今孔明
どん、どん、どん…と、敵との距離を知らせる太鼓が打ち鳴らされる。
「寄せてきたぞ……放てっ」
一斉に矢が放たれた。鳴海勢の先手が倒れ出す…矢合わせは今のところ此方が有利だ。こちらは矢楯を置き、動かずにじっくり狙えるからだ。距離がもっと詰まれば、組頭や物頭などの下級指揮官を狙い射ち、統制を乱す事も出来る。一方鳴海勢は『止まる、狙う、放つ、移動』を繰り返さなければならない。その間も俺達の矢は飛んでくる、正確な狙いを付ける事など至難の業だろう。
どんどんどんどんどんどん…太鼓を打ち鳴らす間隔が短くなる。鳴海勢との距離が狭まっているのだ。弓手足軽の隊列と鉄砲足軽の隊列が入れ替わり始めた…おおお、やばい、やばいぞ、かっこいいぞ!
「火蓋切れっ………放てっ!防ぎ矢致せ!」
百丁の鉄砲が一斉に放たれた。とんでもない轟音だ、すぐさま防ぎ矢も放たれる…結構な数の足軽達が倒れている、鳴海勢の足が遅くなった。が、止まらない、変わらずゆっくり進んでいる。こちらも敵の弓による犠牲が出始めている。敵味方の距離はそろそろ一町を切る…。
「わ、若旦那、本当にこのままいけるのか」
俺は圧倒されていた。千人以上もの人間が、意志を一つにして向かって来るのだ。膝が震える。普通、こんな経験ないよね…し、死ぬかも。
「判らぬ。ま、今のところ上手くいっておる。これからが本番よ」
「そ、そうだな。そろそろ本陣に向かうよ」
「気をつけてな。使番は狙われるからの」
なんだと…若旦那は脅かす様にそう言った後、右手を空に向かって高く上げた。
鳴海勢を見ると、最前列にいた弓手鉄砲は後ろに下がり、足軽長柄と交替している。突撃の準備だ…、だけど思ったより被害が大きいのだろう、隊列が整っていない。
こちらもそれに合わせて長柄の横隊が前に出た。こちらは手筈通り、準備万端だ。
「かかれ!」
若旦那の右手が振り降ろされた。長柄に前進の号令をかけたのは、敵より若旦那のほうが先だった。ちょっと、カッコ良すぎる!…俺もワクテカしたい!戦闘が始まる前を思い出す…。
『若殿。何か策がござろうや』
『策と申されてものう』
『…初陣の般若介があの様な見事な差引が出来ると思うか』
『あはは、ばれておったか…策でござるか。難しいが、無い事はない。皆の息を合わす事が出来れば、勝てぬまでも負けはせぬかも知れん。内藤どのも聞いて下さるか』
戦闘開始を見届けた俺は本陣に居る。若旦那の策を信長に説明する為だ。
「あと半刻もすれば、内藤勢と平手勢の間を敵が抜ける手筈になっておりまする」
「わざと破らせる、と申すのか」
信長は、ほほう、といった顔で聞いていた。
「はい。若殿は、大殿にあと三町ほど陣を下げて頂ければ、鳴海勢は練り雲雀、と申しておりました」
「練り雲雀のう」
練り雲雀という表現が気に入ったらしく、信長はしきりに頷いている…表現がいちいち歴ヲタに響くぜ…。
「半介、どう思うか」
「…陣を下げてもよろしいかと。されど、我等は数が少ない故、繋ぎを密にせぬと敗けるのは此方でござる」
佐久間半介の答えに信長は組んだ足を叩き出した…おお、考えてる考えてる!ワクテカだ!
「左兵衛、急ぎ戻って五郎右に伝えよ。乗ってやる故雲雀の群れを連れて参れ、と」
「はっ、伝えまする」
一礼し、幕内を出ようとすると、信長に呼び止められた。
「待て左兵衛…これで勝てるか」
やはり心配らしい。
「我等が若殿はこうも申して居りました。勝てぬまでも負けはせぬと」
「よし。これを五郎に渡すのだ、行け!」
信長は手に持っていた軍扇を俺の手に握らせた…血湧き肉躍るってこういう事かよ、おい!
