名乗り
「おい」
朱塗り侍が話しかけてきた。
「はい」
「ぬしはいくつだ」
「27です」
こんなときに何なんだ。
「そうか。どう見てもわしより若く見えるがの。わしは二十と三の歳よ」
驚きだ。
戦いに明け暮れている者と、平和な時代に暮らしていた者とでは、外見に刻まれる人間としての重みというか苦労というか、そういったものに差がでるのだろうか。
朱塗り侍は打刀を鞘に収めた。
「自分より若くみえるやつを斬るのも虫が好かん。もういっぺんだけ話を聴いてやろう。それでも怪しいそぶりがあるならば…分かるな」
再び鯉口を切る。まったくもう。
俺は再び自分についての説明を始めた。
今度は本当の事を話す。
朱塗り侍は最初は半信半疑、そして驚き、恐れ、うなずきながら説明を聞いていた。あまりにもびっくり驚きする様が可笑しかったので、力説して喋っていたら一時間ほど経っていた。
朱塗り侍が、俺が未来から来たという事を完璧に信じたのは、時間を見ようとして携帯を取り出したときだった。
何だその印籠は?とか聞いてきたので、携帯で自撮りして写真を見せたら、南蛮の妖術はすごいのう、ぬしは天狗か?と言って俺を人外か何かを見るような目で見るようになったのには笑ってしまった。
この時代はよほど娯楽というか、そういった類いの物が少ないのかもしれないな。
多いのかもしれないが、平成の世の中で想像する娯楽とはまったく別種なのだろう。
猿楽、能、田楽、狂言、連歌、俳句、茶数寄、賭け事…
俺は教科書の中、小説の中でしか存在をしらない。
だから娯楽性が分からない。
説明されてああなるほど、といった感じ方しかできない。
この時代の人々は、そういったものを純粋に楽しんでいるのだ。
俺は、便利であっても、精神的、文化的に人間としてつまらない日常を過ごしていたのではないだろうか。
…ちょっとだけこの時代の人たちがうらやましく感じた。
俺の話が終わると朱塗り侍がため息をつく。
「ぬしの云う事はよう判った。信じてやるわ。それにしても未来とはいかさま。おお、そういえば名乗るのを忘れとったな。わしは平手五郎右衛門。ぬしの生まれた未来とやらならば、五郎とでも呼べばよいかの」
平手…だって?
「え。平手…政秀さんでしょうか?」
「政秀さん?さん、などど……その辺の遊び女ではないのだぞ。それにぬしの言う政秀さんは俺の親父どのだ。俺はその息子よ」
…げ!ここは尾張か。てっきり地元に飛んできたのかと思ってた。
味噌カツは…まだあるわけないか。
まさか有名な武将の跡取り息子とは。
足軽頭か物見頭くらいに思っていたのに。
平手政秀。
信長好きにはたまらない名前だろう。
うつけ者と呼ばれた信長の傅役。
奇行言動を改めない信長を諫めるために自らの命をなげうった人物。
爺だけは俺の真を判ってくれると思っておったのに…涙ナミダの若き信長。
うむ、いい話だ。…でも。
政秀が切腹したのは、息子の五郎右衛門が信長を怒らせたから、という説もあったり…。
目の前にいるのがその五郎右衛門か。
どんな人間なんだろう。
悪い人じゃなさそうだけども。
「あ。す、すみません。では、平手五郎右衛門…どのですか?」
「五郎右衛門は通り名じゃ。字は久秀と申す」
朱塗り侍改め、平手の若旦那がペコリと頭を下げた。
「それに、どの、はいらぬ。さっきも言うたとおり五郎でよい」
「何故でしょうか?」
「わしの友になって欲しいからだ」
……は?
頭おかしいのかこいつ。
見ず知らずの他人なんだぞ俺は。
「わしには友というものがおらぬ。童のころは喧嘩できても、大人になると、のう。吉法師、いや三郎さまは厳しいお方ゆえ」
若旦那はそう言いながら手で首を切る真似をした。
三郎。三郎信長、信長のことか。
若いころは信長も久秀もいい遊び仲間だったに違いない。
なんといっても久秀の父親は信長の傅役だ。
うつけ者と呼ばれた信長であったし、家臣の息子たちであれば当人たちがいくら遠慮しても、遠慮などさせるか位の勢いで遊びまわっていたに違いない。
「ぬしの話を聞いていてふと思ったのだ。ぬしにはしがらみというものがない。まことの話なら、まあ…この世の人間ではないからな。しがらみがなければ対等に付き合えるであろうと思ったのだ。
とりあえず今日は屋敷に来い。帰る当ても、行く当てもなかろう」
友達になれるかはともかく、帰る当ても行く当てもないのは本当だ。
…従うしかないなこれは。