挑発
「首五つ。雑首でも首は首。どうじゃ」
前田又左はカカカと笑う。
「ヌシを討たせぬようにしたのは俺なのだぞ。ちっとは感謝せい」
池田勝三郎がむくれた。と、そこに金森五郎八が割って入る。
「お主等、勝手なことばかりしおって。段取りがしちゃくちゃではないか」
「だまれ五郎八。ぬしなぞ監物の腰巾着が丁度よいわ」
「な、なにを」
「ハハハ、監物の腰巾着か」
何時の間にかその場に居た監物久秀が大笑いした。
それを見て又左が、逃げよう、という顔をする。
「又左。抜け駆けもよいがの、せめて誰かに言え。お主に死なれたら一番困るのは、ヌシの家ぞ。ワシ等はちっとも困らんがの」
「ふん」
「死ぬるなよ」
赤母衣衆、柴田権六、全員が信長の本陣に集まる。
「又左、勝三郎、よう戻った。見ていて胸がスカっとしたわ。そして権六よ」
「ははっ」
「よくぞ坂井甚介を討ち取った。さしあたってこれを遣わす」
信長は腰の脇差を権六に渡す。
「褒美有難く」
「戦場ゆえ、今はそれしかやれぬが、我慢せい。それより、勘十郎の所になぞ居らず俺のところに来んか」
皆ぎょっとする。
「今は亡き信秀様の仰せにより、それがしは勘十郎様の後見にござりまする。嬉しき言葉にござりまするが、何卒、ご容赦を」
権六は額を地面に着けるまで平伏した。
微かに震えている。
権六の立場を知りつつそう言ってくれた信長の言葉が嬉しかったのだろう。信長も、権六がそういう男であることは知っていた。
「権六。俺は家を割りとう無いのだ。勘十郎は血を分けた弟、分かるであろ。…織田はどこの家も喧嘩ばかりじゃ。
日ノ本じゅうも喧嘩ばかりじゃ。同じ織田、同じ弾正忠家じゃ。なぜ仲良う出来んのかのう。三郎じゃ、勘十郎じゃ、といがみ合うとっては、守護代どのの思う壷よ。なぜ勘十郎はそれが分からんのか」
皆黙って聞いていた。信長が、心の内を見せることは、めったにある事ではなかったからだ。
信長は続ける。
「そんな事では、守護代どころか、尾張一国など、夢のまた夢よ。が、権六。そちや我等がどれほど云おうとも、あやつは言う事聴かぬかも知れぬ。何しろ俺の弟だからのう。俺と違うて行儀はよくとも、へそ曲がりは俺と似とるかも知れぬ。俺も爺の説教なぞ聴いた事ないからな」
「大殿、…その先を云うのはおやめくださりませっ」
権六は顔を上げぬまま、震えていた。泣いているのかもしれなかった。
「…何かあったら、俺のところに来い。兄弟喧嘩で鬼柴田を失うなどと、愚かにも程があるわい」
もう信長は笑っていた。
「よし、一息入れたらこのまま深田城じゃ。松葉口、三本木口の叔父御達とは合力せぬ。我等が松葉城の後ろを抜けて深田に向かう様に見せれば、逃げ大膳は囲まれると思うて、松葉を出て陣を張るか、深田に向かうであろう。陣を張るもよし、深田に篭るもよし。逃げ大膳が陣を貼るなら我等で当たり、深田に篭るなら、松葉を落としたのちに皆でゆるりと当たる。練り雲雀にしてくれるわ」
鳴海城の調略…。
力技でも、搦手でも、って事は…方法は問わないって事だろうなあ。
若旦那も、本当に俺に調略なんぞ出来ると思ってるんだろうか。
期限は切られてないからゆっくりやっていいんだろうけど、逆に調略できるまで帰ってくるな、という事か、これは。
…ううううむ。
「して、策は」
岡田直教が興味深げに訊いてくる。
「いや、今はまだその時にござらぬ。漏れるとも限らぬゆえ、今しばらくお待ちを」
俺は笑ってそう答えた。
