18.アリシア
「嫌がらせでしょうか?」
「というより、妨害であろうな。そなたを公都から追い出すことで、人々の記憶から忘れ去られるように、あわよくば流れ矢にでも当たって再起不能になるように、と。その間にデラクルス嬢の存在を喧伝する、というわけだ」
大神殿の大神殿長室で。私はソル大神殿長様と向かい合っていた。
間にはさまる執務机の上には、大公家の紋章入りの紙。
アリシア・ソルに従軍を依頼する、実質命令書だった。
半月ほど前、南の国境地帯で隣国クエントとの小競り合いというか、戦闘がはじまった。
不幸中の幸い、小規模にとどまってはいるが、死傷者がまとまった人数出ている。
「表向きは『戦場で続出する負傷兵を一人でも多く癒して、人的損害を最小限に抑えよ』という要請だが。大公陛下の思惑は別にあろう。デラクルス嬢を聖女位に就けたうえで公太子妃に迎え、大公家の権威を強化して、神殿の力を削ごうという目論見だ。そのためには聖魔力を大盤振る舞いするそなたは邪魔者、というわけだな」
「まあ、出血大サービスしている自覚はあります」
私は認めた。
だって断罪やら娼館行きエンドは回避したいし。
「そなたの大盤振る舞いぶりには、見ているこちらが不安になるが。…………今、神殿上層部から、そなたへの要請を撤回するよう、大公家に働きかけている。神殿としても、大事な聖女候補を戦場などに送って、いたずらに失いたくはないのでな。しばし様子を見よう」
「撤回できそうですか?」
「…………期待はせぬほうがいい」
それは、最大限に婉曲化した返答だった。
「…………わかりました」
私は腹をくくる。
「セルバ地方、でしたっけ? 要請をうけます。負傷者を癒してきます」
「だから、上層部が動いていると伝えた端から…………!」
「ソル大神殿長様や、他の方々のお気持ちは大変ありがたいです。ですが、やはり危険です」
私は根拠を告げた。
「神殿側が命令撤回に動けば動くほど、大公陛下はノベーラ大公の権威を示すため、命令に従わせようと躍起になるでしょう。そうすれば両者が意地を張り合う悪循環に陥りますし、この件はおそらく、大公だけでなくデラクルス公爵やレオポルド公太子も加担しています。この三者を一度に敵に回すのは、神殿にとって得策ではありません。だいいち隣国と戦争がはじまったのに、神殿と大公家が争っていては勝てるものも勝ません」
それにソル大神殿長様には言えないが、私にはもう一点の懸念事項がある。
デラクルス嬢だ。
これまでの経緯から見て、あちらが私を敵視しているのは間違いない。聖魔力も発現させた以上、聖女の地位も狙っているだろう。少なくとも令嬢周辺はそうだ。
となると、私には勝ち目がない。
なにぶん、ここは漫画の中の世界らしく、こちらは断罪される敵役、あちらはすべてを手に入れる主人公様だ。
どう戦っても、最終的に勝つのは悪役令嬢。そういう設定。
であれば、真っ向から勝負を挑んでも確実に死ぬだけだ。
本音をいえば、私だって戦場なんか行きたくない。それでなくとも元・平和ボケしたニホン人だ、戦争なんか生涯無縁でありたい。
だがデラクルス嬢に負ければ、追放だの娼館行きだのが待っている。
穏やかな老後を手に入れるなら、とにかく公都から遠く離れて、相手にこちらの存在を忘れてもらう他ない。
「それに」と私はつづけた。
「やっぱり、負傷兵を無視することはできません。私が現地に行くことで多くの人を救えるなら、そちらを選ばないことは、私にはできそうにないです」
私の意見にソル大神殿長様も「はあ」と天を仰ぐ。
「戦場などに行かせるために、育てたのではないのだがな…………」
ソル大神殿長様のぽつりとした早口に、
「ありがとうございます」
と返しておく。
私はあらためて大公の命令を受け容れる旨、大神殿長様に確認し、用件はそこで終わった。執務室を出て行く直前、思い出してふりかえる。
