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Record of the dead  作者: 水無月ケイ
第1章
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会長の回想

全てが終わってしまってから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。ふと、そんなことを思って卓上カレンダーを手に取ると、その日からまだ半月余りしか経過していないことを思い知らされ、苦いものがこみ上げて来る。

結城宗一郎は、読み終えた確認書類の一つをフォルダに仕舞い、次の書類に手を伸ばしかけてから、結局やめて一息つくことにする。さっきの思考の続きで、コーヒーと茶菓子を肴に、これまでの半月余りのことをぼんやりと思い返した。

最初の異変の兆候が表れたのは、大学の長い夏休みが終わり、キャンパスに活気が戻ったばかりの十月初頭だった。一番最初にあの光景を目にしたのは、そう、確かスマホの画面を通してだった。昼休みに友人の一人が、東京でまたヤバい奴が暴れてるってよ、などと笑いながら見せてくれた映像。宗一郎自身も使っているミニブログサービス上に、人が人を喰っている、おぞましい、映画のような光景が流れていた。

映画やゲームの宣伝か、それとも本当に頭のネジが飛んでしまった奴が出てきたのか。どっちとも判断がつかなかったけれど、いずれにしろじき分かるだろうと思って、その時はさして気に留めなかった。

数時間後、午後の授業が終わり、教室から出てみると、通路もキャンパスもどことなくざわついたような、戸惑ったような、怯えたような雰囲気が漂っていることに気付いた。その理由は、すぐに判明した。寮の自室に帰って、テレビをつけた瞬間、生真面目な表情の下に恐怖と困惑を滲ませた国営放送のアナウンサーが、全国各地で頻発している「暴動」について、中継や専門家のコメントを交えながら説明していた。

海外ならともかく、日本で暴動?最初は意味がよく分からなかったけれど、ネットニュースを見て、やっと要領を得た。どうも、さっきのような「人が人を襲って喰う」現象が頻発しているらしい。ソーシャルメディアには、もっと恐ろしい情報もあった。曰く、少しでも噛まれた者は、ほんの数分で、人を襲って喰うバケモノに変身する。しかも、そのバケモノは、桁違いの体力を持ち、心臓を撃たれてもどれだけの血を流しても死なない、と…。

まさに映画そのものの世界だった。ネット上には、恐怖と混乱を訴えたり、安全な場所を尋ねる問いに混じって、映画との類似性を面白おかしく指摘するコメントや、破滅願望を明らかにした叫び、そして自身も噛まれたという写真付きのものまで、あらゆる雑多で真偽不明の書き込みが溢れていた。一つだけ確からしいのは、どうもこの混乱は日本だけでなく世界中で起こっているようだということだったが、それが分かったところでどうにかなるものでも無かった。

その後の事態は全く笑ってしまうほど順調に、淡々と、映画通りに進んだ。増え続ける死者(彼らが死んでいるのか、明確な結論は出なかったが)の前に、政府や自治体の動きあまりに遅く、警察や自衛隊は何百万、何千万という死者の群れを鎮圧するにも、市民を保護するにも、圧倒的に人手不足だった。誰を救って誰を見捨てるべきなのか、そんな残酷だが必要な議論が全く進まないうちに、社会システムは呆気なく崩壊。異変からきっかり一週間後、最後まで放送を続けていたラジオが沈黙した。

そうそう、一つだけ映画と違ったことがある。奴らの、死者の呼び方だ。誰がいつから呼び始めたのか分からないけれど、あの死者達には「ジキ」という名が付いた。他の呼び方もあったけれど、その禍々しい響きや短く呼びやすいことから、いつの間にか人口に膾炙していた。

勝十平野のど真ん中、人口稠密地帯から遠く離れたこの北新国立大学に最初のジキが姿を見せたのは、異変から八日後のことだった。キャンパスにたどり着いた避難民の一団の中に、噛まれた者がいたのだ。中央棟のロビーで発症し、周囲にいた学生が何人も犠牲になった。あのままだったら、たぶん瞬く間にここも死者の園になっていたことだろう。けれど、トリフィドの日が来ても光を失わなかった者がいたように、世界を、少なくともこの小さな世界を救う奇跡が自分達の前に現れたのだ…

まだ鮮明に思い出せる半月前の記憶を辿りながら、その時の光景を脳裏で再現しようとした時、デスクの上の内線電話が鳴った。表示された番号を見ると、南口の検問からだった。もしやジキの襲来か、と身構えて受話器を取る。

「会長室、結城だが。」

「ああ、会長。実は、いまこっちに二人組の来訪者が来てまして。」

最悪の想像が外れてホッと一息ついてから、話を続ける。

「マニュアル通りに対応してくれ。学内に知り合いはいるのか?」

「水島教授の教え子だそうで、確認が取れました。」

「なら、入れてやれ。」

その程度のことで一々確認を取るなと少しイラつきながらも、それを声に出さないようにしながら答えると、電話の相手は少し躊躇ってから切り出した。

「それが、一人が噛まれているようなんです。本人は、噛まれて発症していないと、キメラだと言い張ってるんですが。」

「なんだと、本当か!?」

思わず身を乗り出して叫ぶと、電話の向こうの声は尚も躊躇いがちに続けた。

「一応確認しましたが、確かに傷口は塞がっていて、噛まれてから随分経っているようです。意識もはっきりしていて、特に変わった様子はありません。」

その報告を聞いて、一瞬考え込んでから、すぐに結論を出す。

「分かった、通してやれ。それで、ここに連れてきてくれ。」

そう言ってから、ふと思いついて、一言付け加える。

「いや、やっぱり通すだけでいい。こっちから駐車場に迎えを出すと言ってくれ。」

「了解しました。奴らにもそう言っておきます。」

頼む、と言って一旦電話を置いてから、受話器を再び手にして、内線番号を押し込む。電話口に期待通りの相手が出て、内心安堵しながら口を開いた。

「ああ、来栖か。悪いが、急いでこっちに来てくれないか。いや、ちょっと珍しい来客があってだな…」

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