ザ・トリックスター【上】
大変ご無沙汰しております。ちょっと都合により更新が滞っておりました。
次の話はもう少し短い間隔で更新出来る予定…。
ところで、最近「アルスラーン戦記」を観ているのですが、昔っからの田中芳樹ファンとしては、まさか再びダリューンとかナルサスとかギーヴとかいう名前が世間を賑わすとは思ってもみませんでした。世の中、何が起こるか分かりませんね。
「役立ってもらうって…どういう意味だ?」
意を決して言った言葉を聞いて、康一は当然の疑問を示した。夏生は、これから話すことが目の前の平凡だが心優しい幼馴染に軽蔑されるだろうと覚悟しながら、躊躇いがちに口を開いた。
「僕達は、単に偵察をして帰ればいいわけじゃない。大学から発電所までの、安全なルートを確保しなきゃならない。そのためにだよ。」
「だけど、ルートなら一応見つかったじゃねえか。俺達が使った路地を使えば…」
「あの道のことを思い出して、コウちゃん。」康一の言葉を遮ってそう言ってから、ゆっくりと、噛みしめるように言う。「あの道は、僕ら二人だから何とかなったんだよ。人数も少ないし、二人ともキメラだから、いざって時に逃げ易い。あの狭い路地を普通の人間も含む百人以上の集団で移動して、襲われたらどうなると思う?」
「大きな損害が、出るだろうな。」
渋々といった様子でそう言った康一の言葉に頷いて、淡々と、あくまで論理的に言う。
「僕達はあの発電所で、自分達の三倍以上のジキと戦わなきゃならない。どこからどう見ても、楽な戦いじゃないよ。だからこそ僕達は、最後の一人まで発電所に無傷で連れて行って一緒に戦う必要があるんだよ。そのためには、もっとしっかりしたルートを確保しなくちゃならない。あの中央の大通りを安全地帯にすべきなんだ。」
言葉にするほどに確信が深まる。遠くの商業施設の白い壁と隣の幼馴染の顔を見比べながら、感情を抑えて続けた。
「だから、どんな方法を使っても、あの中央の大通りにジキがいない状態を作らなくちゃいけない。そう、どんな方法を使っても。」
自分に言い聞かせるようにそう言う。康一は少し黙って考え込んでいたが、やがて何でもないような口調で「どうやるんだ。」とだけ尋ねた。たぶん、これから自分が口にすることの内容に薄々感づいているのだろう。それでも、表情も変えずにそう言ってくれた。それを承諾と受け取り、内心で感謝しながら口を開く。
「あの建物から大通りを挟んで反対側にマンションがあるよね。あのマンションに、生き残りの人達の一部に移ってもらう。それから、マンションの入口を封鎖した上で、大きな音を立ててジキを引き付けてもらうんだ。」
その説明に、康一は無言で頷いた。最悪の想像よりマシとでも思ったのか、心なしか穏やかな顔つきをしている。一体どんな想像をしていたんだろうと思っていたら、康一が言った。
「話は分かった。だけど、何て言って移ってもらう?安全な場所から移動するんだ、ただじゃ無理だろう。それに、仮に同意して貰えても、ジキに包囲された建物からどうやって安全に連れ出すんだ。そもそも、俺達自身、どうやってあそこに辿り着く?あてはあるのか。」
「一応ね。あのモールには昔、一度だけ行ったことがあるんだけど、その時にちょっとしたボヤ騒ぎがあったんだ。それで、地下の運搬用通路を通って裏口から外に出たんだけど、その裏口は人目に付きにくい場所だったし、何とかなると思う。」
そこまで説明し終わると、康一は考え込むように腕組みしてから、実務的な口調で言った。
「そういうことなら、あのモールへの道はいいとして、あそこを出てからマンションまでの安全なルートを確保する必要があるな。もちろん、マンション自体の安全確保も必要だ。マンションがあいつらの巣になってなきゃいいんだが…。」
その考えには全く同感だったので大きく頷いてから、手短にこれからの計画を詰める。まだ日が高い時間だったので、まずはマンションに向かうことにする。とは言え、大通りのマンション側はモール側と違ってジキを引き寄せるものがないので、至る所でジキが彷徨っている。キメラ二人ならまだ何とでもなるが、一定の人数を移動させるとなると、困難極まりない状況だった。それでも、ともかくマンションにたどり着いた。
「ジキの巣になってなきゃいいんだが。」
