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Record of the dead  作者: 水無月ケイ
第1章
19/21

運命と決断【下】

長く書いていてもなかなか上手くならず、自分の文才の無さに絶望する日々です。

ジキは底無しの体力を持つとはいえ知能は動物以下で、上手く誘導して発電所から引き離すことはそれほど難しいことではなかった。問題は、しつこく追い縋って来るジキをいかに撒くかだったが、それも程なく解決策が見つかった。発電所から数キロ行ったところにちょっとした雑木林があって、上手く撒くのにちょうどいい塩梅だった。ここぞとばかりにレコーダーと匂い玉を贅沢に使い、ジキを雑木林の真ん中に集め、隙を見て脱出した。しばらく遠巻きに見ていたが、ジキは雑木林を彷徨っているようだ。

何とか脅威を遠ざけたとはいえ、時間のロスは少なくなかった。佳那達が発電所に戻る頃には日が暮れかけていて、暗がりでジキと遭遇するリスクを考えたら背筋が凍り、大急ぎで発電所に戻った。


結局、発電所に戻ったのは日が沈む直前だったが、既に発電体制が整いつつあるようで、施設内は昼間と変わらぬ明るさが保たれている。文明の明かり、LED電灯の無機質だが清潔で安定した光にどこか安堵していると、夏生が顔を見せた。

「お疲れさま。来栖さんがあいつらをどうにかしてくれたお陰で、こっちは粗方片付いたよ。」

その報告に安堵していると、夏生が苦笑いのような困ったような笑顔で言いかける。

「そうそう、悪い話なんだけど良い話でもあることがあってね。あの高校生達なんだけど…」

夏生の様子に興味を引かれて少し身を寄せようとした時、不吉な叫びが会話を中断させる。

「来栖さん、あ、あれっ!!!」

不吉な予感、いや確信と共に振り向くと、絶望という概念が唸り声と共に近寄ってきていた。それは、下半身をほとんど食い千切られ、匍匐前進のようにして腕だけで佳奈達に近づいてくる元通信班員だった。


駐車場の一画に、百人近い学生が集まっている。皆一様に無言で俯き、何割かの学生は嗚咽を漏らしている。そんな中で、捕らわれたジキだけが盛んに唸り声を上げている。

あの襲撃があった時、通信機の近くには通信班員と護衛、合わせて八人の学生がいた。そのうち二人は噛まれたが処置が間に合い、今ではキメラになっている。残り六人のうち四人の無事も確認出来た。そして残った二人が、この結果だった。一人は元通信班員の女子、もう一人は護衛をしていた男子学生。どちらも面識は無かったけれど、ほんの数時間前まで、確かに仲間だった。

いくらジキとはいえ、両足を失った状態であれば簡単に捕縛出来る。問題はそこから先で、さっきまで仲間だった学生をあっさり殺すわけにもいかなかった。少なくともここの学生達はまだ、その段階には達していなかった。

「何とか…何とかならないんですか!?」

学生の一人が声を上げる。だが佳那は、力なく首を振ることしか出来ない。考えうることは既に試した。ダメもとの佳那の血も、全く効き目はなかったのだ。

「でも、それならっ…!!」

学生が言いかける。その先は分かっている。もしかしたら治療法が見つかるかもしれない、大学に連れて帰ろう…。

その気持ちは痛いほど分かる。だが、それを認めてしまったらどうなる?ジキは治療不可能な怪物、そういう建前があるからこそ辛うじて成り立っていたジキを「殺す」ことの正義が足元から崩壊してしまう。それに、仲間のこんな姿が大学に残る学生に知れたら、彼らは一層消極的になるだろう。ジキを「怪物」として戦い続けるためには、たとえ仲間といえど、一度ジキとなったら殺すしかない。けれどその言葉を、佳那はどうしても自分の口から言い出せなかった。

「ダメだよ。」

絶妙のタイミングでそう言ったのは、あの少しハスキーで凛とした声。言い募る学生を一言で止めて、夏生はぐるりと周りを見回してから、よく通る声で言った。

「この二人は勇敢で誠実で立派だった。でも今ここにいるのは、その二人じゃない。ジキは治療不可能で、生前のどんな関係も無視して見境なく人間を襲う。生前の二人なら、自分の友人や仲間に牙を向けることを望まないと思う。だから、僕らが彼らにしてやれるのは、ゆっくり眠らせてあげることだけだ。」

誰もが分かってはいても口には出来ない言葉を口にする夏生に対して、学生達はそれぞれ微妙に異なる表情を浮かべる。ホッとしたような表情を浮かべる者、やりきれないように手で顔を覆う者、そして夏生が元凶だとでも言うかのように睨みつける者。けれども誰一人何も言えず、それを見届けた夏生が静かに佳那に歩み寄ってくる。

