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この先の彼らの行動を語る前に、そろそろ"端末"についての話をしなければなるまい。
化身たちは当たり前のように使っているが、この端末とはつまり「彼らがゲームのキャラクターであった頃の、プレイヤーとしてのメタ操作を視覚化したもの」である。
例えば、音量設定などのオプション操作から個人間のメッセージ通信、果ては"わずかにゲームから離れて攻略情報を検索する"ためのネットブラウジング機能など。
これらのメタ的操作のインターフェイスを「古代文明の遺産」という体をとって配布していたのが、かつての"M&V"における端末の役割であった。
では、問題の『0715』以降はどうであったか?
まず、オプション操作は効果が感じられにくくなった。そもそもBGMやSEなどこの世界には存在せず、音量最小にしたところで一切の音が聞こえなくなる、ということも無いのは当然だ。
ただし、マクロ編集などの一部のコンフィグはまだ生きているようで、クァーティーもベヒモス戦において「特定のアイテムを一斉に放り捨てる」マクロを新規に作成するなどしている。
個人間のメッセージ通信については、問題なく使用が可能だ。
特定ユーザーからのメッセージをブロックなどの機能も含めて、全て生きていることが確かめられている。
そして、ネット閲覧については――
「そんな、まさか」
急ぎ登ってきたアルフォースの部屋で、クァーティーは息を切らしながら呟いた。
「『異例の集団失神から1ヶ月 犠牲者は依然として意識不明』日付は……8月16日。まさか、本当に」
「どういうこと……? ネットは7月15日分までしか見れないんじゃなかったの?」
そう、確かについ昨日まで、アバターたちが繋げることのできた範囲はその通りだったはずだ。
『0715』に墜ちた後、ネットワークはまるで時間から断絶されたかのように情報の更新を見せず、"けれど7月15日より前の情報であれば依然として集合知としての機能を果たしていた"。
それは、〈人類種〉から見たアバターたちを「異様」と言わしめる知識のソースだ。だが同時に、アバターと人類種の双方にとって幸運なことでもあった。
何故なら、"ネットワーク"はある意味でアバターたちの強さの拠り所であり、同時に世代によっては国などよりよほど強い帰属意識を抱かせる空間でもあったのだ。
人類が数十年の歳月をかけて作り上げてきた集合知の恵みは何も知識ばかりではない。ぽかりと喪失したアバターたちの心が立ち直る間の娯楽までもを与えてくれていた。
もし彼らがネットの一切に触れられなければ、アバターたちが――平均Lv70以上の、武器を持った千人単位の集団が――次第に「自暴自棄」に陥るペースは今よりも遥かに早かっただろう。
そのネットワークに今、ただならぬ変化が起きている。三人が震えるのも仕方がないことであった。
「書き込みは? メールや通話は送れないのデスか?」
「……駄目だな。8月16日、午前8時30分。どのSNSも、そこで書き込みが終わってる。
どうやら、更新があったと言ってもほんの一時的なものだったらしい。一応新しく送信を試みてみたが、やはり『LnPアドレス不正』だと」
「ぐ……アル君が最初に気付いた時間は? いつに更新があったんデス?」
「本当に、ついさっきだ。端末を見ながら過ごしてたら急に画面が白くなって、元に戻ったらこうなっていた」
だとすれば、まったくそれらしい予兆は感じられなかったということになる。
どうやらネットの針が進んだのはほんの一ヶ月ほどのようだが、この世界での体感時間からすれば後1週間もすれば『0715』から二ヶ月の時が経つはずだ。
何故今になって? この時間のズレは、いったい何を意味しているのか……?