「大神殿長様は、日記をつけておられませんか? もしくは、つける予定はありませんか?」
「特にないが、どうした? とうとつに」
「いえ、大神殿長様が日記をつけていれば、高く買い取ってくれそうな当てができまして」
「絶対につけん」
数日後。大神殿の聖神官見習いアリシア・ソルの戦場行きが正式に決定する。
いったん決定すると、私は途端に慌ただしくなった。
戦場に行くということは、たんに着替えを用意するだけではない。
護衛が選抜されて顔合わせしたり、国境地帯までの道中、世話になる各地の神殿の神殿長の名前と経歴をあらかじめざっと教わったり、彼らへの手紙や書類を預かったり。
それに…………これが一番精神的につらかったが、大神殿を訪れる患者達に事情を説明しなければならなかった。
「行かないでください、聖女様」
「戦場は危険です。聖女様になにかあったら、私どもは、これから誰に癒しをお願いすればいいのですか」
「大公様は、なにを考えておられるのか。よりにもよって聖女様を戦場に、だなんて」
患者や、お礼に来た元患者達が今にも泣きださんばかりにすがってくる。患者の家族や患者以外の信者達も、みな私の戦場行きを心配して嘆いてくれた。
これだけで、今までやってきたことが報われた気がする。
(私、たぶん間違っていない)
胸に熱いものがこみあげる。
(ヒドインと言っても、アリシアが持っていた能力は、医学の発達していないこの世界では、とても有益で需要の高い能力だし。本来のアリシアも、周囲から必要とされる条件は備えていたのよね。ただ、物語上の行動がそれを上回るレベルでひどかっただけで)
昼間の癒しを終え、夕食を終えて私室に戻ってきた私は、あらためて確信する。
本来はマンガのアリシア・ソルも、愛される素質や可能性は十分すぎるほど持っていた。イケメンに囲まれる逆ハーレムという意味ではなく、社会に必要とされる、という意味で。
それは信者や患者達の反応が証明している。
つまりヒドインは最初からヒドインだったわけではなく、自らの行動によってヒドインになってしまっただけなのだ。
まあ、ここはマンガの世界らしいので、本物のアリシアは本人が望むと望むまいとに関わらず、作者によって性格も生き方もすべて定められ、それ以外の道はなかったのかもしれない。
けれど自分は、本物のアリシア・ソルではない。少なくとも中身は別人だ。
(なら私は、本物のアリシアとは別の道を歩むことが可能かも)
少なくとも、今はその可能性が生まれていると思う。
(なら、その可能性に賭けてみよう)
すでに前世で若死にしているみたいなのに、このうえ今生も、だなんて報われなさすぎる。
(今度こそ、絶対に長生きしてみせる。戦場行きだって、ヒドインの評価と運命を覆すチャンスと割り切って、一人でも多く癒して帰ってくるしかない。それで――――)
私はせまい書き物机の上の一冊を手にとった。
「有名に…………ならないと」
例の図書館の魔王からもらった日記の表紙をなでた。
あらたな悩みが生まれる。
昔、助けられた対価として書きつづけることを求められているけれど(そして魔王に持っていかれることが宿命づけられているけれど)。
「正直、荷物は増やしたくないし。戦場って絶対、着替えとかお風呂とか苦労しそうだし、着替えもたいして持っていけないだろうし。戦場で日記をつける時間や体力があるとも思えないし、今回は置いていこうかな。返済はしばらくお休み、ということで」
「そんなわけないだろ」
いつもよりちょっと低い、怖めの声が即座に背後から返ってきて、私は驚きの声と共にふりかえる。はずみで持っていた日記が落ちたが、床に触れる前にぴたりと止まった。
日記はふわり、と宙を飛んで青年の手に収まる。
「もう少し大事に扱ってくれないかな。対価の返済のためとはいえ、せっかく用意した品だ。人間基準では、それなりに質のよい物を渡したつもりだよ」
