運命と決断【上】
結構長くなってしまったので、また分割させて頂きます、すみません。
ジキの襲撃に遭ったのは、発電所の外れに配置されていた通信班だった。こちらで把握していたジキの分布から考えて、最も安全な場所に配置したはずが、こんなことになってしまった。
佳那が現場に直行すると、大学との通信用の大型の無線機が設置されたアウトドア用のテーブルセットの周りに数十のジキが群がり、テーブル上は鮮血に染まっている。襲われている学生はいなかったが、現場の状況からして、被害者がさっきの学生だけとは思えなかった。
「なんでっ…」
思わず呟いてから、すぐに気持ちを切り替えて状況を把握する。これだけの数のジキが一気に雪崩れ込んだら、学生達は大混乱になって、どれだけ犠牲が出るか分からないだろう。幸いここは出入り口から近い、何とかして外に誘導して追い払わなければならない。
「みんな、レコーダーは持ってる!?」
そう言って、あの悲鳴が収録されたレコーダーを取り出してみせると、佳那に付いてきた五人のうち二人が頷いた。
「レコーダーの音で誘導して外に連れ出す!数が多いから、取り囲んでいくよ。」
そう指示して、佳那自身もレコーダーのスイッチを入れる。その声に反応して、ジキ達がこちらに近づいてきた。間近で見て、ようやく正体に気付いた。彼らの格好はどう見ても施設の関係者ではなかったし、関係者が首から下げているICカードもない。恐らく、どこかから迷い込んだジキだろう。施設の関係者だったジキにばかり気を取られて、完全に失念していた存在だった。自分のミスだ、と思って唇を噛みながら、必死に冷静さを保ってジキの誘導を続ける。
「土屋さん、相手は施設に迷い込んだジキです。こちらで誘導して外に追い払いますが、何体か見失いました。注意して下さい。」
「了解、残ったジキはこちらで対処します。」
夏生の落ち着いた返答に微かに安堵してから、ジキの誘導を続ける。ジキはパワーもスタミナも凄いが、知能はほとんど無いし運動能力も低い。落ち着いて動けば、誘導するのはさほど困難ではなかった。
「このまま発電所から引き離して、適当なところでレコーダーと匂い玉を使って足止めする!もう少し頑張って!!」
誘導中のジキの群れを出入口から外に連れ出したところで、他のキメラにそう言って声を掛ける。何はともあれ、今はこのジキ達を追い払うのが最優先だった。
宗一郎の目の前では、臨時の通信員となったアマチュア無線同好会の会員達が慌ただしく駆け回っていた。部屋に詰めている自警団の隊員も、不安そうに顔を見合わせてる。無理もない、数分前に突然交信が途切れて、こちらの呼びかけにも応答が無いのだから。
「そっちはどうだ!?」
「こっちも異常ありません!!」
どうやら彼らは、こちらの無線機に異常がないか調べているようだった。こちらに異常が見つかれば、向こうの問題ではなくなる。そう考えてから、発電所で無線機の前に座っているのが彼らの仲間であるという当然の事実に気付いた。彼らは仲間の安否のためにも、必死で状況を確認しているのだ。
「会長、間もなく次のアナウンスの時間ですが…。」
放送室から来た学生が躊躇いがちにそう述べた。さっきから、校内放送で一時間に一回は状況を報告しているのだ。少し考えてから言った。
「技術的なトラブルの可能性もある。交信が途絶えてることはひとまず伏せる。」
そう言ってから、交信の途絶前に入ってきた情報を頭の中で整理して放送室に向かう。隠し事をしているという罪悪感を押し殺しながら、何とか全校放送を乗り切って、急いで通信室に戻った。
「通信は回復したか?」
開口一番そう言うが、全員肩をすくめるばかりだ。こちらの通信機には異常が見つからなかったようで、通信員達も項垂れている。
「一時的なトラブルの可能性もある。引き続き呼びかけを続けてくれ。」
自分でもほとんど信じていないようなことを口にしながら、宗一郎はそっと胸ポケットをまさぐった。そこには確かに、小袋に入った円筒形のカプセルが入っている。カプセルの中身はシアン化カリウム…青酸カリだった。
「無事でいてくれよ…。」
