12
〈白犬騎士団〉の朝は早い。籠の中の小鳥たちが起きる前に目を覚まし、寝ぼけ眼で餌箱に中身を入れなければならぬ。
鳥を飼うのは新入りの役目である。新しく入ってきた者一人につき、必ず一匹の小鳥が団から与えられ、飼育の任が下される。
奴らは起きてすぐに食事と水が見つからなければ籠を揺すって騒ぎ出し、あえなく寝坊がバレた番の者は罰が与えられる、というわけだ。
お陰でこうして1年もの間世話を続けていても、ペットとしての可愛げをかけらも感じることができない。
むしろ小憎たらしい小柄な試験官を前にして、恭しく茶を注がなければならない下っ端のような気分である。いや、気分では無く実際にそうなのだろうか。
一人前と認められるまでは小鳥以下。それが信興国バーデクトが誇る〈白犬騎士団〉の鉄の掟である。
「……なーんてね」
無論、そんな掟が明文化されているわけでは無いが。鳥の世話は、あくまで代官や神官など上流階級で育った者にも規則正しい早起きの習慣をさせるための方便に過ぎないはずだ。
育てた小鳥は数匹が遠征に連れだされ、いち早く危険を知らせる存在として扱われるらしい。
確かに、鳥は人間よりよほど警戒心が強く視野も広そうだが……果たして本当に役に立つのかは、〈白犬騎士団〉の一員として1年が過ぎた今でも正直疑問が残る。
「アビエイル=クウェイリィ炊班兵、起床致しました」
毎日ご苦労と言わんばかりに粟の実をつつく小鳥に対し、少女は冗談めかして敬礼の形をとった。
控えめに突き出た牛の角が特徴的な、年は16、7くらいの少女である。日の反射によって薄桃色に輝く髪が、邪魔にならぬよう短くまとめられている。
「うむ。おはよう、アビィ」
「ほわっ!」
当然、騎士ならともかく一般兵のレベルまで個室なんて贅沢なものが与えられるわけがない。
それでも女の身である以上、多少は融通を利かせて貰っているのだ。例えば、同期でまとまった四人部屋からあぶれたので少しだけ上等な二人部屋に同性の上司と住まわせてもらったりとか。
もちろん、それが良いことだらけかと言えばそんなことはない。
アビィと呼ばれた夜人族の少女は、背後から予想をしていなかった声を浴びせられ、ビクリと背筋を震わせた。
「お、起きておられましたか、班長どの……」
「あぁ、起きていた。なに、たまたま早く目が覚めてしまったんだ。朝の世話もちゃんとやっている。
だから、寝ぼけ眼で肌蹴た服装のまま小鳥に敬礼していた姿は秘密にしてやるさ。そう畏まるな」
「うぅぅ……そう言われましても」
涼しげに笑う20代半ばの炊班長は、どうやら既に目が覚めて制服への着替えも終えていたらしい。
たかだか入団2年目の一般兵程度が同室の上司よりも遅く起きたとあれば、やはり肩身の狭いものだ。
ハスキーなお声の炊班長は、女性の従士たちから憧れの的として見られているフシがある。
アビィにそっちのケは無いが、中性的な顔つきには、確かにどれほど訓練を重ねても自分では醸し出せない魅力が存在するのだろう。相当な鍛錬を積んでいるはずなのに、線の細さが恨めしい。
ちなみに、〈白犬騎士団〉の階級は大きく分けて3つ。上から順に軍務長官、騎士、従士となっている。
騎士団の名でイメージする金属鎧に盾と剣という姿は騎士の、それもかなり高位のそれであり、従士の姿格好はおおむね制服に兜と胸当て、後はせいぜい弓か槍といったものだ。
炊班兵であるアビィにも一応槍を支給されてはいるが、遠征に追従する際には水や湯、食事の用意が主な役目である。
槍を使用するのは、基本的に街の警邏業務になる。なんだかんだ、そこそこ訓練を受けた人間が長物を持っているだけで不審者如きには負けないものだ。
「とは言え最近は、そうとばかり言えなくなってきたかも知れないな……」
広げた羊皮紙に目を落としながら、班長は憂鬱そうに呟いた。
