第1巻第1話:エリートの終わり、ネジの火花
無頼漢奇譚と同時に思い作りました。本作とにかく一切妥協なしの暴力を作るのでよろしくお願いします
「——以上をもちまして、荒川正義君。君を懲戒免職処分とする」
無機質な会議室に、宣告が冷たく響いた。
机に並べられた書類には、身に覚えのない汚職の証拠、偽造された俺のサイン、そしてご丁寧に加工された防犯カメラの映像まで揃っている。
完璧な罠だった。
同期の中でもトップを走り、三十歳になったばかりで将来の事務次官候補とまで言われていた俺を、誰かが明確な殺意を持って引きずり下ろしたのだ。
「……何か、言い残すことはあるかね?」
眼鏡の奥の目を哀れみと蔑みで歪める上司。
その背後で、同期の男がニヤリと、勝ち誇った笑みを浮かべているのが見えた。
そいつは俺が一番信頼し、夜通し日本の未来について語り合ったはずの男だった。
(ああ、こいつか)
すべてを察した。だが、抗弁する時間も、証拠を覆す手立てのカードも、今の俺には一枚も残されていなかった。
「……いえ。何もありません」
俺は、いつも通り「真面目で優秀な荒川君」の仮面を被ったまま、深く頭を下げた。
三十年間、そうやって生きてきた。
親の期待に応え、成績は常にトップ。誰に対しても腰が低く、理不尽な要求にも笑顔で応じる。
心の中で「ウザいな、こいつ。今すぐ殴り倒してやろうか」というドス黒い衝動が湧き上がっても、エリートとしての理性がそれを力技で抑え込んできた。
その結果が、これだ。
真面目に生きた人間がバカを見て、他人を平気でハメるクズが生き残る。
それが、俺が命を懸けようとしていた国家の、官僚機構の正体だった。
深夜一時、ネオンが毒々しく輝く歌舞伎町の繁華街。
俺は安居酒屋のウイスキーのボトルを一本空け、千鳥足で歩いていた。
ネクタイは緩み、仕立ての良いスーツは酒の匂いでまみれている。
「クソが……、どいつもこいつも、クソが……!」
脳裏にこびりついて離れないのは、あの同期の勝ち誇ったツラだ。
思い出すたびに、胃の底からドロドロとした熱い塊がせり上がってくる。
人を殴ってはいけない。
暴力を振るえば、すべてを失う。
そんな「社会のルール」を自分に言い聞かせる脳の片隅で、冷徹な現実が囁く。
——お前、もうすべて失っただろ?
「あはは……そうだよな。もう、失うもんねぇわ」
自嘲気味に笑いながら、人通りの少ない路地裏へと迷い込む。
その時、前方の暗がりから、下品なエンジンの爆音と、若者たちの下卑た笑い声が近づいてきた。
「おいおい、ウケる。上等のカモじゃん」
「リーマン、泥酔してんじゃん。おじさん、ちょっとお財布お預かりしていいすか?」
現れたのは、派手な改造バイクを押した、特攻服姿の少年たちだった。総勢五人。手には金属バットや鉄パイプを持っている。
いわゆる、タチの悪い暴走族の「オヤジ狩り」グループだ。
いつもの俺なら、両手を挙げて平謝りし、財布を差し出して命乞いをしていただろう。
それが一番打撃の少ない、エリートとしての最適解だからだ。
だが、金髪のリーダー格の男が、俺の胸ぐらを掴んで引き寄せた瞬間。
その口から漂うタバコと安っぽいワックスの匂いが、俺の鼻腔を突いた。
ウザい。
本当に、目障りだ。
なんで俺が、こんな有象無象のクズ人間にまで、ペコペコ頭を下げなきゃいけないんだ?
