戦いのあと
キンプリはいいぞ
犠牲となった二人を埋葬してからも、佳那達は一心不乱に働き続けた。やるべき仕事が山積みだったこともあるし、目の前のことに集中して忙しく動き回ることで、悲しみや後悔にとらわれずにすむということもあった。
実際、やるべきことは山積みだった。施設内からはジキを一掃したとはいえ、いつまた侵入を許すか分からない。今日のような事態を二度と起こさないためにも、警備体制の強化は急務だった。とはいえ、巨大な発電施設全体を壁や堀で覆うのは時間がかかりすぎるため、応急処置として、施設の警備システムの穴を大学から持ってきたカメラやセンサーで補完しつつ、発電所や管理棟など重要な建物の周りだけを土嚢と堀で固めることとなっていた。
最低限の応急処置とはいえ、半日がかりとなることは明らかで、結局全てが終わったのは日付が変わる寸前だった。
「それじゃあ、藤堂さん、ここのことはよろしくお願いします。どうか、お気を付けて。」
二日後の朝、佳那はそう言って藤堂正樹に頭を下げていた。休息や負傷者の手当てもひとまず終わり、発電所の維持や警備にあたる人員を残して、大学に戻ることになっていた。
百名余りの遠征隊のうち、施設に残るのは半分ほど。宗一郎の古い友人であり、キメラでもある藤堂正樹が、残留組のリーダーとなることになっていた。
「来栖さんも気を付けて。それから、あいつのこと、よろしく頼むよ。面倒なところも優柔不断なところもあるけど、この一ヶ月、誰よりも頑張ってみんなを守ってきたのはあいつだからさ。」
旧友らしい、気安いが信頼を込めた宗一郎への言葉を聞いて、頷きながら答える。
「自分に出来ることを精一杯やるつもりです。沢山話をして、もちろん全部に賛成出来るわけじゃないだろうけど、いつでも味方でいたいと思ってます。ううん、味方になります。」
断定調の言葉に、藤堂は嬉しそうに微笑む。最後に一度握手を交わしてから、佳那は五十名余りの学生達を率いて大学への道を踏み出した。
帰りの道は、行きの道以上に安全なものだった。二、三度、ふらふらと彷徨うジキと接触したものの、いずれも少数だったため、問題にはならなかった。街を出てしばらく歩いたところで、行きにも使ったマイクロバスが待機していて、それに乗ってからは、ゆっくり考える暇もなく大学に着いた。
大学では、自警団主催のささやかな祝勝会が準備されていた。帰って来たという安心感と、華やかな雰囲気や歓呼の声に押されて、ずっと厳しい表情だった学生達の顔にも笑みが浮かぶ。何はともあれ、勝って、生き残ったのだから。
「お疲れ様、佳那。今回は本当にありがとう。元気そうで安心したよ。」
一通りの歓迎が終わってから、宗一郎は佳那を会長室に招いていた。離れていたのは三日にも満たない期間だが、随分と久しぶりのようにも感じる。発電所で仲間を失ったこともあるし、酷く落ち込んでいるかと思ったが、杞憂だったようだ。
「うん、私も土屋さんみたいに強くなるって決めたからね。メソメソ泣くわけにはいかないよ。」
その言葉に決意や強さとともに危うさも感じて、どう答えるべきか悩みながらコーヒーとお茶請けを出す。
「コーヒーの在庫も随分少なくなってきてるんだよ。どこかで補充出来れば助かるんだがな。」
間を持たせるようにそんなことを言いながら、宗一郎もコーヒーを啜る。湯気の立つ褐色の液体を流し込んで冷えた体を暖めていると、佳那が突然俯いた。不審に思って「どうした?」と声を掛けると、返ってきたのは涙声だった。
「ごめん、ちょっとだけ、ちょっとだけ待って。こんなの、すぐに落ち着くから。」
緊張の糸が切れて、抱えていた気持ちが溢れだしたのか。俯いた顔から、数滴の雫が床に落ちる。予想外の展開に、宗一郎の頭も真っ白になってしまう。
「あっ、いや、その…」
我ながら何と無様な対応だと思うが、言葉に詰まって固まってしまう。普段は偉そうにしていても、別に経験豊富なリア充でもないし、泣いている女の子を慰めたことなどない。それでも何とか立ち直って、迷いながら言葉を掛けた。
「俺の胸で泣けよ、なんて言えればいいんだけどな。だけど、泣いてもいいんじゃないか。人間にはそんなに簡単に変われないし、強くもなれないと思うから…」
俯いたまま黙って話を聞いている佳那に、なおも言葉を続ける。
「この作戦が始まる前、確か言ったよな。辛いことがあった時に、誰かに話すだけで違うから、何でも話してくれって。あの時の言葉は本音だし、そんなことしか出来ないけど、それで少しでも佳那の負担が軽くなればって思うよ。」
言い終わってから気恥ずかしくなって、少し顔を背けていると、佳那の小さいがはっきりした声が聞こえた。