計画通り鳴海勢に突破させた先手の内藤勝介と平手五郎は、陣の立て直しを急いでいた。
「内蔵助よ」
「何でござろう」
「手柄を立てたくはないか」
佐々内蔵助は平手五郎にそう言われて面食らった。手柄は欲しい…同輩の蜂屋般若介は名を上げた。しかし佐々内蔵助は軍監、先手全体の働きぶりを見なければならないのである。
「軍監どのにも働いてもらわねば、織田は負けじゃ」
「相判った。ところで平手どの、もう軍監と呼ぶのは止めてくだされ。儂はまだ小童じゃ。荷が重うござる」
「では内蔵助。五十騎やるゆえ、般若介と共に敵に横槍つけてこい」
「五十も!?」
「ヌシに渡せる精一杯じゃ。無理に戦わず敵陣を駆け抜けるだけでよい、死にもの狂いで、行け」
「心得た!」
俺が戻った時には既に敵は大混乱になっていた。若旦那達を抜いて信長の本陣に夢中になっている敵に佐々内蔵助が横槍をかけたのである。
勝つと思うと、余裕が生まれて無駄死にしたくなくなるものだ。皆命は惜しい。少人数の横槍とはいえ、死兵と化して突っ込んで来る敵になど誰も近寄りたくは無い。
鳴海勢を率いる山口教吉は苛立っていた。どうも様子がおかしい。織田勢に乱れがないのである。
「若、敵の横槍にござる」
「…小勢じゃ、気にするな」
「されど横槍だけで無うて、我等の後備は打ち破った筈の織田の先手に囲まれておりまする」
「な…何!?」
敵の先手を抜き、そのまま敵の本陣に打ちかかった…我等から逃げる為に敵の本陣は退いたのではないのか?……しまった、前後ろから囲む為か!
「退くぞ」
「何故にござりまするか。囲まれて居りまするがこのまま行けば織田の本陣を突き破る事が出来ますぞ」
「確かにこのまま行けばいずれは勝てよう。じゃが、勝ったとしても味方は半分も残っては居るまい…それでは勝ったとは云えぬ」
「まだ今川の後詰が居りまする」
「岡崎党か…奴等は笠寺からは動かぬ。義理立てで陣を張った様なものじゃ」
「されど」
「今なら後詰が無かったと言い訳も立つし、功の立替えかと文句も云える」
山口教吉は唇を噛み締めていた。彼も家臣の言うようにこのまま戦いたい。しかし、加勢を得て勝ったとしても、結局山口家の戦力は半減する。となれば今川に今より悪い条件で降るしか道は無くなるのだ。だが今退けばまだ物が言える。地位も発言力もある。今川に鞍替えしたのも盟友としてであって屈したのではない…それに織田は追っては来ない筈、奴等にはそんな余裕はない…。
「 退き時じゃ。鳴海に戻るぞ…爺、百ほど連れて桜中村に行け、親父どのを連れて参るのだ。岡崎党に渡すでないぞ」
おおお、鳴海勢が本当に退いて行く。若旦那の言った通りだ…鳴海の者共とて目暗ではなかろう、利有らずと判れば退く筈じゃ…。
「退いていく…若旦那、俺達は勝ったのか?」
「始める前に云うたであろう、勝てずとも負けはせぬと」
退いていく鳴海勢を呆然と眺めていた蜂屋般若介は、同じ様に立ち尽くす佐々内蔵助を見留めた。内蔵助が気付くと、照れた様に笑い出した。
「…お互い、よう生きとるの」
内蔵助も笑っている。二人の具足には何本も矢が立っていた。傷も痛む。それでも可笑しかった。二人共、狂った様に笑い出した。涙が出るまで笑って、一息つくと、般若介がぼそりと言った。
「…五郎どのはまるで、かの孔明の様じゃな」
日が明けて六月九日、織田勢は那古野に戻った。
「初陣の勝ち戦、祝着至極にこざりまする。亡くなられた殿も喜んでおりましょう」
平手政秀が祝いの言葉を口にした。信長はその恭しい態度をつまらなそうに見とめると、鼻くそを丸めて弾いた。
「勝っても負けても居らぬ。よう生きて戻ったわ…フフフ、五郎め」
「…あ奴が何か、しでかしましたか」
一瞬、政秀の動きが止まる。
「あ奴の差引よ。勝てはせぬが負けもせぬと」
「そのような事を…申し訳ござりませぬ」
「勘違いするな爺…やはり俺の兄貴分よ。いい倅をもったな」
ちょと気に入らないとこがあったので加筆・訂正しました。