「ユーコニア、ユーコニア……あぁっ、あった!」
思考に溺れかけていた二人の意識を、やや間の抜けたリッツの声が現在へと引き戻す。
「アポロ・ソフトウェア・デザインズ、会見……ユーコニア=バーデクトと名乗るAR(拡張現実)グラス越しにしか見えない少女を連れており……7月16日!」
「運営か」
自社のゲームをプレイした数千人もの人間が、原因不明の意識喪失に見舞われたのだ。
もちろん重大事件だし、何かしらの弁明は必要なのだが、あの科学全盛の時代ですぐに異世界なんて認められるわけもない。何もわからぬまま、会見を行わなくてはならない人間の苦悩が忍ばれる。
むしろ、たった一日で会見までおこなえる行動力が凄いのか。ApSD社長の九曜旭は、動画で見る限り人を惹きつける魅力に長けた青年であったが……
「ということはやはり、私らが見た通り、この国のお姫様は日本に飛ばされてしまったデスと」
「……これ、やっぱそうなるのかしら。ううん、無編集動画がどっかに……」
アルと二人で食い入るように見つめながら、リッツは検索空間に手を伸ばして情報を探しだした。
AR対応のカメラ越し、ギリシアの神像のような真っ白なキトンに包まれて、銀糸の髪を結い上げた女性が不安そうに俯いている。
その姿はゲーム内で見たのとまるで同一で、そして単なる3Dモデルであった頃よりよほど儚げで美しく"向こう"の世界の中で息づいていた。
指摘されなければ、誰もがそれをAR(拡張現実)だなどと思わなかっただろう。実際にそれは、CGによる合成などではないのだから。
聖女の額から、白金に輝く角が一本螺旋の筋を描き伸びている。耳は白馬のもので、やはりどこか緊張しているように項垂れて。
光の加減によって真紅にも濃紺にも色を変える瞳は神秘的であり、キトンの合間からぴょこんと飛び出た獅子の尾が女の像に生き生きとした愛嬌を与えていた。
〈"幻獣"ユニコーン〉の特徴を持って生まれた夜人族。生まれを問わず世に一人しか生まれない女子こそが、信興国の象徴的な存在、〈聖姫〉となる。
余談ではあるが、地球においてはAR(拡張現実)はVR(仮想現実)より遥かに早く実用化されている。
その壁となったのは、「見るだけ」で済むソフト面よりもむしろ「各種センサーや電池・CPUを常時装着して不快感を感じさせない形態」というハード面の問題であった。
特に初期に開発されたAR機などは、初代携帯ゲーム機を思わせるゴツくて重い代物を眼鏡としてかける必要がある。
しかし、AR機器もまた様々な携帯と名のつく電子機器と同じように十数年の間に著しく進化を遂げ、ついには三種の神器として日本国民の9割が所有するに至ったのだ。
……その開発に重要な役割を果たしたゲル状のマザーボードは、未だダンゴムシの裏などが見れない人用の衝撃画像として定番の人気を獲得してることもまた、記しておく。
閑話休題。
「どうなったんだろう、って思ってたけど。こりゃ、異世界交流確定ね……」
記者たちの要領を得ない質疑応答を眺めながら、リッツは思わず溜息を付いた。
ちょうど"アバター"たちと入れ替わるように、次元に開いた穴に吸い込まれてしまった影響だろう。
純人であるために彼女ほどの異彩は無いが、共に吸い込まれた騎士などの姿も後に控えるように並んでいる。
それにしても、ARグラス越しでしか姿が見えないとはどういう訳だろうか。ただあちら側に召喚されたのとは、少々ワケが違うようだが。
「まぁ、生きてるって分かっただけでも良いんじゃないか? この国の奴らにとっちゃ、充分だろ」
アルがぶっきらぼうに呟いて話題を終わらせようとした時、クァーティーもまた一つの事柄に思い至っていた。
次元の穴は確かに超自然的な産物だが、ネットワークはそうではない。万有引力にこそ縛られないが、それでも物理法則に沿って運用されていることは違いないのだ。
突如として、無から有は生まれたりしない。それはたとえ、データでも同じことである。