「そういうわけです。いいですね、来栖さん。」

その言葉に、微かに頷くことしか出来ない。夏生は労わるような笑みを浮かべてから、耳元で囁くようにして、「後は僕がやります」とだけ言った。

「で、でも、それではあまりにも…」

何もかも押し付けてしまうことになる。そう思って言いかけた言葉を制して、夏生が静かに言った。

「世界が突然こんなことになって、僕は大勢の人と場所を見捨ててきた。自分達が生き延びるためには仕方ないと。そんな詭弁で、最も弱い人々を見捨てていたんだよ。…今なら分かる。僕らはここで、汚れ仕事を引き受ける、そういう大人の義務を果たすために生かされてきたんだと。その義務をきっちり果たさないといけないくらい、罪を重ねてきたんだよ。」

夏生の言葉に、佳那は絶句してから、俯いて泣きそうになる。こんなことをするために生かされてきた、必死で生き延びた、それではあまりにも不憫だ。何もそこまで思いつめなくてもいい、そういう思いを読み取ったのか、夏生が困ったような笑みを浮かべて続ける。

「もしかしたら、罪は無いかもしれないし、許されているのかもしれない。でも、許すより許される方が難しい場合もあるんだよ。だからこれは、僕の仕事なんだと思う。」

穏やかな、そしてどこか消え入りそうな笑顔と共に言い切って、小さな箱から注射器を取り出す。怪訝な目で見つめていると、その視線に気付いて夏生が言う。

「これ一本で、人間でもジキでも苦痛なく安らかに旅立てる。出発前に会長が僕に持たせたんだよ。こんなものが必要にならないのが一番だが、もしもの時はお願いしますって。何でも僕らに押し付けて、人使いが荒いよね。」

夏生はそう言って小さく笑う。言葉とは裏腹に、口調は穏やかだ。今なら佳那にも分かる。宗一郎も夏生も、ほんの少し前までの世界ではおよそ考えられなかったような重い決断をしている。だからこそ、大勢の人を動かし、血の重みで微動だにしそうもない世界を引っ張っていけるのだ。その覚悟の重さを分かったつもりになっていたけれど、でも本当には分かち合えていなかったと思う。この戦いが終わって無事に帰れたら、宗一郎に何と言おうか。

そんなことを考えているうちに、夏生は準備を終えたようだ。僅かな躊躇の後、無言で注射器を押し付ける。時が止まったような感覚の中、誰もが黙り込む中で、どこかスローモーションのように進んで行く。注射を打たれた二人は、少しずつ静かになり、気付けば動かなくなっていた。その顔は、穏やかだった。

「お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい。」

二人の瞼を閉じながら、夏生がそう言ってゆっくりと頭を下げる。佳那が続いて頭を下げると、他の学生達もそれに倣った。黙祷の後、他の学生達が持ち場に戻る中、佳那は夏生に歩み寄って言った。

「土屋さん。私はまだ弱いけど、いつかあなたのようになりたい。きっと、いつか、あなたのようになります。」

それは、宣言であり約束であると同時に、感謝や敬意を示す言葉でもあり、佳那の偽らざる本音だった。その言葉に夏生は驚いたような顔をしてから、嬉しそうに「ありがとう、そう言われるだけで救われるよ」と言って、照れくさそうに微笑む。それから、気恥ずかしさを誤魔化すように話題を転じた。

「そういえば、あの三人のことを話す途中だったね。」

その言葉を聞いて、あの高校生達のことが思い浮かぶ。嫌な予感がして、思わず叫ぶ。

「もしかして、何かあったんですか!?」

「落ち着いて、そんなに悪い話じゃないよ。…まあ、実際に見た方が早いか。付いてきて。」

そう言って歩き出しながら、夏生は話を続けた。

「来栖さんがあのジキ達を引き連れて出て行った直後に、あの高校生達が施設内に残ってたジキに襲われてね。三人のうちの一人、孝司君が噛まれたんだ。しかも、近くの衛生班で来栖さんの血のストックが切れてて、タイムリミットが来て。」

思わず息を飲む。だが夏生は、悪い話ではないと言った。一つの可能性は浮かぶが、自分の目で確認するまで安心することは出来ない。そうこうするうちに、管理棟の一画、救護室として使われている部屋に案内される。調子はどう、と夏生が声を掛けた。

「お疲れ様です、土屋さん、来栖さんも。悪く無いですよ。不思議な感覚ですけど。」

一見何の変わりも無い、けろっとした顔の孝司がそう答える。噛まれた場所を尋ねると、手のひらの端を示してみせる。そこには確かに傷跡があったけれど、常人よりも明らかに早い速度で傷が塞がっていた。自然治癒力の急速な向上、明らかなキメラの特徴だった。

