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序章Ⅰ:萌芽

ニーベル国 王宮内 図書館


静まり返った図書室は、夕刻になると別の顔を見せる。


燭台の灯りが長い影を落とし、古い戦史の背表紙が壁一面に並ぶ。

ジュリアンはその奥、鍵のかかった書架の前に立っていた。

まだ十代になったばかり。

背は同年代よりも高いが、頬には少年らしい細さが残る。

士官候補生の制服はまだ身体に馴染みきらず、肩章だけがやけに重く見えた。


細い指が鍵を回す。

その仕草は年齢に似合わず落ち着いている。


彼は剣を振るうよりも、紙の上の戦を好んだ。

誰もいない空間で、ひとり頁をめくる。

その横顔は穏やかだが、瞳だけは静かに研がれている。


遊びよりも思索を選ぶ少年。

だが、まだ無邪気さを完全に失ってはおらず、すでに“何か”を知り始めている目だった。


国王の許可を得て閲覧できる、限られた記録。

そこに記されているのは——

予言を受けた戦術家、"歴代の英知翁"たちの生涯。


彼は興味を抱いた。

自分と同じ運命を背負わされた者が、どのような道を歩んだのか。

最初の一冊を開いたとき、胸が高鳴った。

英雄譚、のはずだった。


国を救い、内乱を鎮め、周辺国を退けた男。

だが、最後の章は数行で終わっている。

——晩年は孤独のうちに没す。


別の記録を開く。


王位簒奪を未然に防ぎ、数万人の命を救った戦術家。

だがその戦の過程で、息子を囮に使い、妻を敵地へ送り込んでいる。

結果は成功。

だが家庭は崩壊。

最期は宮廷から遠ざけられ、無人の邸で息絶えたとある。


さらに別の書。

王家の血を守るため、娘を政略の駒に差し出した戦術家。

王国は繁栄した。

だが娘は二度と父と口をきかなかった。

そして彼は老いて、独りで死んだ。


ページをめくるたびに、同じ結末が続く。

合理的。

最適解。

国家の存続。

だが、その代償は——


孤独


ジュリアンは本を閉じた。

自分も、そうなるのか。


予言を受けた戦術家。

局面を俯瞰する者。

最善を選び続ける者。


もし王家のために最適解を取り続ければ、いつか愛する者すら駒にする日が来るのか。

静まり返った図書室で、彼は自問する。


それは正しい人生なのか。

王家の繁栄のためなら、自分の幸福は捨てるべきなのか。

国を守ることと、愛する人を守ることは、本当に両立しないのか。


父は言った。

「——武器は王のために振るえ」


では。

王のために振るうその刃が、もし愛する者を切り裂くなら?

それでも正しいと言えるのか。


ジュリアンは壁に飾られた地図を見つめる。

分断化された情報を繋ぐことには慣れている。

数手先、十手先、その先の崩壊まで見える。


だが——

見える未来が、必ずしも選ぶべき未来なのか。


出生時の予言は戦術家とだけ告げた。

だが「孤独」とは告げていない。


運命は道筋を示すだけで、歩き方までは縛らないのではないか。

国のために力を使うのは当然だ。

王家の盾となるのも当然だ。


静かに本を閉じる。


頁を開いたとき胸にあったのは、純粋な知的好奇心だった。

だが今、そこにあるのは違う。

淡い恐怖と、拭いきれない予感。


燭台の灯が揺れた。


それは栄光ではない。

静かで、冷たい未来だった。

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