大雑把な街の地図に紅い墨が入れられて、その横に何事かが走り書きされている。最近、街が噂でひっきりなしな例の"化身殺し"のことであろう。
「白仮面、ですか」
「あぁ、一度目撃したことがあるが、鮮やかな手並みだったよ。忽然と消える所まで含めて、何が起きたのかさっぱりだった」
「彼自身もアバター様の一人なんですよね。……なんで、同じアバター様同士しか狙わないのでしょう?」
「さぁ……衛兵が駆けつけるのが間に合ったとしても、ほとんど無視されてしまうのだよね。
幸か不幸か、そのお陰で本当の意味での死者が出ていない状態ではあるんだが」
それはまるで、「アバターは死ぬのは"死"では無い」と言外に滲ませるような言い方であった。
いや、実際にこの世界に生きる〈人類種〉のほとんどははそう考えているのだろう。アバターとは死してなお蘇る、不死身の天の化身であると。
「……私、街の巡回中に何人かのアバター様とお話したことが有るんです。通り魔が現れるようになってからも」
「そうか、どう思った?」
「『普通の人たち』でした。もちろん、何言ってるのか分からなかったり、どうしてそういう考えに到るのか分からなかったりすることは何回もあるんです。
でも、そういう……"違う"部分を取り除いて、根っこだけを見た時。あの人たちは、本当に私たちと……
いえ、私たち〈白犬騎士団〉が守るべき国の民と、どこも違わないのでは?」
「……そうだな、と頷くことはできそうにない。少なくとも我々の立場ではね」
班長が木窓を開けると、ほのかに湿った海側からの風が部屋の中へ入り込んだ。
もう少し日が高くなる頃には、せっかく整えた髪がぼさぼさになるほどの勢いで吹くことも有るのだが、まだ夜が明けて間もないこの時間なら風の勢いもさほどではない。
どこと無く淀んだ部屋の空気が吐き出されていくのを感じながら、アビィもまた手早く皮のコルセットを締め付け己の制服へと着替えていく。
「我らが枢機卿様が言うには、彼らは紛れも無く"大いなるもの"の住まう世界から降りられた存在だそうだ。
……だとしたら、私たちが『いいえ、彼らは普通の人に過ぎません』なんて言うわけには行かないだろう。下手をしたら、不敬罪で首を跳ねられるかもしれない」
「あっ……ち、違います! 私、そんなつもりで言ったんじゃ無くて!」
「分かっているさ、そもそもこっちが聞いたことなんだしね。他言するつもりもないよ。なあ」
少しの間、班長は難しい顔をして口を噤んだ。
だが結局は言うことに決めたようで、窓の外を眺めながらアビエイルにだけ聞こえる声で囁いた。
「アバター様がたとお話するのは、辛くないかい」
「え?」
「あの方々は本当に……時々よりもっと高い頻度で、突飛もないことを口にする。
私は何というか、それに付いていくのが辛いんだよ。私が今まで知っていた世界が、音を立てて崩れるような気がするんだ。
なぜならあの方々の言うことは本当に極端で、常識外れで、そしてきっと……正しいからだ」
「それは……」
恐らくは、それが普通の反応なのだろう。
アバターたちが口にする"ワケの分からないこと"は、感情では否定したいのに、理屈立てて説明されればどこを否定すれば良いのか分からないことだらけなのだ。
鉄の乗り物で空を飛ぶ話だとか、どんなに離れていても顔を見ながら会話することができただとか。
彼らは元の世界で魔法を使っていなかったと言うが、それが可能なら魔法よりも凄いのではないかと思うような話ばかりである。
「分からないわけでは、無いです。私、"海の果て"が見てみたいって言ったの、覚えてますか?」
アビエイルが生まれたのは、かつてリザヌール港と聖都の間にあった小さな漁村であった。
リザードマンたちのリザヌール港襲撃による立地悪化から、その村は数年前に放棄することを決定したが、かつてはアビィも村の中で魚の運搬を手伝っていた。
