はんみょう
「でも、その虫がなんて名前なのか分からなきゃ、どこにいるのか分からないんじゃ……」
意気軒昂な雰囲気に水をさすようで申し訳ない……けど、その虫の名前を把握していないと私達は手の出しようがない。
「その点は心配ご無用! 大方予想はついてるよ! 素早くて綺麗な虫……これは『ハンミョウ』に違いないね!」
虫取り網の先端を私に突きつけて意気揚々に言う。
はんみょう……? 今までの虫は聞いたことがある名前ばっかりだったけど、ハンミョウに至っては聞いたことすらない。それに名前からも想像できない……。
「それで、ハンミョウは一体どこにいるの?」
「ハンミョウは日当たりが良くて湿り気がある所ならどこにでもいるよ!」
なら発見するのは簡単そうだね。見たことない虫だから、普段目にしない場所にいるのかと思ったけど違うんだ。
ふむふむと相槌を打っていると、仕切り直しと言わんばかりにもう一度虫捕り網を天高く掲げた。
「それじゃあ! ハンミョウ捜索開始だぁ!」
「おー!」
ここまでは良かった。
そう。ここまでは。
「――そっち行ったよ!」
「もう……いい加減捕まれ!」
たった今日夏ちゃんの網を容易く避けたのが、宝石と見間違えてしまいそうな絢爛な色彩を持つ俊足の虫。ハンミョウだ。
ハンミョウは蜜花ちゃんと私の協力プレイさえも、自慢の俊足で翻弄してしまい、私達は悪戦苦闘を強いられていた。
私達はさっきの兄妹のように、息を切らして膝に手をついた。
「簡単に見つかるから、直ぐに捕まえられると思ったけど……思い違いだったみたい……」
「噂には聞いていたけどここまで早いとは……お主……中々やりおる!」
いつの時代の侍だ……。それより、このハンミョウをどうにかしなくちゃ。回り込んでもダメ。逃げる前に捕まえるのもダメ。もう対抗手段が……。
日夏ちゃんが一心不乱に虫取り網を振り回すも、当然捕まるはずもなく、遠くへとピョーンと飛んでいってしまった。
私達はヘトヘトなのに対し、ハンミョウはピンピンしている。
「ゼェ……ゼェ……ちょっと私はタイムゥ……」
「分かった……。私はもう少し粘ってみる」
虫捕りが日課になっており、体を動かすのは慣れているはずの日夏ちゃんがもうバテてしまう。その謂れはこの猛暑だろう。
朝から虫捕りを始め、今は丁度昼時。南中し気温も上がっているので、日夏ちゃんがバテてしまうのも必然。
……休憩したいけど、もし休んでいる間にハンミョウが逃げちゃったら……次で、次で捕まえてみせる!
きらりと光る汗を地面に零しながら、精一杯虫捕り網をハンミョウへ向けて振り下ろす。
――が、今までスピードを落とさなかったハンミョウが急にスピードを落とすわけもなく、その網は虚しく空を切った。
「……ハァ……ハァ……」
網を完全に振り終わると、荒い呼吸をしながらその場に座り込んだ。
座り込んだ私の元に、日夏ちゃんは気づかわしげな表情で駆け寄ってくる。
「蜜花ちゃん!、そろそろ危険だから一旦やめよう! ほら! 取り敢えず木陰まで歩ける?」
「う……うん」
暑さにやられてしまい、日夏ちゃんの肩を借りながら千鳥足で木陰まで向かう。日夏ちゃんは水筒とタオルを急いでバックから取り出して私に渡す。
渡された水筒を豪快に飲み干し、タオルで顔の汗を拭う。
タオルをどけると、日夏ちゃんは眉をひそめて私の顔を覗いてきた。
「大丈夫!?」
「す、少しめまいがして倦怠感がある……感じ……?」
日夏ちゃんの顔とか周りが……グワングワンとする……。酔っぱらってるみたい……。
「熱中症の初期症状……脇とか首を冷やすための飲み物買ってくるからもう少し待ってて!」
「う、うん……」
私ったら……ハンミョウを捕まえることもできなかったし、日夏ちゃんにまで迷惑を掛けて……バカだなぁ。
財布を片手に握りしめ、急いで駆けていく日夏ちゃんの後ろ姿を見ながら、心の中で自分を責め、涙を浮かべた。
足元を眺めていると、前に三つの影が現れた。
「あれ? お前は確か……日夏の友達の……蜜花か。どうかしたのか?」
現れたのは、先程日夏ちゃんにぼろ負けした男の子。本当におきあがりこぼしみたいに直ぐに立ち直るんだね……。
「少し暑さにやられてバテちゃって……」
「熱中症じゃないか? ――ったく! 日夏は何してんだよ……」
チッと舌打ちをして、誰もいない方向を睨みつける。誤解をしてしまったので、私はあわあわと首を振った。
「い、いや! 日夏ちゃんは私のために飲み物を買ってきてくれてんだよ!」
「ん? そうなのか。早とちりして悪かったな」
鼻に貼ってある絆創膏を軽く擦り、照れ隠しをした。そのタイミングで日夏ちゃんが幾つもの飲み物を抱えて戻ってきた。