「そうか、〈大聖堂〉デスよ!」
そこまで考えた時、クァーティーは自分の脳裏に痺れが走ったような気がした。
「8月16日までの情報が更新されたということはつまり、その分だけ"移動"してきたということに他ならぬはずデス。
だとすれば、その経路は大聖堂に残る"次元の穴"に他ならないはず。行ってみましょう、元から用事もあることデスし」
「え? アタシたちに関するニュース見ないの?」
「後で見れます」
たいして複雑な理屈でもない。今を逃せば、あっという間に大聖堂に押し寄せるアバターの数は増えるだろう。
そう判断したクァーティーは、おそらく他のアバターたちが自分たちに関連したニュースに夢中になっている内に行動することに決めたようだった。
光の粒子を纏い、一瞬で部屋着から普段の胸甲姿に変化したクァーティーを、アルフォースはやや困ったような顔で仰ぎ見る。
「……でもそれ、三人で行く必要あるか?」
「んまっ」
そんな反応で返されると思ってなかったクァーティーは、思わず口元を抑えた。
何が起きたかは分からなくとも、知っておけることなら知っておいた方が良いのは当たり前だろうに。
恐慌状態で物事の成否を決めるのは、質の良い情報である。それができないのならばいっそ、無責任な噂からは一旦距離を取るように動くべきだが、幸い今は手の届くところに手がかりがありそうなのだ。
「何言ってるデスかぁ! 情報の平滑化には団体行動が基本デスよ」
「でも、『0715』以降の情報が消えてなくならないと決まったわけでも無いだろ?
オレだって色々調べたいことあるし、なんかあったらメッセージだって送れるんだしさ」
「むむむぅ……」
アルフォースの提案は、妥当といえば妥当だ。だが、それは人間がたった一人で本当に必要な情報とそうでない情報の区別が付けば、の話である。
情報の"空気"を共有する際に生まれるロスを嫌うか、多少乱雑でも物量の多い情報を求めるか。結局はスタンスの違いでしか無いのだが……
「わざわざ、情報を調べるのにわざわざ3人でまとまって行動する必要なんてないじゃん。手分けして調べた方が効率的だ」
なまじそれは正しいからこそ、「そうじゃない」と突きつけるのには手間がかかる。情報とは、文字や言葉に現れるものが全てではないと理解するのには、アルの年齢はまだ若すぎた。
アルが掲げた題目も、半分は言い訳にすぎない。まだ休日気分の抜けきっていない瞳の、根暗な輝きを見る限り、おおかた半分は面倒だから行きたくないなとでも考えているのだろう。
騎士のロールは何処へ行った、と尻をひっぱたいても良かったが、弦が切れて張り直す活力が足りないだけというのも理解できる。クァーティーもかつて通った道、一方的に叱りつける資格なぞあるまい。
「……はぁ、分かったデスよーだ。私一人で行ってきますから、配信されたアニメでもなんでも見てるが良いデス」
「なんだよ、スネんなよ……そんなこと言って無いだろ、別に」
大人げなく頬を膨らますクァーティーと、至極面倒くさそうな口ぶりのアルフォースの間に、ほんの一瞬嫌な空気が流れた。
ぷい、と扉の方へ向き直るクァーティーを手で押しとどめて、苦笑いしながら沈黙していたリッツが口を挟む。
「まぁまぁ、ならアタシがひとっ走り先に見てこよっか」
「……リッツさんが?」
「そうよ。行動が早い方がいいってんなら、アタシより早いやつはそうそう居ないでしょ?」
それもまた、一つの道理か。〈Qwerty〉が鈍足だと言うのは、自分でもよく分かっている。
戦闘型マーチャント系列の成長テンプレートは、まず最低限の命中率を確保しながらSTRを振り、次にVITで耐久力を伸ばし、AGIに手を出すのは最後の最後。避ける暇があったらポーションを飲めと言う、実にカネのかかる戦闘哲学である。
対するリッツは、AGIを真っ先にカンストさせた上で装備でも幾らか補正している徹底ぶり。その移動速度の差は100m走で容易く周回遅れにされる程度、と言えば伝わるだろうか。赤いのと赤くないのでも良い。