誰にも聞こえないような小声で呟いてから、小袋から指を離す。カプセルは水島先生に頼んで作ってもらったもので、作戦の結果次第では、このカプセルが宗一郎が口にする最後のものとなるはずだった。それは責任を取るためということもあったが、それより何より、こんな世界で信頼を寄せられる相手を喪って、それでも生き続ける強さがあるとも思えなかったし、この作戦が失敗した後のプランBなど存在しないからということもあった。
ここで全てを投げ出すのは無責任だとは思う。そうは思うが、ほとんど唯一の希望と言えるこの作戦に失敗して、最も信頼していた人々も喪っては、これからどうしたら良いのか、本当に分からないのだ。失敗を断罪されて死ぬにせよ、燃料が無くなり学園が混乱する中で死ぬにせよ、いずれも悲惨な最後に違いない。それなら、自分で自分のことをどうにか出来るうちに終わらせた方が良い。死んだ後に逃げたと批判されても知ったことか…そういう気持ちもあった。
もし天国などという場所に行けて、そこで死んだ仲間に怒られるなら、それも悪くないだろう。最も自分が行くのは地獄かもしれないが、それでもこの世界よりはマシかもしれない。新たな情報が入らず、重苦しい空気に包まれた室内で、そんなことを考えながら肩をすくめた。
神崎翔太は、二人の幼馴染、三浦孝司と三浦里菜と共に管理棟周辺を巡回していた。このあたりのジキは既に掃討しているはずなのだが、さっきの襲撃で施設外から侵入したジキが他にもいるかもしれないということで、一応パトロールすることになったのだ。
「なんだか嬉しそうだね、ショウちゃん。」
突然、そう言って孝司に声を掛けられた。え、と言って立ち止まってから、少し考え込む。
「そりゃまあな…あいつもやっと、俺達のことを少しは認めたみたいだし。」
あいつとはもちろん、自分たちにパトロールを頼んだ夏生のことだ。もちろん、ジキを見つけても極力戦闘は回避すること、と言われてはいたが。
「ショウちゃん、あんなにあの人のこと嫌ってたのにね。分かりやすいなあ。」
「翔太は単純だから。何かあるとすぐ、コロッと気持ちが変わっちゃうんでしょ。」
口調は違うが、兄妹揃って言うことは酷い。ちっげーよ、と思わず声を荒げてから、自分の考えを整理しつつゆっくりと続ける。
「そういうんじゃなくて…あいつらのことを少しは信じてもいいかなって思っただけだよ。そりゃあ騙されたことは今でも許せないけど、あいつらが俺達との約束全部を破るようには見えないっていうか…。特にあいつはたぶん、いつも一番前にいて戦って、一番色んな傷も受けてる奴に見えるし…。」
つい歯切れが悪くなりつつ、自分の考えをたどたどしく口にする。今から考えると、夏生はモールでも、マンションでも、大学の中でも、遠征に出てからも、常に一番前の、一番辛い立場に立ち続けてきたと思う。それは翔太には、一定の敬意と信頼を寄せるべき点のように思えた。
「まあ、いいことだと思うよ。経緯はどうあれ、本当に約束を果たしてもらえるなら、俺たちにとっては恩人なわけだし。」
孝司がそんなことを言っているのを適当に聞き流していると、物陰で何かが動くのが見えた。その意味を理解するのと、孝司の叫び声が聞こえるのはほとんど同時だった。
「ショウちゃん、危ないっ!!」
その声と共に、強く腕を引かれた。突然の展開に一瞬呆然としていると、すぐ横でもみ合いが始まった。
「やめろ、このっ、離せ…」
地面の上で、孝司とジキが激しいつかみ合いをしている。事態を飲み込んだ瞬間、すぐに体が動いた。
「くたばれ、この野郎っ!!」
叫ぶと同時に、武器として渡されていた強化バットを思い切り振り下ろす。何度か滅多打ちにすると、相手のジキは微動だにしなくなった。
「大丈夫か、孝司?」
荒い息のままそう問うと、孝司が肩で息をしながら頷く。安堵してから、すぐに凍りつく。
「孝司、それ…」
見ると、孝司の手のひらの端が、明らかにかすり傷とは違う傷で出血していた。
「うそ、そんな…」
里菜の声も震えている。孝司が慌てて言った。
「そんな顔しないで、二人とも。ほんのかすり傷だし、万一感染してても、来栖さんの血を打てば大丈夫なんでしょ?」
その言葉に、特効薬の存在を思い出す。たまらずに叫んだ。
「里菜、急いで衛生班の奴らを呼んできてくれ!俺が手当てする!!」
「う、うん!!」