ブチィィィンッ。
頭の中で、何かが引きちぎれる明確な音がした。
三十年間、俺の行動を縛り付けていた強固な『理性のネジ』が、真っ赤に融解して吹き飛んだ。
「……あ?」
金髪の少年が、怪訝そうな声をあげる。
無理もない。
獲物であるはずの冴えない三十男が、恐怖に怯えるどころか——耳の裏まで裂けるような、狂気に満ちた笑みを浮かべたのだから。
「あぁ……。そっか。もう、我慢しなくていいんだな」
「おい、聞いてんのかよ、クソリーマン」
特攻服を着た金髪の男が、正義の胸ぐらを掴んで揺さぶる。周囲の連中がゲラゲラと下品な笑い声を上げていた。
いつもなら、ここで頭を下げて財布を出していただろう。だが、今の正義の脳内を支配しているのは、自分をハメた同僚たちの小汚い笑顔と、三十年間必死に抑え込んできたドス黒い衝動だけだった。
パチィン。
頭の奥で、何かが千切れる音がした。三十年間、彼を「エリート官僚」として縛り付けていた理性のネジが、完全に消し飛んだ。
「……喧しいな、クズが」
「あ? なんだと、てめ——」
言い終わるより早かった。
正義は無防備な金髪の顔面に、全力の頭突きを叩き込んだ。
鈍い骨の破砕音が路地裏に響く。鼻血を噴き出してのけ反る男の顎へ、今度は容赦のない右フックをぶち込んだ。ガクガクと崩れ落ちる男の腹へ、容赦なく蹴りをめり込ませる。
「ぶふっ!? え、あ……!?」
「ヒロ君!? てめえ、何しやがる!!」
予期せぬエリートサラリーマンの反撃に、周囲の暴走族の顔色が変わる。一人が背後から金属バットをフルスイングし、正義の背中に激しい衝撃が走った。
ガギィィン! と重い音が響く。
だが、今の正義の脳内には過剰なほどのアドレナリンが分泌されていた。痛覚など完全に麻痺している。
「……あ?」
ゆっくりと振り返る正義の目は、完全に据わっていた。バットを持った男が「ヒッ」と息を呑む。
背中を殴られたことで、外れたネジはさらに遠くへ吹っ飛んだ。もはや、自分が何をしているかも分かっていない。ただ、目の前のウザい玩具を壊すことしか頭になかった。
正義は足元にあった、男たちの愛車である大型バイクに手をかけた。
重さ二百キロを超える鉄の塊。それを、正義は信じられない怪力でガシッと持ち上げた。
「は……? バイクを、持ち上げ……っ!?」
「嘘だろ、化け物——」
「邪魔だァァァァァッ!!」
正義は咆哮とともに、バイクをそのまま前方へ投げ飛ばした。
凄まじい風切り音と共に宙を舞った鉄塊が、逃げようとしたクズどもを巻き込みながら激突する。ガラガラガシャァァン!! と激しい破壊音と共に、数人の身体がゴミのように吹き飛んだ。
「ぎゃああああああっ!?」
「足が! 俺の足があああっ!」
地獄絵図と化した路地裏で、正義の暴走は止まらない。
近くに転がっていたゴミ箱の鉄製の蓋を掴むと、這いつくばる男の頭をガツン! とぶっ叩いた。 さらに別の男に馬乗りになり、顔面をタコ殴りにする。右、左、右、左。拳が血に染まっても、もうめちゃくちゃに殴り続けた。
「ひ、引き揚げろ! 警察呼べ! こいつ狂ってる!!」
リーダー格の男が、命からがらまだ動くバイクに飛び乗り、アクセルを全開にする。
だが、正義は逃がさない。
「逃げるなよ。まだ俺のイライラは収まってないんだ」
正義は残った一人の首をガシッと掴むと、逃げるバイクの方向へ向かって力任せにぶん投げた。 飛んでいった人間魚雷がバイクの後部座席に激突し、バランスを崩してよろめく。
その隙を逃さず、正義は残されたバイクのシートに飛び乗った。
クラッチの握り方も、ギアの変え方も知らない。だが、本能のままにアクセルを限界まで捻り回す。
爆音を上げるエンジン。正義は狂気に満ちた笑顔を浮かべ、夜の街へと逃げるクズどもの背中を猛スピードで追いかけた。
次も暴れまくります