「なら、私は後から追ってくのでミルドニアン司教に取り次いでもらって下さい。クァーティーのパーティメンバーだと言えば分かると思うデス」
「へいへーい。じゃ、行ってくるわね」
木窓を開け放った隙間からするりと身体を抜けさせて、リッツは物音一つ立てることなく赤茶けた煉瓦屋根の上に降り立った。
極まったAGIがなせる技だろう、そのまま繋がった建物に沿い猫のように屋根や塀の上を駆け抜けてゆく。
なるほど、確かに入り組んだ路地を抜けるよりよほど早く大通りに出られるだろうが、それにしてもと言うか。
「……忍者かあいつ」
ぽかん、と口を半開きにしたアルフォースが、呆れながら呟いた。
当然、ゲーム内ならば通行不可領域侵入でGMに通報される行為である。真似をしてはいけない。
□■□
「いやぁ、一回やってみたかったんだけど……中々気分が良いわね、こういうのも」
大聖堂近くの路地、柵や窓枠伝いに降りてきたリッツが軽く息を整える。
「ARパルクールが社会問題になるのも分かる気がするわ」
パルクールとは、特別な器具を用いること無く人工物や自然の障害物に遮られずに移動することを目的としたエクストリームスポーツである。
これに拡張現実によるエフェクトやスコア機能などを追加したARキットが出回り、県によっては規制条令が出るほどの社会問題と化したことがあった。
当然だが、跳躍や落下を含めた移動を人の多い都市部で行うことは非常に危険な行為である。
素人は決して真似しないよう、そして健全に楽しんでいる方々の迷惑にならぬよう充分に謹んでいただきたい。
「そんで、まぁ……この先よねきっと」
魔女帽の鍔を軽く引き上げ、リッツの眼鏡に反射光が輝いた。
唇を尖らせたその先には、衛視らしき数名の男たちがアバターらしき小人族の〈魔導師〉をぶら下げ、何やら騒いでいる。
クァーティーが言うに、もっとも今の異変と近しい場所での喧騒である。リッツは思わず路地に身を隠したまま、なんとなく聞き耳を立てた。
「ええい、離したまえ、降ろしたまえ! 許可を貰って来ているのだよ、僕は!」
「許可を出したのは、あの"暗がり溝"に近づくことまででしょう! 一体何をしたんですか、只事の様子では無かったですよ!?」
「説明ならしたでは無いかね、彼女を通すことで我々のインコグニートなアドレスがハイパークロックされてほんの僅かな時間プロクシでのリモート・コントロールが可能になる可能性がなきにしも非ずかな……?」
「ですから、それが分からんと言っているんです! というか疑問形にならんで下さいよ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」
短い手足でバタバタともがいているが、猫のようにつまみ上げられた彼の四肢は地面にたどり着く気配すら見えない。
それにしても、何の話だろうか。リッツはさほどコンピュータに興味がある人間では無いので、聞き取れたことと言えばインコなニートが妹でどうのこうの……
「うーん、キュー子なら何か分かるのかしら」
絶対に違うと分かる想像図をさらりと無かったことにして、リッツはひょこりと路地から顔を覗かせた。
とりあえず自身の懐から"端末"を取り出し、クァーティーへとメッセージを送っておく。
少なくとも、あの小人族の男は何らかの手がかりには違いないだろう。
リッツは、クァーティーたちが来る前は現状把握に徹し、動きがあるまで路地から様子を伺うべく角へ引っ込んだ。
「とにかく! 私どもでは判断が付きませんので、責任者が来るまで少し待って頂きたい。
ったく、ミルドニアン様はまだなのか……?」
「君ねぇ、分からん分からんで思考停止するのは想像努力の欠如だよ。
考えて見たまえ、僕のような優秀な科学の徒の行動を一分一秒停止させることがどれほどの損失を生むか!
