第六話 悪魔の命から目を逸らさない(極点・三)
「アラヤ様!」
背後であのリョーコの声が聴こえてきた。
アラヤは彼女の方へと振り返って、そしてその悲痛な顔を見ながら、大方の状況を理解する。
「リョ――いやアムルーズか。お前がサクスを救ってくれたんだな」
「す、救うなんてそんな! わ、私は、全然遅くって、サクスはもうあんなにも傷付いてしまってて!!」
目に涙を溜めてそう叫ぶ彼女に、アラヤは優しげな顔でその肩に手を置いた。
そして彼は次に、霊馬の背でうずくまっているサクスへと視線を移す。
「サクス、顔は上げなくて良い、そのまま休んでいてくれ。――ゴモリー、サクスを守ってやっていてくれ」
配下である彼女の労を今はただ労いながら、ゴモリーにもそう呼び掛ける。
少し離れた場所に一人佇んでいるような印象のゴモリーが、しかし静かに、自身の影を纏った移動でサクスの傍に来たのを見届けたら、アラヤはもう前へと振り向いていた。
彼が見つめている巨魁から、仄かに黒灰色をしたオーラが立ち上る。
「アムルーズ、あれが悪魔の魔霊だ。よく、見ておけ」
アラヤは少しだけ躊躇ってから、しかし意を決したように彼女にそう告げる。
「えっ、は、はいっ!」
リョーコは戸惑いつつも、しかし彼の言う通りに黒灰のオーラ――バティンの魔霊へと視線を集中させた。
彩度の高い黒灰のそれはやがて激しく渦を巻いて、アルファスの方へ向けて飛んでいく。
「そうだ、そうだなバティン。お前は俺が殺したんだ」
アルファスは迫り来る奴の魔霊に、悲壮な顔で両の腕を広げてみせた。
「ああ、俺達はいつでも一緒だ」
魔霊はアルファスの身体に入り込み、その精神と――アルファス自身の魔霊と混じり合う。
「グゥウウウッ!!」
アルファスが絶叫する。心の底から軋んだ音を上げているかのような、凄まじい咆哮だ。
常軌を逸したアルファスの様相に、その精神の苦痛が伝わったかのように、リョーコは苦悶の表情となる。
「うっ!」
しかし――
「目を背けるなよアムルーズ。悪魔と関わっていくのなら、これは知らなければならない事だからな」
アラヤはそう言ってリョーコに覚悟を促すのである。
「は、はい……!」
もがき苦しむアルファスの傍で、緑光を纏い生身に戻ったビフロンスが静かに佇む。
「僕が、その魔霊を引き受けてやろうか?」
冷たい程に冷静に、しかし優しい動きで手を差し伸べながらそう告げる。
「僕に不死の能力が有るのは、行き場を失くした魔霊が仮初に宿る母体としての役割を持つからだ。だから、どんな悪魔も僕を頼って良いんだよ?」
……アルファスはそんな彼女の申し出を、忌み嫌うようにはっきりと拒絶した。
「グゥ……お前の、出る幕では無い! バティンの魔霊、誰にも渡してなるも、のか!!」
その目は血走りながら――それでも奴は苦痛の根源である魔霊を手放そうとしなかった。
……特異性を持つ者は他者から排斥されがちだ。悪魔であっても、それは共通であるらしい。
「……そうか、僕は何処までも邪魔者だね。でもキミはそう答えるかもしれないなって、分かってもいたよ」
アルファスは最早獣の如き様相で吼え続けるだけだった。その様は見ている周囲の民衆に、畏怖の念を呼び起こさせる。
ビフロンスはそんなアルファスに、すぅっと眼を細めて微笑んでいた。
冷たい微笑みだったが、しかし、彼女自身は紛う事無き慈しみの心であったのだ。
例え理解はされずとも……。
リョーコにとっての今のアルファスが見せる様は、心が抉れる以外の何物でも無かった。
それでもアラヤが『見ろ』と言えばリョーコは真っ直ぐに見続けた。
――う、うぅ……。悪魔の命そのものをまざまざと見せ付けられてるみたいな、そんな感じがする。人間を襲っていた敵だとか、そんな気持ちさえ吹っ飛ぶ位に、重いよ……。
そう感じ取り、理屈等抜きに悪魔相手に心を痛めるリョーコの眼前で、アラヤはその悪魔アルファスに向けて歩き始めた。
「アラヤ様!?」
「戦いはまだ終わってない。奴はああなっても、俺への復讐心だけは留めてやがる」
魔力で騎槍をその手に戻しながら、ただ短くそう告げた。
リョーコの驚きの声を聞いただけで、アラヤには彼女に何を一番に教えるべきかが分かったのである。
冷淡な言い方かもしれないと自覚はしていた。
しかし一瞬の油断が命の危険に繋がってしまう今の状況では、彼女の気持ちを瞬時に切り替えさせる事が重要だと判断した上でそう言ったのだ。
「は、はい!!」
リョーコの気丈な返事が返ってきた。
正確には気丈で在ろうと努めて返事をしたといった所なのだが……。
しかし……。
――あわわわ……絶対に、なんか絶対にとんでもない事になっちゃうって、わわわ私には分かるっ!
心の中の自分がしどろもどろで早口になる。それを動揺と云うのだと、しかし彼女は認める訳にいかなかった。
絶対この恐れに負けちゃいけない、ここで負けたらきっと、アラヤや仲間の悪魔達との心が離れてしまう。
その思いが、リョーコの心を踏ん張らせた。
アラヤは、そんなリョーコの中に巡る思いの全てを感じ取れた訳では無かったが……。
「良い返事だ」
……彼女の精一杯の気概に対し――やはりこいつは、可愛い奴だ――と、はっきりそう思っていた。
――(四)へつづく――