周囲の家並みより一回り大きい五階建てのマンションの壁を見上げながら、康一が憂鬱そうな口調で呟く。内心で頷きながら玄関の方に歩み寄ると、ちょっとしたバリケードを築くかのように家具やら家電製品やらが並べられ、ロープとガムテープで固定されていた。バリケード自体が破壊された形跡はなかったが、ロビーの奥からは明らかにジキと思しき唸り声が聞こえて来ていた。
「ここも、連れ込んじまったんだなあ。」
諦観混じりのため息をつきながら、康一がそう呟いたのが聞こえた。夏生も無言で頷いて肩をすくめる。ここでは、この疾病の発生から大流行の間を通して至る所で見られた悲劇の一つが起こっていたのだ。つまり、ジキに噛まれた感染者を、家族や隣人が安全な建物の中に入れてしまった。その結末は考えるまでもない。
こういう事態が頻発してしまった理由は色々考えられる。指数関数的な感染拡大で社会システムが大混乱に陥る中、政府や自衛隊すら実態把握に手間取り、市民に正しい情報提供が行えなかったこと。十分な情報提供がなされない中、ソーシャルメディアなどを通して真偽不明の噂話が大量に飛び交ったこと。感染拡大の初期、これは新種の病気であり、感染者は保護して治療すべきと考えられたこと。他にも様々な要因が挙げられるが、最も大きいのは、人間は自分の見たいものだけ見ようとするということだろう。
噛まれたのが自分にとって大切な相手であったら、あるいは自分自身であったら。客観的で合理的な判断など銀河系の彼方に消え去り、主観的でご都合主義な考え方で頭が一杯になってしまうのも、無理からぬことではあるだろう。偉そうに分析している自分にとってだって、別に他人事ではないのだ。いま隣にいる自分の大切な幼なじみが噛まれた時、噛まれてもジキ化しない症例があると聞いて、それに縋って彼にも自分自身にも気休めを言ったのだ。結果的に間違いではなかったが、それは奇跡のような確率であり、買ってもいない宝クジが当たったようなものだった。研究者の端くれである自分からしてこの有様なのだから、一般市民の対応が適切でなかったからといって非難することは出来なかった。ただ結果として、大半の人々は賭けに敗れ、生ける死者の仲間入りをしてしまったということだけが確かな事実だ。
最も、と思い直す。彼らは結局、賭けに勝ったのかもしれない。彼らのうち一体何割が、家族や友人がジキと化し、社会システムが崩壊した世界で生きたいと願っただろう。彼らは、いや自分達は、大切なものを失っただけではない。それと同じか、それ以上に絶望的なのは、失ったものを取り戻せる見込みがほとんど立たないことだ。それどころか、あらゆる生産活動が停止している以上、日々刻々と物資は欠乏し、生活は困窮する。そんな世界で生きたいだろうか?ただ肉体を生かすためだけの人生に意味があるのだろうか?
「どうした、夏生。こんなところで一人で考え事か?アルキメデスの真似事をするにしても、タイミングが悪すぎると思うぞ。」
第二次ポエニ戦争の最中にローマ兵に殺された科学者の名前を持ち出されて、思わず苦笑しながら、ひとまず意識を目の前の状況に戻す。このマンションが中から喰われたことは、ほとんど疑う余地がない。当時この建物にどれだけの人間がいたかは不明だが、建物の規模からいって20人は下らないだろう。恐らくは各階に分散しているとはいえ、それだけの数の相手をするのは気が重い現実だった。それでも、やらなければならない。
「ごめんごめん、ちょっとね。じゃあ、一階から順番にやろうか。暗くなる前に片付けたいからね。」
まるでちょっとした野外作業をする時のような軽い口調でそう言ってから、バリケードに手をかけた。
ロビーにいるジキを、まず始末する。次に階段付近のジキ。幸い、このマンション内のジキは分散していたので、特に修羅場に陥ることはなかった。階段と廊下を確保したら、次は各部屋を巡って行く。予想通り、生存者は一人も見当たらず、どの部屋も無人かジキの影だけだった。
二時間ほどかけて、全ての部屋を回って行った。一部屋一部屋、一階一階ジキを始末するのは、ほとんど単調な作業のようだった。それがまた、憂鬱さを一層募らせる。
それでも、何とか全部屋を巡ってジキを処理し、安全を確保する。最後は五階の一際大きな部屋を片付けたところで終わった。