君なら分かるだろう、ヴァージニア君?」
「Yes、マスター。取り込まれる酸素の不足により窒息死に至ると思われます」
「マグロかね!? あぁマグロは外洋を泳ぐ大型肉食魚でな、よく知ってるね君ぃ」
「あぁもう、少しの辛抱ですから静かにしていて下さいよ!」
何とも胡乱な男である。
どうやら、その場にいたであろう衛視たちにも、事態の把握はできていないらしい。
だが少なくとも、なにやらやばいと思わせる程度には"暗がり溝"――つまり、彼らの言う次元の穴に何事かが起きたのだ。
故にこそアバター相手でもこうして下手人を捕縛し……そしてもう一つ、まったく別の気になることが。
(〈ヴァージニア〉?)
それは、ゲームや小説、映画などの作品を5つ取り上げればそこに1人は入っていそうなありふれた名前ではある。
しかし"M&V"でヴァージニアと言えば、とあるNPCの名がまず上げられるはずだ。
「言われているぞ、ヴァージニア君。何とか言ったらどうだね」
「Yes、マスター。マスターが5歳児並みの落ち着きの無さでどうも申し訳有りません」
この言い草、やはり銀髪毒舌メイドロボという狙い撃った要素で人気を誇っていた、〈人機〉のノンプレイヤー・キャラクター〈"人形司書"ヴァージニア〉に他なるまい。
ヴィクトリア風のメイド服に、薄紫の人工髪を纏め上げたお団子にはゼンマイ型のパーツが突き刺さりくるくると回っている。よくよく見れば、金の瞳からは僅かに電子の輝きを覗く。
〈人機〉とは、人類種が存在する以前の古代文明時代から生き続けている〈古種〉の一つで、設定では、古代文明人の作り出したアンドロイド的な存在であるらしい。
生殖はせず、その機能の多くは失われているが、時折まだ生きている遺跡がありそこから生み出されることもあるようだ。
誰かに忠誠を捧げるのが生きがいだそうだが、遺跡の防衛装置めいて人類種に牙を剥くこともあるので全体的には中立の種族とされている。
『ritz:ねぇ、NPC見つけたんだけど。あれはヴァージニアかしら?』
『qwerty:ヴァージニア? 見間違えでは』
『ritz:[look]→〈"人形司書"ヴァージニア〉』
『qwerty:[注視]確認、hmm』
問題は、そのヴァージニアが何故こんな場所に居るかだろうか。やはり、クァーティーも彼女がここにいるとまでは想定していなかったらしい。
かのNPCは、人形司書の名が示す通り、普段は〈"古学者"ペトロニウス=アニュー=スター〉の書斎に佇んでいる存在である。
それが何故知名度が高いかと言うと、古代文明に絡むクエストではほぼ必ずと言っていいほど〈ペトロニウス〉に会うか彼の書斎で調べ物をする必要が出てくるからだ。
当然、〈"古代都市"ギィン=サリル〉を到達地点とするリッツたちの目的にも彼は絡んでいる。が、本来彼は文華宮クリプツカにて居を構える存在だ。
ワープの無くなったウェザールーンの地に置いて、国同士を往復しようと思えば最低でも2ヶ月はかかる。何らかの交渉をもって彼女を同行させていたとしても、半月ほどタイムスケジュールがおかしいのだ。
「んー……わっかんないわねー……」
元よりリッツはあまり深く物事を考えないタチであるからして、「まぁ後で本人に聞けば良いか」と早々に見切りをつけた。
クァーティーたちはまだ到着する様子が無いが、ここから見るだけで分かる情報もそろそろ限界だろうか。これ以上見守っていると、彼が本気で奥に連行されて行きそうでもある。
リッツが逡巡し、胸ポケットに入れた端末にクァーティーからのメッセージが届いた瞬間であった。
「何をしていらっしゃるんですか?」
「ひゃっ」
澄んだ男の声が、予想だにしない方向からかけられてリッツは驚きに身を竦ませる。
男の割に長い黒髪を後ろで結び、一つ一つは何の変哲も無い装備をどこと無く和を感じさせる風にまとめた青年であった。
魔獣の骨でできた大剣を背中に収め、竜の牙の首飾りを下げているあたり鋼鉄国の〈竜牙兵〉だろうか。いや、もちろん彼も"アバター"なのは確かだろうが。