「あ、ごめんなさい…………じゃなくて! いえ、落としかけたのは謝るけど、いつの間に、どうやって入ってきたの!? 前回もそうだけど、一応女子の私室に勝手に、その、男性が入ってくるなんて失礼だし、誰かに見られたら…………!」
「見られないよう細工はしているから、無用な心配だよ。君は、まだ返済が完了していないからね。魔術的には契約が続行している状態なんだよ。だから基本的に呼べば聞こえるし、特に今は聞き逃せない一言があったしね」
指の長い手が日記帳を掲げる。
「日記を置いて行こうとは、どういう了見かな。君、ただでさえ返済が遅れに遅れていることを、理解していないのかな?」
白い髪の魔王の漆黒の瞳が、じろり、という風に私を見つめる。
「え。ええ…………?」
冷汗がたらり、と背中を流れた。
ひょっとしなくても、これは「姉ちゃん、今月の支払いはどうなっとんのや」という恫喝だろうか。相手が『ヤ』ではなく『マ』のつく自由業というだけで。
「あの、ええと、実は長期の出張が決定して。あの、戦場で。荷物は極力減らしたほうがよさそうだし、大切なものだからこそ、失くしたり汚したりするのが怖いし。いろいろ考慮した結果、今回は持って行かないほうがいいかな、と。日記は帰ってきたら再開する、ということで…………」
「参戦なら絶好の機会だろ」
両手を挙げてあとずさる債務者の少女に対し、債権者の魔王の返答は無情だった。
「言ったろ。社会情勢や、一般には知られない情報を記録してあるほうが、記録としての価値は上がる。戦場に行くなら、絶対に日記はつけるべきだ。情勢をできるだけ詳細に記録できれば、対価としての等級も上がるし、返済も短くなる」
「…………」
ぽん、と日記を手渡された。
さすが、魔王。情け容赦のない意見だ。戦場に行かされる十六歳の少女の気持ちや都合なんて、これっぽっちも考えていない。
「じゃあ頼んだよ」
「え、待って!」
背を向けた魔王を、私は呼び止めていた。
魔王が「なに?」という表情で顔だけこちらをふりかえる。
「えっと、その」
正直、とっさに声が出ただけで、用件とか口実なんて考えていなかった。
なにか言わなければ、と頭を高速回転させ、ある単語が口から飛び出してくる。
「ラ〇ン交換して! もしくはメルアドを教えてほしいの!!」
「は?」
魔王から本気の不思議そうな反応が返ってきた。
「『らい〇』交換………に『めるあど』?」
「ああああ!! ごめんなさい、間違えた! 前世の単語だった!!」
「前世?」
「いや、ううん、なんでもない! 今のは忘れて!!」
私は手をふって否定する。
神殿育ちの悲しさ。男女の色恋沙汰はご法度で、気になる相手へのアプローチの仕方なんて教わるはずもない(知っている娘は知っているが、私はその機会に恵まれなかった)。
なので「どうにか彼と、もう少し仲良くなれないか」と高速で考えた結果、とっさに前世での二ホン流を思い出してしまったのである。
(変な娘と思われたかも…………埋まりたい…………)
それとも魔王なら『前世』という単語も奇異に感じたりしないのだろうか。
興味はあったが、試すには勇気が足りない。
「えっと…………そう、手紙! 住所を教えてほしいの! どこに手紙を出せばいい?」
「手紙?」
「…………迷惑? 嫌?」
「さて」と魔王は首をかしげた。
「言ったように、君とはまだ契約が継続している。呼べば僕の耳には届くから、必要なら、こちらから行くよ」
そういえば前回この部屋に現れたのは、私が彼の名前を思い出して口に出した直後だった。あれで耳に届いたのか。しかし。
「たとえば、ただ話し相手がほしい、世間話をしたいだけの時も、呼べば来てくれるの?」
魔王はそっぽを向いた。
「来る気ないじゃない」
それに。
「今は、あなたを呼んでなかったと思うんだけど?」
「聞き逃せない言葉を聞いたからね」
さっきの「日記はお休み」発言のことだろう。しかし。
(ひょっとして…………私から呼ばなくても、私の言葉は向こうに届いていない?)
