二人の訪問客
海北道南部、肥沃で緑豊かな勝十平野を貫くように通っている国道336号線を、一台の軽トラが疾走している。運転席と助手席には二人の若い男性が座っていて、途切れがちに会話を交わしていた。
狭い車内に、やや音程が外れた鼻歌が響いている。運転席に座る長身のがっしりした男が、隣席から響く音にげんなりしたような顔をして口を開く。
「夏生、お前、よく鼻歌なんか歌えるよな。」
夏生と呼ばれた華奢な青年は、運転席の方に顔を向け、無邪気な笑顔を浮かべて答える。
「なんで?青い空に一面の緑の平原、最高の景色じゃん。コウちゃんも何か好きな曲かけたら?」
コウちゃん、と呼ばれた方は、肩をすくめながらフロントガラスの両端に視線をやる。ワイパーが届かない一画には、赤黒い血がべったりと張り付いて、異様な雰囲気を醸し出していた。それから、諦めたような、呆れたような、脱力したような顔をしてため息を吐いてから、運転に戻ろうとする。
「それよりさ、こーんなに空いてるんだし、もっと飛ばそうよ。さっきからずっと、60キロも出てないよね。」
「ここは高速じゃないから、これが制限速度だ。」
「あのねえ、コウちゃん…」
「飛ばし過ぎると燃費も悪い。」
駄目押しのようにそう言われて、諦めたように押し黙る。それから、コウちゃんらしいね、という呟きが車内に響いたが、その声はどちらかというと楽しげで、それからまた車内には鼻歌が響き始めた。
木崎康一は、軽トラのハンドルを切って、目的地までの最後の分岐点を通過したことを確認した。地図や道中の看板によれば、小高い丘へと続くこの坂道を登りきったところに、目的地である北新国立大学の正門があるはずだった。
坂を半分ほど登ったところで、行く手に検問のようなものが設けられているのが見て取れた。いかにも急ごしらえで、あちこちからかき集めたらしい様々ながらくたの寄せ集めでバリケードを築き、車一台分のスペースにはミニバンが横付けされている。バリケードの前には、鉄パイプや金属バットで武装した若い男子が何人かたむろしていて、近づいてくる軽トラックを見て、手振りで制止を求めて来たので、ブレーキを踏み込んでバリケードの少し前で車を止めた。
「どこから来た?用件は。身分を証明できるものは有るか?」
即席の入国審査官達…どう考えても、この大学の学生達だろうが…は、明らかに来客に慣れていないようだった。なんだかこっちが申し訳ない気になりながら、一つ一つ説明していく。
「俺は木崎康一、こっちは土屋夏生だ。札幌の方から来た。用件は、こいつの恩師に会うためだ。」
「分子生物学科の水島菫教授に取り次いでくれない?」
上半身を運転席の方に寄せた夏生がそう言うと、警備係の学生達は怪訝そうな顔で康一と夏生の顔を一瞥してから、トランシーバーのような機械に向かって話しかけた。しばらく待たされてから、少し落ち着いた顔になった学生達が頷いたのが見えた。
「確認が取れた。一応、噛まれてないか確認する。こっちに来てくれ。」
その問いに、やはり来たか、という思いを抱きながら、躊躇いがちに口を開く。
「そのことなんだが、何て説明すればいいのかな…。俺は噛まれてるんだ。」
そう言った瞬間、警備の面々の表情が一気に険しくなる。慌てて言葉を継いだ。
「噛まれたと言っても、二週間近く前だ。噛まれても発症しなかったんだよ!そういう奴、ここにはいないか?」
疑念を晴らすように必死に説明すると、学生達はまた顔を見合わせて何事か囁き合っている。『キメラ』という聞きなれない言葉が耳についた。リーダーらしき学生は、またどこぞと無線で相談していたようだが、少し経ってから、張り詰めたような声で言った。
「分かった。そういう事例は、こちらでも確認している。噛まれた場所を見せてくれ。」
素直に従って、だいぶ消えつつある傷跡を見せると、少し安心したようだった。まだ少し警戒しながらも、ゲートを開けるように他の学生に命じた。
「道なりに進んで丘の上に着いたら、右手に駐車場がある。そこに迎えがいるから、そいつと一緒に行ってくれ。」
「分かった、ありがとう。」
短く礼を言って、車を発進させる。検問を通過すると、ゲートの後ろにも大勢の警備がいるのが見えた。うち何人かは弓や銃器で武装している。坂の頂上付近にも哨戒所があって、双眼鏡を持った数名の学生が丘を見張っているのが見えた。予想以上にしっかりした警備体制が敷かれているようだった。
「意外としっかりしてるじゃないか。これなら、何とかなるんじゃないか?」
これまで見てきた数々の避難所の絶望的な状況を思い浮かべながら、少し明るい気分でそう言うと、左隣から無邪気な声が返ってきた。
「当面はなー。まあ、ちゃんと考えて行動しないと、時間の問題だけど。」
ゾッとするようなセリフを平然と、それどころかむしろ天真爛漫な雰囲気で言ってのける、この奇妙な旅の仲間の言動には相変わらず慣れないなと思いつつ、その理由を尋ねてみる。
「何でそう思う?ここは十勝平野のど真ん中で、幌札からも川旭からも、その他どの大都市からも100km以上離れてる。おまけに丘の上にあって、外部との通路は数本しかない。その数カ所は、常に厳重に監視されてる。これ以上ないくらい、理想的な環境だと思うが。」