なにぶん成年前のことなので本来はあまり褒められた物では無いのだろうが、今はライダーズギルドから正式な資格書を与えられて居るので安心である。
幼少のアビエイルに刻まれているのは、物見塔から見た海の広さ、波の音、そして潮風の匂いだ。
やがて内海の向こうは〈文華宮クリプツカ〉に繋がっているのだと知ったが、同時に〈アズマの地〉と呼ばれる神秘の文化圏があること、そして更にその先に未開の海が広がっていることも知った。
――ならば、その"海の果て"に何があるのかを見てみたい。
幼いアビィがそう考えたのは、仕方のないことだったのだろう。
努力を重ねて白犬騎士団に入ることができたのも、ひとえに「一度世界を回ってみたい」という思いがあったが故である。
「聞いてみたんですよ。アバター様なら、もしかしたら"海の果て"のことも知ってるんじゃないかって」
結果的に、その考えは間違いではなく、同時に致命的な失敗でもあった。
「……そうしたら、なんて答えが返ってきたんだい?」
「"海の果て"なんて存在しない、と。私たちの世界は、月がそうであるのと同様に丸くできているのだ……と」
それは即ち、子供の頃から密かに抱いていた夢の否定だ。
自転の仕組み、太陽の沈み方、月の満ち欠け。彼らの理屈はどこまでも正しく、アビィの学力ではどこを否定すれば良いのかすら分からなかった。
「でも、泣きそうになってたら他のアバターさんたちが次々に口を出してきて。
やれ年の長さがどうだとか、月の数がどうしたとか、ジー?がどうとか……あっという間に口論になっちゃったんですよ」
「ふむ? ……んん、その話は結局どうなったんだ?」
「はい、結局『自分たちの世界は球状だったけど、この世界ではちゃんと一周してみるまで分からない』……ってことになったみたいです」
「それはまたなんとも、悠長な話だなぁ」
「だけど、私の夢は残りました。それに、本当に世界が一回りできるんだとしたら、それはそれで見てみたいなって思ったんです。
だからやっぱり、あの方たちとお話するのは楽しいですよ。思いもしなかった夢が、見えてくる気がするから」
笑顔と共にそう言い切ったアビィに対し、班長が何事かの言葉を返そうとした時、扉の外で誰かが立ち止まる音が聞こえた。
コンコン、コンコンと部屋の木戸が規則正しく打ち鳴らされ、扉の外から男騎士の堂々とした声が響き渡る。
「騎士グレイマンである! アビエイル=クウェイリィ炊班兵は起床しているか?」
「……私……? あ、はい! 起床しております!」
「よろしい。では少し付いてきなさい、ミルドニアン司教がお呼びで――」
ある、と言おうとした所でドアが開き、グレイマンと名乗った男騎士の角角とした眉が僅かに釣り上がった。
口を一文字に閉じ、なんと言ったものかと思案する騎士の様子を見て、アビィの瞳がきょとんと開く。
「……あー、君」
「あ、あの、どうかしましたでしょうか」
「……っ、くく……そう目くじらを立ててやらないでくれ、グレイマン。私が話に付きあわせてしまったんだ」
「上官だぞ、敬語を使え! 君も、騎士団の一員ならば誰に見られても恥ずかしくない服装を整えてから『起床』という言葉を使うように! 以上だッ!」
「え、あ……! きゃっ!」
コルセットを締め終えた後、何もしないまま反射的に立ち上がってしまった己の脚を慌てて隠そうとして、毛布に足を取られたアビィは盛大にひっくり返る音を鳴らした。
頬どころか指の先までが羞恥で赤く染まるのを見て、中性的で物静かで知的な上司は口をおさえたまま腹を抱えて笑いだす。
荒々しく怒りを滲ませた重い足音が再び廊下側に響き、先程よりも大きさを増した声が怒鳴るように叩きつけられた。
「以上じゃない! ミルドニアン司教がお呼びである、迅速に来たまえ!」
「は、はいぃ!」
□■□