答えて里菜が走り出し、翔太は孝司を近くのバラック沿いに立たせる。ジキのウイルスは血液感染で広がるため、噛まれた後に激しい運動をすると発症までの時間が短くなる、そんな噂があった。その噂の真偽は不明だったが、病人を動かさない方が良いのはどんな病気でも同じだろう。じりじりしながら待っていると、ようやく里菜の姿が見えた。
「翔太、大変!!手近な衛生班の血液のストックが切れてて…」
駆け戻ってきた里菜が焦りも露わに言う。
「他の班は?ストックは10人分はあるはずだぞ!!」
「それが、さっきの襲撃の混乱で場所が分からないって。」
「クソッ、何とか探し出して…」
二人で言い争っていると、妙に落ち着いた孝司の声が聞こえた。
「もういいよ、二人とも。…時間切れだ。」
その声に一瞬凍りついてから、弱々しい笑みを浮かべている孝司の顔と、手元の時計を見比べた。ジキに噛まれてから発症までの時間は個人差があるが、キメラの血という特効薬は概ね30分以内に投与しないと効果が無いというのは実証済みだった。既に噛まれてから20分近くが経っていて、いまから10分以内に衛生班を見つけて戻ってきて薬を打つのは、事実上不可能だった。
「そんな…」
翔太の横で里菜が息を呑むのが聞こえた。翔太自身も、まだ事態がはっきり飲み込めない。手遅れなんて、何言ってるんだ、それじゃあ…。
「世界がこんなになってから、いつかこんな日が来ると覚悟してたよ。…本当のことを言うと、二人より早くて良かったよ。俺には二人を見送るのは荷が重すぎるから。」
淡々とした声でそんなことを言っている孝司の声が、まったく頭に入ってこない。何もかも現実だと思えなかった。
「ショウちゃん、今日までありがとう、ずっと友達でいてくれて。世界がまだ壊れる前から、それに壊れてからだって、一緒にいて楽しかったよ。里菜、頼りないお兄ちゃんでごめんね…」
ああ、こいつはいま、人生で最期の言葉を、遺言を口にしているんだ。頭の片隅ではそう理解できても、意識は相変わらずぼんやりしたままだ。
「二人とも、本当にありがとう、それからごめん。…ショウちゃん、最期のお願いだ。俺がまだ俺でいるうちに、俺の人生を終わらせて。」
そう言って、孝司は翔太の手にしているバットに視線をやる。まだぼんやりしたまま、そのバットを持ち上げた。隣からは、里菜の嗚咽が聞こえる。その瞬間、ようやく意識がハッキリして、すべての現実を受け入れる。
「バカやろう、勝手なことばかり言うなよ!!なに一人で諦めて、一人で決めて、分かったようなこと…」
そう叫ぶと、さっきまで落ち着いていた孝司もそれに応えるように叫んだ。
「そりゃあ、俺だって怖いよ!!だけど、今更叫んだって喚いたって、どうにもならないだろ!!なにより俺は、ジキになってショウちゃんや里菜のことを襲いたくない!!」
ようやく孝司の本音が聞けたことを心のどこかで安堵しながら、ようやく覚醒した意識で答える。
「だから、そうやって決めつけんな!!俺は最後まで諦めない、少なくともお前が人間でいるうちは、絶対に!!」
そう叫んでから、必死に頭を働かせる。何か、何かまだ、出来ることがあるはずだ。ふと、視界の端に消防用のホースが見えた。
「あれだ!!」
叫ぶと同時に駆け寄って、ホースを引っ張ってくる。
「ちょっと、ショウちゃん!?」
気が違ったと思ったのか、孝司の方が心配そうな顔をしている。だが翔太は至って正気だった。ホースで孝司の体をぐるぐる巻きにしながら、困惑顔の二人に向かって叫ぶ。
「キメラ全員が血を打ったわけじゃない!少なくとも何人かは、噛まれたまま何もしないでキメラになったんだ。お前がそうならないって、どうして言い切れるんだよ!!」
「ショウちゃん、それは…」
それはあまりにも希望的観測だ、孝司の顔がそう言っている。それは確かに事実で、噛まれた人間が何も処置を受けずにキメラ化する確率は、数十人に一人だった。
「黙ってろ、万一の時のためにお前をホースで縛るんだ!!それなら文句ないだろ!!」
大柄な孝司がジキ化したら、消防ホースで本当に抑えておけるのか。そんなことは里菜も、そしてさっきまであんなに騒いでいた孝司も、一言も触れなかった。
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