抱えているのは全部スポーツドリンク。クエン酸やアミノ酸が含有しているので、まさに熱中症対策の天職とも言えるだろう。
「蜜花ちゃんお待たせ……って……また来たの? 生憎今はそれどころじゃないの。帰った帰った」
日夏ちゃんは蚊を追い出すように、しっしっと手を払う。
「状況の把握くらいできるわ! それより、なんでこんな危ない状態になるまで動いたんだよ?」
「実は……」
三人にここまでの経緯を説明した。その話にうんうんと頷くまで真剣に聞いてくれた三人は、小さな声で話し合った。
「……よし! そういうことなら俺達が手伝ってやる! その代わり、ハンミョウを捕まえたら決闘の勝利は俺がもらっていいか?」
うずくまって話していた三人は一斉に立ち上がった。
「もうじゃんじゃんあげるよ」
「おぉ。マジか!? ならハンミョウをとっとと捕まえるぞ! 行くぞお前らぁ!」
『おぉぉう!』
そこからは展開が早かった。暑さにも負けず、ハンミョウが休む時間も無いくらいに徹底的に追いかけ、たった十分ちょっとで見事に捕獲してしまった。
なんか逆にハンミョウが可哀想に見えてくる気がする。
そう考えていると、男の子はハンミョウが入った虫かごを私達に差し出してきた。
「ほいよ! 俺達にかかればこんなのお茶の子さいさいだぜ!」
「知識は無くても技力はあるんだね。どうもありがとう」
「私からもありがとう」
私が笑顔を向けると、ハンミョウを渡してきた子は顔を赤らめ「れ、礼には及ばねぇよ……」と言って、鼻を擦った。
男の子から、ハンミョウが入った虫かごを日夏ちゃんが受け取った。そのとき、大人びた二人も私の心配をしてくれた。
「蜜花ちゃんは体調は良くなった?」
「うん。大分」
「それは良かった。今の季節でも熱中症になるリスクはあるから気を付けた方がいいよ?」
春だからと油断して、水分補給を怠ったのは失敗だった。反省。
日夏ちゃんが冷やす用に買ってきたペットボトルを一本開け、水分補給をする。やっぱり今日は気温が高いからか、中身はぬるくなっていた。
「そんじゃ、俺達は昼飯食いに行ってくるから、ハンミョウをしっかりと届けてやれよ?」
「分かってるよ。今日はありがとね」
日夏ちゃんが笑顔で手を振ると、男の子はグッと親指を立て、八重歯を見せながら大声で哄笑した。
「虫取り勝負ならいつでも受け付けてるぞ。よしお前ら! 俺の初勝利を記念して最高級の飯を用意しろよ! ガハハハッ!」
「三百円しか持ってないんだから無理だよ……」
仮にも十分走り回ったはずなのだが、三人は疲れた雰囲気を微塵も出さずに帰っていった。男の子の体力は底なしなのだろうか。
さて、私も行かなきゃいけないから立ち上がろっと。
完全に症状は引いたようで、難無く立ち上がれた。
「じゃあ、あの兄妹の所に持って行ってあげよ!」
「うん!」
受け取った虫かごをしっかりと抱えながら、兄妹が待っている公園に向かっていった。
「おーー! 凄い綺麗ー!」
「こんな虫いたんだ……すげぇ……」
虫かごの中にいる、宝石のような光沢を放つハンミョウに、目をキラキラと輝かせて凝視する。
私も間近で見て、改めてハンミョウの美しさを実感する。こんな綺麗な虫を見て興味を惹かれるのも納得だ。
ここに来る途中日夏ちゃんから聞いたけど、ハンミョウは別名「ミチオシエ」というらしい。見た目も名前も幻想的。こんな虫がいたとは……。
「これ、お姉ちゃん達だけで捕まえたの!?」
「それはね、三人も優しいおにいちゃん達が捕まえてくれたんだよ! もう帰っちゃったけどね……」
「なら、今度会ったら俺達の代わりにお礼を言っておいてください!」
「了解だよ! それじゃ、ハンミョウを大事に育ててね!」
虫かごを男の子に渡そうとすると、手のひらで虫かごを軽く押し返した。
「いや、このハンミョウは頑張ってくれたお姉ちゃん達に育ててほしいです。だよな、ミユ?」
「うん! ミユは、はんみょうを見れただけで嬉しい!」
ミユちゃんは天使のような笑顔を向けてくる。この笑顔を見ると、不思議と疲れが取れたような気がした。
仲のいい兄妹は頭を深々と下げて家へと帰っていった。それと同時に、安心したからかお腹がグゥーと鳴った。
既に一時を過ぎていたから、鳴るのも仕方ないだろう。
「もう昼時だし、家でご飯食べてからもう一回遊ぼ! 何時くらいに集まる?」
「私、お昼ご飯はコンビニで買ってここで食べるから、蜜花ちゃんのタイミングで来ていいよ! 先にお昼ご飯にしてくるね!」
「あ、なら――」
「一緒に家で食べる?」と、言う前に手を振りながらコンビニに走っていってしまった。
日夏ちゃんの両親……仕事なのかな……?
しかし「家」と言った瞬間、日夏ちゃんの表情が少し暗くなったのが心に引っかかった。仕事の関係が理由ではない気がしたが、一旦家に帰ることにした。