アバターたちの夜は遅い。久しぶりに真っ白なシーツの張られたベッドでぐっすりと休息を取ったクァーティーがこの日再び起きたのは、既に日も傾き始めた頃合いであった。
「んむ……ねすぎた」
クァーティー、渾身の昼寝である。流石にご飯を食べて眠くなったからといって即ベッドと言うのは、牛と化すのもやむなしか。
どうにもまだまだ、地球世界での体の感覚が忘れられないらしい。しょぼしょぼと目をこすりながら低い身長で難儀して窓を開け、生温くなった外気を取り入れる。
既に赤く染まり始めた西の空に改めて感嘆の声を上げ、視線を庭に下ろすと、そこには緩やかに身体を動かすリッツの姿があった。
「うぃー、おそよーデスー」
「ん、おきたのキュー子。まぁ、アルの奴よりはマシなんじゃない? あいつ、夜中まで端末いじってたみたいだし」
「仕方ないのデスよ。久しぶりの余暇デスからね、色々考えちゃうこともあるんでしょ」
毎日毎日狩りで疲弊していた頃や野宿で色々と余裕が無い時を除いていくと、夜に何もしないでぼうっとしていられる時間は本当に久しぶりなのだ。
電灯の明かり一つ無い夜の闇は、人にふと恐ろしさを想起させ、それに追従する様々な思い出も同時に思い起こさせる。
日々に余裕があるからこそ、人は先の見通せぬ不安に押し潰されそうになると言う。ましてやあの歳、父母から離れて暮らしたこともそう無いだろう。
闇から逃避するように夜更かしをしてしまっても、仕方のないことだとクァーティーは思っていた。
装備を付けて部屋を出て、てぽてぽと階を下る。
石造りの建物に備え付けられた階段は、角度が急な割に手すりの位置が高いのが小人族にとってはなかなかの障害だった。
「それにしても、ここの女将さんが作るオムレツ、けっこう美味しかったわね。朝食で出た奴」
「んにゃー、朝からオムレツってのも中々……果物で充分デスねぇ、私ゃ」
裏手の戸を開け、他の建物が壁となった結果ちょうど中庭のようになっている場所に出ると、先程の続きだとでも言うようにリッツから声をかけられた。
どうやら、足を地面から離さない奇妙な歩法を繰り返すリッツ以外に他の住人は居ないようである。
適当な塀に腰を下ろし、クァーティーはぼんやりと朝食として持ってきた果物を食みながら、リッツの奇妙な動きを見続けていた。
「……鍛錬か何かデス? 開拓村でもやってましたねぇ、そういえば」
「ま、ねー。向こうの世界じゃ日課だったんだけど、野宿の時はそうも行かないし……
久々にちょっとこう、みっちり、確認、しとこう、かなって!」
どうやら動きを変えたらしい。絞りだす声は苦しげであったが、ピシッと突き上げた膝や腕には僅かな震えも無い。
人間、不確かな姿勢で静止するのは見た目以上に辛いものだが、リッツにとっては普段の準備運動に過ぎないようだ。
ふぅー、と長く深い呼吸が肺から漏れていく。
「……ま、こっちで身体鍛えて意味あるのかは甚だ疑問なんだけどね……」
「無意味ってことは無いと思いますけどね。アバターの動きはシステムに依るものが大きいとはいえ、MAとかのプレイヤースキルが係る要素だってあるデスし……」
とは言え、鍛錬を長く続けるくらいなら、その時間で経験値を稼いだほうが手早いのは確かだ。
そもそも母体がMMOである以上、どうしてもプレイヤースキルによる上昇要素を、レベルシステム以上のものにはし辛い。
プレイヤースキルによる成長を好む者は、FPS、あるいは対戦型RTSなどと住み分けているのが普通である。
「格闘技はあまり詳しくないデスが……太極拳ってやつデスか?」
「んー、まぁ厳密に言えば色々流派あるんだけど、でも大体そんな感じ」
「あまりやりませんでしたけど、格ゲーとかで使われてるのは見たこと有るデスよー。
格好いいデスよね、こう、ズシン! と重いSE(効果音)と一緒に肘や肩で攻撃したり、気功を飛ばしたり」