「あぁ、すいません。驚かせるつもりは無かったんですが」
「ああいえ、こっちこそ驚いちゃって」
冷静になって考えてみれば、確かに不審者っぽい動きだった気がする。声をかけられるのもむべなるかな。
彼の歳はまだ若そうだが、柳のような声と裏腹にピンと張った背筋からはちょっとした風格すら感じる。
ビアター(自身の顔や動作を映すタイプの動画投稿者及び参加者)的かというとちょっと違う気がするが、充分に"格好良い"と言われる範疇であろう。
急に路地から現れたアバターたちのことを、衛視たちは半分胡散臭い目で、もう半分はそれこそ天の助けが入ったかのような表情で見た。
「おお、カミイズキ君! これはまさしく僥倖、天の助けだね。見たかねヴァージニア君、僕の日頃の行いが良い証だよ?」
「Yes、マスター。早急に傘に10mm厚の鉄板を貼り付けておくことを進言します」
「ははは、槍でも防ぐ気ですか……あぁすいません衛兵さん、そこの人の回収に来ましたよ。報告もまたしかるべき時に」
そしてどうやら、問題の御仁と知り合いであるらしい。
割と何度かあることなのだろう。ホッと表情を和らげた衛兵たちが、猫のように摘まれた小人族の男を突き出しながら軽い敬礼の動作を取った。
「では、我々はこれで失礼します」
「Yes。まったく、手間をかけさせるマスターでありました」
「お? なんだね、君たちは。僕の両手をそんな風に掴んで、ははぁ大人気だなあ僕も。
しかしそんな風に持ち上げられると地面に両足がつかなくて辛いのだが、あいたたた降ろして! 降ろしてくれたまえ!」
「あ……」
ちらり、と。カミイズキと呼ばれた男の瞳が、振り返った際にこちらを見定めていたような気がして、リッツは無意識のうちに身体を小さく震わせる。
リッツは一瞬、〈ヴァージニア〉のことをクァーティーたちが来るまで繋ぎ止めておくべきかと考えたが、どう想像しても不審者以上にはなれそうに無いので諦めた。
先程の目も、路地から様子を伺っていた不審者に向ける視線だと考えればまぁ納得できる。納得したくはないが。
「……それにしても、すごい濃いキャラだったわ……」
嵐のように、とはああいう人のことを言うのだろうか。まぁそれを言うなら、調子に乗っている時のクァーティーも似たようなものかも知れないが。
両腕を吊るされながら雑踏に消えていく小人族たちを見て、リッツはなんとなく100年以上前に撮られたリトル・グレイとやらの写真を思い出す。
宇宙人発見の話題など、ヘッドラインのタイトルにもならなくなって久しいが、こういう古式ゆかしいミームは案外受け継がれていくものなのである。
「おや? これはこれは、リッツ様では有りませんか。この大聖堂に何かご用事でも?」
ヴァージニアを見送ってからしばらくが経ち、リッツがそろそろどうしたものかと考えていると、いかめしく聖人像が彫り込まれた大扉の向こうから一人の若神官がひょっこりと顔を出した。
サシで話したことこそあまりないが、知らぬ顔ではない。主に"アバター"絡みの対処を丸投げ……もとい一任されているらしい、ミルドニアン司教である。
「あぁ、別に大したことじゃないの。堅苦しいのはキュー子とやって頂戴。ちょっと、"次元の穴"に問題があるんじゃないかって聞いて見に来ただけよ」
「聞き及んでおります。どうも、私は駆けつけるのが遅かったようですが……ふむ、その様子だとペトロニウス様に会いましたか」
「ペトロニウス?」
「小人族の殿方ですよ……あ、いえ、小人族といってもアバター様なのですがね。
こう……何というか、喋るペースが非常に特徴的な方なのですが」
「あぁ、あなた達にとってもやっぱりそうなのね」
「えぇまぁ……困ったものです。クァーティー様とは別の方向で、恐らく優秀な方なのは間違い無いとは思うのですが」
大聖堂内部にも周知されていると言うことは、複数回ここを訪ねていると言うことだろうか。