「ジキから身を守るだけならなー。でも、ここは大学。何も生産してない。必要なものは、みんなどこかから誰かが持ってくる。でも、今はもう、誰も何も届けてくれない。貯蔵してる食料や燃料が無くなったら、あとはどうなる?」
夏生は明るくハッキリした声で、淡々と答えた。「揚げ物を控えた方が良い理由」や「夜食が不健康な理由」を説くようなあっさりした口調に、思わず頷きそうになってから、慌てて反論した。
「食料も燃料も、取ってくればいいだろう。特に食料に関しては、ここは日本一の穀倉地帯の真ん中なんだしな。燃料はまあ、冬場以外は節約するとか…」
「そこが難しいとこでさ。ここは大きな大学で、学生と教員、その他合わせて、多分一万人以上いるんじゃないかな。それだけ人数がいるってのは、人手が確保出来るって意味ではメリットだけど、補給って意味ではデメリットだよ。一万人が暮らし続けるために必要な物資って、相当なもんだよ?しかも、一週間や二週間じゃなく、一年、二年、多分もっと長くだ。」
夏生の指摘に、一言も言い返せず黙り込んでしまう。それは、自分達二人の共通認識…この災厄は特定の地域や国家ではなく、世界中の社会システムを徹底的に破壊しており、少なくとも数年は救援が見込めそうもない…に根ざしていた。夏生の言葉の正しさに渋々頷きつつも、疑問と不満を込めつつ尋ねる。
「そこまで考えてるなら、なんでここを勧めたんだ?」
「決まってるじゃん、ここは考えうる限り一番マシだからだよ。別の言い方をすれば、ここはまだ少しは可能性があるとも言えるかな。それとも、コウちゃんにはもっと良い場所の候補があった?」
そういう言い方をされて、少しムッとして黙ってそっぽを向く。
「ごめんごめん、気を悪くしないで。僕が言いたかったのはさ、ここはトータルに考えて一番良いけど、でも完璧じゃないってこと。それだけだよ。」
少しだけ媚びるような、それでいて、その実、全く焦っていないような声音に一瞬惑わされつつ、結局、機嫌を直すことにする。微かな吐息の後、視線を真正面に向けると、ちょうど丘を登りきったところで、フロントガラス越しに広大なキャンパスが視界いっぱいに飛び込んできた。
広大な敷地に、ゆったりとした間隔を保って配置された、どれも個性的で近未来的な建物群。特に校舎や図書館と思しき建物は、奇抜な外形だった。その向こうには、もう少し常識的な外見の寮が何棟も立ち並んでいる。どの建物の周りも豊かな緑が生い茂り、太陽光発電パネルが鈍い光を放っている。まさに映画の中の未来都市のような風景。
しかし、少し目を凝らすと、明らかに異様な光景が目に飛び込んでくる。道路脇に土嚢でパリケードを築き、鉄パイプやらバットやらを振り回している一団がいる。かと思えば、まるで何事もなかったかのように、全く普通の学生の姿で歩いている集団もいる。そして、どちらの集団の顔にも、真剣なような、それでいて虚脱したような表情が浮かんでいる。奇妙なコントラスト、混乱し戸惑っている人々。『茫然自失』という単語を現世で表現したような光景だった。
「おーい、こっちだ、こっち。」
ぼんやりとした困惑に包まれたキャンパスを横目に駐車場に入ると、数名の学生が手を振っていた。さっきの学生達が言っていた迎えだろう。近くに車を停めて降りると、一人の男が進み出て、嬉しそうな顔で話しかけてきた。
「いやー、よく来たな。外にも俺達みたいなキメラがいて嬉しいぜ。」
「キメラ?」
聞き慣れない単語を怪訝に思って問い返すと、男は頷きながら答えた。
「俺達みたいな、ジキに噛まれて体力だけ強まったのを、ここではそう呼んでる。あんまりいい名前じゃないけど、定着しちまったからな。」
なるほど、と言って頷いてから、男の言葉に含まれた重大情報について、慌てて問い返す。
「俺達?じゃあ、ここには、俺達みたいのが何人もいるのか。もしかして、あんたら全員…」
「そうだよ、俺達全員キメラだ。ここには、俺達みたいなのが50人はいる。」
「50人!驚いたな…」
心底からそう言ったあと、ふと、ある可能性に思い当たって口にする。
「キメラになる奴は百人に一人もいないだろ。随分、噛まれたのか。」
「いや、そうでもない。これだけ『キメラ』が増えたのは、姐さんのおかげだよ。」
「姐さん?」
また意味不明の単語が出てきた、と思って聞き返すと、男は少し自慢げな顔をして言う。
「俺達みんなの命の恩人だよ。まあ、詳しいことは先生や会長から聞いてくれ。こっちだ。」
そう言って、中央の一番立派な建物に入っていった。広々とした吹き抜けのロビーは明るく開放感があり、自然光が巧みに取り入れられて荘厳な雰囲気さえ漂っていたが、よく見ると血痕が微かに残っていた。康一の視線に応えるように男が言う。
「この学校で最初のジキは、ここで発症したんだ。まだあのパニックが始まった直後で、外から逃げ込んできた奴が噛まれててな。突然のことで、大騒ぎだった。」
男はそれきり押し黙ってしまったが、その表情から、ここでどんなことが起こったか、容易に想像がついた。発症した男に噛まれ、その誰かも発症して。あとはもう止まらない、ネズミ算式の爆発的拡大だ。けれどこの学校では、最初の感染拡大は阻止出来たようだった。一体どうやって?