「それ、ちょっとファンタジー混ぜ過ぎてない?」
「まぁまぁ、でも"M&V"の〈モンク〉にも、一部モーションの参考になってるんじゃないデスかね。
まぁ、巨大な困難に拳一つで立ち向かっていくのって、やっぱりロマン? って言うか~」
「ロマン、かぁ……」
右足を軸に、前に出した左足のかかとを地面に付けた体勢から、流れるように体重の乗った右拳を突き出してリッツは動きを止めた。
風切音を立てた拳には、4色それぞれの輝きを放つ宝石が同じ数嵌っている。
白い石壁に切り取られたほんの僅かな狭間から、ちょうど太陽が顔を出し、翠白紅黒の宝石に光を当てた。
急な西日にクァーティーが目を細める。一瞬の間、中庭が白と黒だけに切り分けられたようにも感じた。
「……アタシ、実家で道場の手伝いやってんだー」
拳を突き出した姿勢から一糸も揺るぐことなく、リッツはぽつぽつと言の葉を木漏れ日に乗せる。
「特に言うことでも無いから黙ってたけど、アタシ、実は大陸系の生まれでさ。
あ、家は結構ちゃんとしてるとこなのよ? 父さんはアクション映画に何本も関わったりとかしてたし、門下生の人にもスーツアクターさんとか居たりして。
でもアタシが5歳の頃に、まぁ、地元があーいうことになっちゃったし……海外展開してた伝手で日本に越してきたのよ」
「と言うと、17年くらい前……あー、あの時はそりゃ大変でしたねー。あっちに出してた海外企業の工場とか、いくつも打ち壊されたそうデスし」
「ん、まぁ、そんなことがあったから小学校でも色々嫌なこと言われたのよ。唯でさえ右も左も分からないトコなのにね。
風邪ひいたって嘘付いて、布団の中で一日中泣いたこともあった。未だに、あの惨めさは覚えてる」
それは、純粋な子供だからこそ残酷に発露するナショナリズムの刃だ。
クァーティー自身、当時めっ……ちゃくちゃ苦労した人間の一人であるからして、あの事件の責任者がもし目の前にいたならば、頭を押さえつけて耳元で怒鳴りつけてやりたいくらいだ。
だがそれは、5歳の頃からこの国で育ち、まして当時何もわからぬまま情勢という波に揉まれ流された子供に言う言葉では無いだろう。
「拳の威力が上がっていくと同時に、大体の問題は解決できるようになったんだけどね」
「……指先一つでダウン、デスなー」
あはは、と苦笑いしながらリッツはゆっくりと体勢を戻し、かけていた眼鏡の位置を直した。
「だからこう、結構今の状況でも『なんとかなるだろ』って思ってる所はあるのよねー。5歳のアタシにとっちゃ、日本だって充分異世界だったし」
「そう言い切れるのは、リッツさんの強みデスねぇ」
「でも、ね。やっぱ拳一つでなんでも解決できるわけじゃ無いのよ。少なくとも、アタシの就職問題は解決できなかった」
「嫌デスよぅ、そんな『この会社に就職したくば私を倒してから行くが良い!』みたいな職場」
それはクァーティーにとってはちょっとした冗談であったが、リッツは僅かばかり寂しそうに微笑むだけであった。
代わりに握りしめた拳を顔の前に置いて、じっと見つめ続ける。どこと無くいた堪れなくなり、クァーティーは努めて明るく口を挟んだ。
「あー……でもでも、PvPでの戦力にはなるかも知れないんデスね。それは良いことを聞いたデス」
「ん……PvPって、もしかして"化身殺し"に対して?」
「おや、そちらでも聞いてましたか」
アバターキラー。ダメージに痛みを伴うこの異世界で、PKを繰り返している謎の仮面男だそうだ。
ただし、決して必要以上に街の住人を脅かすことは無く、あくまでアバターのみを狙っての行為らしい。
その格好や、決まった時間に出没することといい、単なる狂人というだけでは説明できない何かを感じるとリッツは言う。
「なんとなく、分かるかも。今の世の中、人を傷つけられる力ってイコールで暴力、規制する対象じゃない?