それにしても、〈ペトロニウス〉か。それはやはり、〈ヴァージニア〉の対になるNPCなのだろうが。
「ありゃ、どう見ても中身入りよねぇ……?」
注視を使えば簡易メニューが表示されるのだから、アバターかそうで無いかはすぐに分かる。むしろ間違える方が難しい、と言っても良い位だ。
謎が残るのは確かだが、目的を考えればいずれ会わなければならない相手だ。そうなれば、話を聞く機会はできるだろう。
少なくともこの時は「まぁ、後でいいか」と考える程度の問題であったし、事実リッツにとってはそれで構わなかったのだが。
「そういえば、クァーティー様から"化身殺し"の話はお耳に届きましたかな?
お気をつけ下さいね、そろそろ本日も夕刻の時間ですから」
「あぁそれね。まぁ、具体的に何か調査してる訳じゃ無いけど、もし会ったらぶっ飛ばしておくわ」
「いやはや、頼もしくて何よりです。ですがアバター様とは言え女性なのですから、あまり傷だらけになっては世の殿方が悲しみますよ」
「え? あ、うん。ありがと」
女子好きのする笑顔を浮かべながら、ミルドニアン司教は慇懃にリッツへと話しかけた。
まぁ世辞だろうが、リッツとて役者顔負けの美青年に笑顔を向けられて、悪い気持ちに成るわけでもない。
少し目を逸らすように自身の端末を取り出して、リッツはクァーティーからのメッセージを読み忘れていたことに気がついた。
「うへぇ、こんなに沢山……後で怒られるなーこりゃ」
「おや、大丈夫なのですか?」
「ま、謝りゃ許して貰えるでしょ……そうだ! ミルドニアンさん、あのペトロとか言う人たちについて何か知ってる?」
「はぁ……そうですね、どうやら"暗がり溝"の前でなにやら怪しげな小躍りをしていた、と兵からは報告が来ていますが……
後は、"化身殺し"に興味が有るならばまずはあの方から話を聞くと良いでしょうね。
"協会"を組織して、アバターたちを取り巻く問題を一旦整理しよう、と言い出したのはあの方なので」
ならば、何かしら"化身殺し"に対しても調査はしているだろう。
今日、大聖堂に来たのは別件のようだったが、それも含めてクァーティーに報告しておいたほうがいいか。
せっかく端末を開いたのだし、謝罪ついでにメッセージを送ろうと、リッツは指先の操作に集中する。
「"協会"ねぇ……ま、そういう難しいことはクァーティーに任せましょっと」
だがもしこの後、どこで歯車が噛みあったかを思い出すとするならば。恐らくは今、このメッセージを打つ瞬間だったのだ。
□■□
(――あぁ、"彼女"は良いなぁ)
建物と建物をつなぐ連絡橋が作り出す暗がりの中、紅潮した頬の熱を冷ましながら男は浮かれ上がっていた。
許されるならば、舌なめずりでもしたい気分だ。にんまりと釣り上がりそうな口角をおさえるのにも、大分苦労している。
ひょっとしたらこの気持ちは、一目惚れといっても過言では無いかもしれない。建物の屋根と屋根を飛び移る"彼女"を見た時の高揚は、まるでシャンパン瓶から引きぬかれた直後のコルク栓の如しであった。
この世界は、ゲームの時から随分と様相を変えたと思う。
人も、獣も、虫でさえ決してステートの移り変わりによる状態遷移図では生きていない。"魔"に属するものは少々怪しいところがあるが、それでもふとした動きに知性を感じることは多々ある。
対する日本人たちが"システム"というぬるま湯に浸かりきり、自分の脳みそでは歩き方すら忘れてしまったように見えるのは、男にとって失望しかできぬことであった。
(だから、"彼女"は良い)
傾斜の付いた屋根から猫のように欄干へと飛び移る、あのしなやかな脚の動きを見よ。
本来移動不可設定であった場所への移動など、"システム"は何の保証もしてくれやしない。幾らSTRが、AGIが、DEXがあろうとも体幹を鍛えた経験がなければあの跳躍は不可能だ。
ステータスには現れない、自分と同じベクトルの、本物の"能力"の持ち主。それこそが、男の探し人であった。
(では、早速やるか?)