「ありがとう。私もね、宗一郎の力になれたらと思うよ。どんな気持ちで色んな決断をしてるか、少し分かった気がするから。」
意外な言葉に驚いてから、恥ずかしさを紛らわすように、少し皮肉っぽく「頼りにしてるよ」と言う。それから少しとりとめのない会話を交わしてから、別れ際に言う。
「色々あったけど、佳那が無事で本当に良かったよ。これからもよろしく頼む。」
心からの言葉に、佳那は少し照れたような顔で「こちらこそ」と短く答えて踵を返す。その足取りは軽やかで、宗一郎は安堵して微かな吐息を漏らした。
遠征から帰還して自分の部屋に戻ってくると、夏生はベッドに倒れこんで、泥のように眠った。目が覚めた頃には翌日の正午近くなっていて、空腹を覚えて食堂に向かう。遅い朝食を取っていると、後ろから声を掛けられた。
「よう、やっと起きたか。」
「ああ、コウちゃん、おはよう。ごめんね、こんな遅くまで寝てて。」
からかうような口調の康一に一応謝ると、康一も特に気にする様子もなく言った。
「疲れてるんだし、ゆっくり休めたなら良かったんじゃないか。それはそうと…」
話しながら康一は手にしていた紙袋をひっくり反した。中からはA5サイズのやや小ぶりなノートが数冊とボールペンが何本か出てきた。意味が分からず「どうしたの?」と尋ねると、康一は少し言いにくそうに答える。
「いや、ほら、日記を書くとストレス解消にいいって言うじゃん。ふと思いついたんで始めようかと思うんだけど、一人だと三日坊主になりそうで。夏生と一緒にやればサボり防止になりそうだからさ、付き合ってくれないか?」
あくまで自分のためという体裁をとって誘ってくる康一の本心と気遣いに気付かないわけもなく、だからこそ、それに乗っかって答える。
「えー、面倒くさいな。日記とか、苦手なんだよね。まあでも、コウちゃんがそこまで言うなら、やってあげなくもないけど。」
「おお、ありがとな、助かるよ。悪いな、俺のワガママに付き合わせて。」
感謝してよね、と言いながら、お互い笑いあう。はたから見れば理解不能かもしれないが、互いの本心が分かっているからこその笑いだった。康一の不器用な優しさと気遣いに感謝して内心で頭を下げていると、夏生を探していたらしい宗一郎と佳那が食堂に入ってきた。
「土屋さん、木崎さん、こちらでしたか。改めてお礼を言わせて下さい。本当に、何から何までありがとうございました。」
「いえ、とんでもないです。来栖さんには僕らも助けられましたし、会長も色々とありがとうございました。」
そう言って一通り挨拶が済んでから、少し言葉を交わしていると、宗一郎がノートの束を不思議そうな目で見ていることに気付く。苦笑まじりに夏生が説明すると、宗一郎は納得したような顔で頷いて言った。
「それはいいですね、俺もやってみようかな。佳那もどうだ?」
話を振られて少し悩んでいる様子の佳那を見て、この二人も随分と仲良くなったなと思いながら、笑顔で言う。
「是非みんなでやりましょう。その方がお互いに励みになりますよ。」
その言葉に押されるようにノートを手に取った佳那を見ながら、宗一郎が少し肩をすくめて言った。
「もし人類がいつの日にか文明を再建したら、この日記は貴重な記録になるかもしれませんね。…自分の日記が公開されるのは真っ平ですけど。」
宗一郎の最後の言葉に同意して笑って頷いてから、夏生も言った。
「そうですね、死の日々の記録、いや破壊と再生の日々の記録になるんでしょうか。願わくば後者になって欲しいものです。いや、そうなるよう、僕らが頑張らないといけませんね。」
言葉と記録が意味を持つ世界を守るために、この日記を読んで意味を理解し、経験や教訓、苦悩や決断を理解出来る世界を、文明を守るために。その思いが共有されたのか、三人とも静かに頷いた。
「じゃあ、始めましょうか。」
夏生がそれだけ言うと、お互い会釈を交わしてそれぞれの仕事に戻った。最初の関門は越えたとはいえ、まだやることは山積みだった。食料の安定的な確保、ジキとのより効果的な戦闘方法の確立、他の生存者コミュニティとの連携、さらに技術や知識を継承し、文明を再建する基礎とすること。一生かかっても終わるか分からないし、陽の目を見るのは次世代になってからかもしれない。それでもたぶん、挑戦する価値はある仕事だろう。
私はタイガ君推しなんですが、人気投票で不動の一位と聞いて驚きました。あとミナトママはいつも圏外だけど頑張って欲しい…。
それはそうと、ここで一区切りして第一部完にしようかと思います。特にキャラや舞台は変えずに第二部を始める予定ですが、何かご意見・ご感想ありましたら、コメントを頂けると嬉しく思います。