逆にこう……そういうのに憧れる奴ってのは、居ると思う。あるいは、ドロップアウトした奴とか」
そして憧れた以上、そう言った枷の無いこの世界で、羽目をはずしたくなる気持ちはリッツにも分からないでもない。
もちろん、実際にやるかはともかく、である。だが現状、そういった問題を裁く法すら、アバターたちは持ち合わせていないのだ。
「キュー子さ、ロマンって言ったよね。じゃあそのロマンで、いったい何人の人がゴハン食べて行けると思う?
通うなんてナンセンス。今の時代、全てが通販。その道を10年20年続けてきた人のモーションが、少しネットを漁れば無料で手に入るあの世界でさ」
「ん……む、それは……」
「二桁ってことは流石に無いと思うけど。100人……まぁ、ちょっと多めに500人にしとこっか?
それでも、大体1県あたり10人よ。きっと、1000人ってことは無いわよね。"日本に一億も人が居る中で、たった500人"」
パーセンテージにして0.0005%ほど。労働人口だけを抜き出したとしても、桁が一つ変わるかどうかの。
「アタシもほら、子供の頃は無邪気に親の仕事を継ぐつもりで居たけど、だんだん怖くなってさ。
アタシ、本当にそんな強いのかな? たった500しか無い椅子に座れるくらい、人に教えるが上手なのかしら?
そういうの考え出したら、やっぱり大学でちゃんと勉強して、事務でも何でもいいから普通に就職する方が良いんじゃないかって……
ま、結局それも失敗して、挙句の果てにこんなとこにまで飛ばされちゃったわけだけど。あーあ、ホント親不孝者よねー」
リッツがとぼけて語った言葉に、しかしクァーティーは返すことができなかった。
思うことが無いわけではない。だがそれはやはり結果論に過ぎず、リッツ自身決して答えを期待して問いかけていたわけではないのだろう。
「……結局アタシって、自分を信じきれないのよ。
〈殴り賢者〉なんて言えば聞こえは良いけど、やってることは中途半端じゃない?」
リッツがミラージュ&ヴィジョンズ・オンラインを始めたきっかけは、まだ大学に通っていた際、ゼミの友人に誘われたからに過ぎない。
最初はモンクをやろうかと思ったが、時は折り悪く「〈重騎士〉に非ずんば前衛に非ず」と謳われていた時代。
仕方なく、友人に薦められるがまま〈魔導師〉を志したのが初めてのキャラクターであったという。
やってみれば、派手な呪文が飛び交う〈魔導師〉の戦場はそれはそれでリッツの感性に合っていた。合って、いたはずなのだが。
太陽に雲がかかる。真四角に切り取られた中庭に、再び穏やかなコントラストが戻り。
「本当に拳だけで全ての問題が解決するのなら、アタシはいくらだって強くなってやるのになぁ……」
リッツが呟いた言葉は、リッツ自身の耳にも入らぬまま、風の音に遮られて消えた。
クァーティーの唇が、二、三度迷ったように開かれて、やはり何も言葉にしないまま閉じられる。
その時、バンッと何かが強く開け放たれた音がした。
アルフォースの部屋に備え付けられた窓が大きく開かれ、つい先程までベッドの上に寝転がっていたのだろう、そこから寝ぐせすらも直していない金髪頭が飛び出す。
"端末"を片手に持ったまま窓から身を乗り出したアルは、中庭で楽にしていた二人を見下ろして叫んだ。
「キュー子! リッツ! 大変だ」
「どうしたんデス? アル君ってば、らしくもない」
「"レイヤーネット"が更新された。オレたちの世界のことが分かるぞ!」