「なるほど。策が成れば勲功第一でござるの。腕が鳴るわい。まあ、着いたばかりでござる。しばらくはごゆるりと」
「忝うござる」
いい人だ。死なせたくない…ちょっと真面目に考えるか。
松葉城は、わずかな人数しか残っておらず、すぐに落ちた。
「もう清洲方は誰も居らぬ。伊賀守と信次叔父御は無事にござった。座敷に閉じ込められておったわ。今から此処に来る」
「そうか。よほど慌てたとみえる」
信光と信広は、人質の二人が無事と知って、ほっと息を吐く。
「大殿より早馬にござる」
佐久間半介が使番を連れてやって来た。続いて伊賀守と信次も幕内に入って来る。
「迷惑かけたのう。助かったわい」
伊賀守と信次が頭を下げる。
「礼はいらぬ。ところで大膳はどこに」
「河尻与一と織田三位を深田に向かわせ、自分は清須に逃げかえったわ」
伊賀守が言った。悔しそうだが、半分は呆れ顔だ。
「流石じゃ。逃げ大膳の名は、まことよの」
信広の言葉に、皆が笑った。
「で、早馬にござる」
落ち着かぬ顔をして控えている使番に、佐久間半介が促した。
「お、そうじゃった。若は何と」
「はっ。若のご口上をお伝え申しあげまする。このまま深田の城を皆で囲む、河尻与一と織田三位は必ず討ち取れ、との仰せにござりまする」
使番は下がっていった。
「必ず討ち取れ、のう」
信光と信広は顔を見合わせて嘆息した。
「大殿は守護代どのと合戦するつもりか」
「今はまだせぬであろう。今日の戦で、守護代どのの手足を捥いでしまうのでござろうよ」
「聞いたか小平太。鳴海を調略で落とすそうじゃ」
監物家に宛がわれた、笹曲輪の一角で皆が話していた。
「まことか。この間の戦は城にすら取り付けなんだのに」
小平太が呆れた顔をする。
「左兵衛さまが策を練っておるそうじゃ」
「手柄は欲しいがの。星崎の衆と我等だけでは…」
「というか、策を練るのが左兵衛さまで大丈夫なのかのう」
作平衛は天井を見つめて言う。不安な顔だ。
「我等を宝と言うて下さるお方じゃ。大丈夫じゃろうて」
平井信正が皆をたしなめた。
「大膳は逃げておる。このままではヌシ等は犬死ぞ。いさぎよう降参せいっ。それとも恐ろしゅうて降参もできんのか」
前田又左の挑発が続く。
「降参が嫌なら出でて戦え。どうせ逃げられぬのだぞ。後詰めはないわっ」
城内は静まりかえっている。暫くすると、門が開いた。
河尻与一だ。太刀を鞘に収めたまま、右手で高々と上げている。
「ワシと三位どのが腹を切るゆえ、兵達を帰してやってはくれぬか」
「討ち取れなんだが、片はついたの」
今、清須に向けて進んでいる。深田城に織田信次どの、松葉城に伊賀守どの。それぞれに押さえの兵を残し、清須口を進む。
しばらく進むと三郎様が右手を上げた。あと四里も進めば清洲城の大手口が見える。
「止まれ。休止じゃ。座ってよいが隊伍は崩すな。監物来いっ」
「はっ」
呼ばれてから四半刻ほど待った。
大殿は守護代どの宛ての書状を書いていた。
「守護所に使いせよ。守護代どのに会うて、戦は終わったと言うてこい。介添は金森五郎八、俺の下からは佐々内蔵助。行け」
清須城に入るのは初めてだ。というか俺はまだ守護代どのを見たことが無い。
「那古野弾正忠、上総介、三郎信長が臣、平手監物にござる。守護代さまに我が主の使者として参った。開門せられませいっ」
少し間を置き大手門が開く。
「よう来た。上総介は息災か」
このお人が守護代さまか。何かそわそわしておるのう。