なんだか、それもいただけない気がした。昨日の夕暮れから時は経ち、〈指輪〉のリキャストは済んでいるが……それでは、躾のなっていない犬のようではないか。
自分としては、"彼女"には一期一会でなく末永い付き合いになって貰いたいのである。ならば、女性に対しそれなりの声のかけ方と言うのもあるだろう。
それに何より、今はまだもう一歩、何かが足りていない。奥底に眠っているであろう強くなりたいと言う渇望、あるいは闘争心を彼女から引っ張りだす理由。それが、自分の手札に無いのだ。
(一日の殺陣には限りがある。時間にも限りがある。対象にも限りがあるし、まぁなんとも縛られるものだ)
だが、それでもチャンスはチャンスだ。諦めこそしていなかったが、けれど一生燻り続けるのだろうなと観念していた夢をつかむチャンスが、この世界にはある。
男はどうにか興奮する自身の心拍を抑え、待ち人たちに合流する為に影の中から出ようとした。
その際、目の前の道路を栗色の髪をした〈マーチャント〉が苛立たしげに端末を操作しながら横切っていく。
「むー、返事がこないデス……」
……特に目を引くところも、隠された実力が有りそうなわけでもない。感想と言えばせいぜいが、「防具の粗末さの割にいい武器を持っているな」というくらいである。
何の変哲も無い、下級職アバターの少女であった。男の殺陣の対象はあくまで強者であり、弱者を嬲ることには一欠片の興味もない。
違和感を持たれない内に視線を外そうかと思った矢先、小人族の少女もまた、端末を眺めていた視線を少しだけ上げた。
互いに軽く会釈をしながら左右に避けてすれ違う、それだけのこと。
「んもう、アル君といいリッツさんといい、なんか危機感が足りないというか……ちゃんと〈大聖堂〉で待ってるんデスよね?」
彼女が一房だけそそり立った前髪を逆立てながら呟いた、風に漂う独り言が男の耳に届くまでは。
(ああ、なるほど、"そう"繋がるのか)
やはり自分は今、ツキが向いてきている。行き当たりばったりの杜撰な計画で、案外うまくやれているのもその辺が原因だろうか。
浮きあがりそうになる奥歯を噛み締めながら、男は何気ない仕草で一度誰の視線もない路地裏に入り、装備マクロを起動させた。
服と装備が光の粒子に分解され、瞬時に別の装束を纏う。着替えた青年は、足早に先程すれ違ったばかりの小人族の少女を追いかける――
――純白の和装に身を包み、顔の上半分を覆う鴉面で目元の表情を分からないようにした上で。
「さぁて、殺陣の時間だ」
彼……つまり"化身殺し"と呼ばれる男は、音を立てぬよう静かに鯉口を切る。
ふと息づかいを感じたクァーティーが振り向いた時、そこには既に白地の男のシルエットが、城壁に縁を付けた夕日を背負い……
この日、リッツが幾ら待てども、クァーティーから返答のメッセージが帰ってくることは無かった。
次回は5/23日更新。