前世のニホンなら『盗聴』を疑われるところだ。
私は深く考えないことにした。
魔王も話題を変えるように手をひるがえす。
「直筆の書簡も価値はある。書簡集なんてものも出版されるくらいだしね。いいよ、返済の一部として手紙も認めよう」
ふわり、と、その手の上に一羽の鳥が現れた。
「手紙を書いたらそれに渡せばいい。僕のもとまで運ぶから」
鳥は、ぱたた、と私の目の前まで飛んできた。慌てて両手を出すと、その上にとまる。
「君以外の人間の目には、まず見えない。そういう風に造っておいた。仕事の時以外は静かだから、邪魔にもならないはずだよ。餌や水も不要だ」
手の上でおとなしく翼を閉じてこちらを見上げてくる、黒い頭と尾羽に、白い胴の生き物。
「えっと。鳥…………みたいだけど、何の鳥?」
「トキだよ。野生のものより、少し小さく作っているけれどね」
「小さく…………」
私はしげしげと手の上を見おろした。
鳥類には詳しくないが、トキはたしかもっと大きな鳥だったと思うから、両手の上にとまっているこの一羽は『小さい』のだろう。だが、それ以上に。
「…………丸くない?」
小さくて丸かった。ころころ、という感じに。
それこそ前世のニホンで見た『ゆるきゃら』にちかい。
「役目を果たす分には支障ないから、心配は無用だよ。じゃあ僕は帰るよ」
「日記はちゃんと戦場でもつけるように」と付け加えられる。
「あー…………まあ、戦場だと難しそうですけど」
「やってみないとわからないだろ」
この期に及んで悪あがきする私に、前向きな反論が返ってきた(魔王なのに)。
「君さ。君が『手紙を出したい』というから、こちらが都合をつけたのに『やっぱり無理』というつもりかい? それが通るとでも?」
思ってはいない。
少なくとも、この黒曜石のような漆黒の瞳に見据えられて「無理」と主張するのは、私には無理だった。直視さえ難しい。
「日記が嫌なら、別の本に変更することは可能だけれど。君、渡せる本はあるかい?」
ない。というか、わかって言っているのだろう、この魔王は。
「…………いっそ、恋文でも書こうかな…………」
「へえ?」
自棄の呟きだったけれど、魔王の地獄耳には届いてしまった。
ついでに返事もかえってくる。
「それも可能だよ。聖女候補の恋愛模様も、知りたいやつは知りたいだろうし、君が有名になりさえすれば、十分価値ある情報だ。いくらでも書いてくれ」
「~~~~っ」
平然としたその反応に(言うんじゃなかった)と羞恥が込み上げる。
どんどん追い詰められているのを感じながら、私はなおも思案した。
(日記だけでも手間かかりそうなのに、このうえ手紙も? せめて日記と手紙を、一つにまとめられたら…………)
というか、それならけっきょく日記だけつければいいのでは? と、考えが一周回った時。
「あ」と、ひらめいた。
「交換日記して!」
魔王が首をかしげた。白い長い髪が小さくゆれる。
「えっと。小さい頃にやった…………いえ、話を聞いたんだけど」
私はおぼろな前世の記憶を懸命にたぐって、どうにか説明する。
「交互に日記を書くの。一冊の日記帳を使って。たとえば、私が今日の分の日記をつけたら、明日あなたに渡すから、あなたは明日の分の日記をつけて、明後日に私に渡して。そうしたら、また私もその日の日記をつけて、次の日にあなたに返すから。それをくりかえすの」
魔王は再度、首をかしげる。
「それだと、お互いの日記は一日おきになるけれど? 記録としては不完全になる」
「それはそうだけど。これは記録が目的というより『今日はこんなことがあった』って、友達と交換し合うのが楽しいものなの。楽しいからやるのよ」
「つまり子供の遊びかい?」
「まあ、そうかも」
私も子供の時、当時の親友とやって楽しんだ記憶がある。前世で、だが。
「却下」
魔王の返答はにべもなかった。
「遊ぶ時間があるなら、返済にまわしてくれ」
一刀両断だった。
要は「さっさと借りた金を返さんかい」ということか。
「それじゃ」と手を振り、白い髪の青年は今度こそ姿を消してしまった。
「ううう」と私は唸る。
(たしかに…………たしかに、命を助けてもらったけど! そのお礼が、約束したのに済んでいないけど! でも…………っ)
「もう少し…………なにか優しさとか色っぽさとか、ないかなぁ…………」
肩をおとす。
その気がないなら優しくしないのは、長い目で見れば優しさの一つとは思うけれど。
「やっぱり望みなし…………『期待するな』ってことかな…………」
手の上の丸い鳥が、きょとんと首をかしげた。
五日後。私は国境へ旅立った。日記帳を持参して。