「はっ。五条川の向こう岸にて陣を貼り休まれて居りまする」
「そ、そうか。坂井甚介を討ったそうじゃの」
「はっ。柴田権六が見事討ち取ってござりまする」
「甚介は予の臣ぞ。河尻、三位にも腹を切らせた、とこの書状に書いてある。大膳はどうしたっ」
守護代どのはくしゃくしゃにした書状を俺に投げつけた。…よほど怒っとるようだの。三人が死ぬとは考えなんだのか。戦だぞ。
ん…しかし何ゆえ三人が死ぬとは思わなかったのか…
守護代どのは横を向いたまま話している。落ち着きがないのう。何か隠し事でもあるのか。
「お尋ね申し上げまする。何ゆえ松葉、深田に攻めかかるのを止めさせなんだのでござりまするか。懲らしめるだけなら守護代どのがやればよいではござりませぬか」
「そ、それは」
もしや…三郎様は判っとって俺を此処に寄越したのか。
「わざと坂井大膳にを松葉、深田を攻めさせ、その裏で我等に大膳を懲らしめよと名分を与え、さも正しき戦にみせて我が殿を殺そうとなされたのではありませぬか。示し合わせた筈の、鳴海の山口教継が生きておれば上手い手でござりましょうが…。彼奴は、我が殿の駿府への流言により死に申した」
「そのような事が出来る訳が無かろう。仮にそうでも証拠があるまい。面白き事を云う奴よ…それにしても…そうか、山口めは死にやったか」
目は口程に物を言う、と云う。守護代の顔が証拠だ。
「鳴海城には今川の岡部親綱が入り申した。岡部親綱は、攻めは下手でござるが守りは滅法強い。此は今川がすぐには攻めて来ぬことの証にござる。今川とて今は三河を治めるので手一杯。それで我等は松葉、深田に兵を二千も出せたのでござる。山口教継が鳴海に生きておったら、守護代どのの目論見通り三郎様を挟み撃ちに出来た事でござりましょうな。残念にござった」
「ふふ、わしは何も知らぬ。大膳がやったのじゃ。わしは何も知らぬよ」
「なんと。大膳の仕業にござるか。…ならば丁度よいではござりませぬか。大膳と一味同心の甚介、与一、三位を滅ぼし、守護代どのの言う通り、大膳を懲らしめ申した。早う我が殿をお褒め下さりませ」
「ふん。誉めてつかわす」
これが守護代ともあろうお方のなさりようか…。
「…飼い犬の過ちは、その飼い主が責めを負うのは当然にござりまするが。お分かりか守護代どの」
「何だと」
「まあ、今日はこれにて下がりまする。これの続きはいくさ場で。飼い犬の躾はきちんとなされた方がよろしゅうござりまするぞ」
追われると思うたが、無いようだわい。
守護代どのは可哀想なお方じゃのう。生まれた時が悪かったわ。
「戻りましてござりまする。山口教継と示し合わせて、我等を挟み撃ちにする算段であったようにござりまする。殿もお人が悪うござる、気づいて居ったなら先に言うてくださりませぬか」
「カハハ…那古野方が此方に攻め入れば、時を合わせて来る筈の鳴海勢は、来なかった、か。守護代もよう企み居ったわ」
「…仰せの通りにござりまする」
三郎様がふと天を仰ぐ。大きく息を吸って周りを見渡したその顔は、何か吹っ切れたような清々しさだ。
「よし。これより先は清洲と喧嘩じゃ。もう遠慮は要らぬ」
大殿はニヤリと笑って、手にしていた桜の枝をポキリとへし折った。
「まことによろしいのでござりまするか」
佐久間どのが遠慮がちに三郎様に問うと、三郎様は佐久間どのを鋭く睨んだ。
「向こうは犬をけしかけてくるのだぞ。犬が来たら捕まえて打ち殺すまでよ。柴田、者共に刈田させい。終わったら田畑を焼き払え」