ふと泣きたいような気持ちになる。あの辛い出来事の後に、こんな奇跡を聞くことが出来た。救われたような気持ちになると同時に、別のことも考える。もし順番が逆だったら、どうだったろうかと。この奇跡を見た後に、あの二人の死に向き合わなければならなかったとしたら。たぶん、今よりずっと辛い気持ちになっていただろう。

「来栖さん?」

黙り込んだ自分を見て、孝司が怪訝そうな顔をする。慌てて言葉を継いだ。

「無事で本当に良かったよ。私達の仲間にようこそ。」

そう言って精一杯の笑顔を浮かべてから、孝司の話に耳を傾ける。翔太の決断や、咄嗟の機転についての話を聞くうちに、自分の心が落ち着いていくのを感じた。しばらく話をして、一通りのことを聞いてから、改めて「これからよろしくね」と自分にも言い聞かせるように言ってから部屋を出る。

「来栖さん、無線機が復旧して、通信が回復しました。それからこれが、簡単ですが、被害状況です。」

顔見知りのキメラの一人がそう言って一枚紙を差し出してくる。軽症者が十名、キメラ化した者が八名、死者二名…。キメラ化した者と死者は、全て名前が記されている。例え無線機越しと言えど、この結果を伝えることは楽なことでは無かった。そして多分、そういうことをすることが、夏生のようになるための一歩なのだろう。

すぐ行きます、と言って無線機の元へ向かった。無線機にはまだ血痕が残っていて、戦いの跡が生々しい。当然ながら、仲間を失った二人の通信班員は、いずれも沈痛な面持ちだった。かける言葉が見つからず、ただ短く「お疲れ様です」とだけ言って、無線機の前に向かう。無線機の向こうから、随分懐かしい気がする声が聞こえてきた。


通信が回復したと報告が入ったのは、通信が途絶してから二時間ほど経った頃、窓の外でオレンジの光が失われ、夜の帳が下りてからしばらくのことだった。「技術的なトラブル」を理由に校内放送を延期してから随分経ち、学生達にも不安が広がっていたから、作戦が成功したらしいことは吉報ではあった。たが宗一郎はそんなことより、最大の信頼を寄せる相手の声が聞きたかった。

「お疲れ様、そっちはどう?」

何でもない風を装った、しかし確かに動揺を隠しきれてはいない佳那の声。その声を聞いて、宗一郎は何かがあったことを直感する。自身の動揺を隠しきれているか不安になりながら、言葉を返す。

「そっちもお疲れ様。無事で良かった。何が起こったのかと心配したぞ。」

出来るだけいつも通りに、ただ純粋に無事を喜ぶようにそう答える。佳那にも言い出すタイミングがあるだろうと思ってのことだった。

「心配かけて悪かったね。作戦は成功したよ。発電所は本格的な稼働に向けて準備が進んでいて、24時間以内に送電を開始できるってさ。」

その報告に、通信室に詰めていた十数名の間で小さな歓声が上がる。だが、次に来るものに薄々気づいている宗一郎は、そう素直に喜ぶことも出来なかった。それでも、精一杯の言葉で佳那の報告に応える。

「それを聞いてほっとしたよ。本当によくやってくれた。これで俺達は冬を越せる。」

「うん、そうだね。…それで、ここからは、言いづらいことなんだけど。」

無線機の向こうからの声は、微かに震えているようにも感じる。俯き、涙をこらえながら話している姿が脳裏に浮かんだ。聞きたくはない、しかし聞かなければならない事実に、耳を澄ませる。

「軽傷者十名、キメラ化したのが八名…死者二名。」

死者二名、という言葉に、室内でも動揺が広がる。続いて名前が読み上げられて、無線機の前の面々が肩を落とした。薄々気づいていたのだろう、ショックは比較的小さかったようだが、それでも涙をこらえるような表情を浮かべている。

「了解だ。ともかく、今はゆっくり休んでくれ。」

そう言って通信を切り、部屋の中を見回す。犠牲者との面識が薄かった面々は勝利と成功の興奮の方が大きいようで、無線機の前の面々とは対照的だった。勝利と犠牲、光と影を象徴するような光景。

沈んだ顔の面々を見ながら、自分の決断の重さを改めて思い知らされる。自分がこんなことに向いているとは思わないし、いっそ逃げ出したいとも思う。けれど、今回犠牲となった二名の無念にかけても、責任を果たさなくてはならないのだろう。

自分達がこれからどうなるか分からないが、明るい道であれ暗い道であれ、今日という日は一つの分かれ目として忘れられないものになるだろう。前途の長さと五里霧中とも思える未来に眩みそうになりながらも、この結果を校内放送で伝えるためにゆっくりと立ち上がる。佳那や夏生は困難な仕事を果たし、それに応えるために出来るのは、自分自身の責務を果たすことだけだった。

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