの。ジルと婚約したとき、私はあなたと幸せになることを心から思ったのです。それは今でも変わらない」
そう言ったクリスティーナは、ジルベルトの元に近づいて、そっと抱きしめた。
「……クリス。僕を許してくれるのか」
「浮気じゃないのに許すもなにもないじゃない」
「クリス、愛してる」
「私も愛してる」
その甘い言葉に誘われて、満月の下で熱烈なキスが行われた。
エリアにとっても、衝撃的なキスだった。
これまで二人の間にたまりにたまった不信やわだかまりが、すべて氷解し、新たな恋の再出発であった。
そのものすごい熱愛を見せられたエリアは、身体の力が抜けそうになった。
(ジルベルト様……ジルベルト長官、どうかお幸せになってください。私はあなたが幸せになることに異存はありません)
エリアがアランを見ると、複雑そうな顔をしていた。
(アランの心はジルベルト長官にあるんだ。でも、これを見せつけられたら、どうしようもないわね。私は……まだ未練があるけど仕方ないわ)
熱烈なキスのあとも見つめ合う二人に、エリア(ロザンナ)は、ため息をついた。
◇
数日後、ジルベルトの水晶宮での監禁が解除された。
晴れやかな顔で監察官室に戻ったジルベルトを見て、職員たちが拍手をした。
「長官、おかえりなさい」
「結婚が決まったのですね」
「仕事が一杯たまってますよ」
「ともかく、めでたしめでたし」
と、ことの成り行きを知っているみんなの喜ぶ姿にロザンナは、肩から力が抜けた。
(短い時間だったけど、水晶宮で過ごしたことは密度が高かった。
あのまま下僕を続けていたかったなー。
アランとはその後連絡はなかった。鎖骨を骨折していて治療をしているとは聞いたが、裏の捜査官なので居場所も連絡手段も教えてくれなかった。
ほんと、薄情者め。君とタバコを吸ってお喋りしたのが、本当に楽しかったのに)
ロザンナは窓辺から外を眺めた。
──三か月が経った。
ロザンナは精力的に仕事をした。しかも単独行動だ。
ジルベルト長官に相棒をお願いしても無視された。
「君の能力なら一人でもやれるだろ?」
などとおだて上げて、こき使うのみだ。いい加減に疲労困憊になったころ、部署に新人が配備された。
「やあ、お久しぶりだね。エリア……もといロザンナだったね」
ロザンナの前に現れたのは、アランだった。
「彼が今日からロザンナのバディだ。何か不満でもあるか?」
「いいえ長官、不満は一切ありません」
ロザンナの声がうわずった。
「よかった。拒絶されたらどうしようかと不安で仕方なかったよ」
アランが言った。
アランの差し出した手を、ロザンナは力いっぱい両手で握った。
アランは照れていたけど、力強く握り返した。
(新たな恋が始まるような、そんな予感がして、胸の奥が疼いているわ。本物のバディになろうね、アラン)
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