ひとまずの難関を超えたという安堵とともにベランダの手すりからぼんやりと外を眺める。最上階の5階だし、高い建物が少ないこの街では、かなり遠くまでが見渡せる。遠くにショッピングモールとそこに群がるジキが見えて、通りのあちこちにもふらふらと彷徨い歩くジキの姿が見える。けれど、しばらくして気付いたのは、圧倒的な静寂だった。何しろあらゆる機械の音も、音楽も、会話もない。ただ微かにジキの唸り声があるだけだ。
そんな、この世の終わり、いや、人類の文明の終わりを感じさせるような光景の中で、ふとさっきの疑問が頭をもたげる。一瞬躊躇ってから、何か使えるものがないか、RPGの主人公よろしく家捜しに余念がない幼馴染に言葉をぶつけた。
「ねえコウちゃん、僕らはなんで生きてるんだろうね。」
突然そんなことを言われて、康一は特に驚いた顔は見せず、ただ微かに面倒臭そうな表情を浮かべてから、それでも真摯な口調で答えた。
「いきなりどうした。突然、神の啓示か何かに目覚めたか?」
「別にそういうんじゃないけど。ちょっとね…」
さっきの経緯を説明する気力がなくて、そう言ってお茶を濁すと、康一は特に気を悪くした様子もなく言った。
「まあ、気持ちは分かるけどな。いつもは出来るだけ考えないようにしてるけど、考え出したら、正直言って上手く答えられないよ。ただ…」
そう言って、考え込む素振りを見せながら、言葉を選ぶようにして続ける。
「ただ俺は、まだ可能性が完全にゼロじゃないって思ってる。こんなことになって、また一ヶ月だぜ?警察や自衛隊、それに在日米軍とかが全滅ってことはないだろ。日本中でジキを制圧するのは難しいにしても、どこかに安全地帯を作るとかは出来るだろうしさ。まあ、あの学校だってその一つなんだろうけど。」
康一の言葉は、筋が通っていてまともだったけれど、それゆえに陳腐で心に響かなかった。真摯に答えてくれた彼に悪いと思いつつも、納得できずに言葉を重ねる。
「確かにコウちゃんの言う通り、僕達は生きていくだけなら何とかなるのかもしれない。でも僕は、こんな世の中で生きるためだけに生きるのに意味があるか、たまに分からなくなるんだよ。」
夏生がそう言うと、康一は心底面倒臭そうな顔をしてから、やれやれという顔で言った。
「じゃあ、こういうのはどうだ?俺は死ぬまでに一度、松坂牛を腹一杯食べてみたかったんだよ。貧乏暮しで、まだ実現してないんだけどな。だから、それまでは死ねないね。」
「ごめん、ちょっと意味が分からない。」
幼馴染の突拍子もない発言に、しばし呆然としてからそう言うと、康一はため息を吐いてから言った。
「お前、そんなこと絶対に適うわけないって思ってるだろ。でも、そんなこと分からないだろうが。未来のことなんて誰に分かる?今の状況だって、二ヶ月前には誰も予想してなかった。先のことなんて誰にも分からない。だから生きてれば、悪いことだけじゃなくて、とびきり良いこともあるかもしれない。そうやって幸せな未来を願って日々を生き抜く気持ち、それを希望って呼ぶんじゃないか?」
普段それほど饒舌ではない、そして熱血というタイプでもないこの幼馴染の口から出た言葉に、思わず圧倒される。そうだ、未来は分からない。それは、ジキが現れる前の、壊れる前の世界でもそうだった。それでもみんな、明日を信じて懸命に生きていた。こんな世界だからって、全てを諦める必要は無いのだ。例え、可能性は低くとも、それでも希望はあるのだから。
「ごめん、コウちゃん。どうかしてたよ。それから、ありがとう。」
「おう。まあ、あまり悩みすぎるなよ。俺だって、いつ落ち込むか分かんないけどな。」
そう言ってから、康一はひらひらと手を振って家捜しに戻っていった。空は既に赤らみ始めている。モールに向かうのは明日になりそうだった。
その日は結局、康一と二人で缶詰とレトルト食品のささやかな夕餉を囲むことになった。元々、探索が長引くことも見越して、二日分の水と食料は持ってきている。加えて、康一が見つけたビールとつまみでほろ酔い気分になって、少し高揚した気分で床に就いた。
翌朝、日の出と共に起き出し、乾パンを数枚口にして腹を満たしてから、マンションのドアを開けた。二人の匂いを嗅ぎつけたのか、周囲のジキは少し増えているが、問題となるような数ではない。二人が留守の間にマンションに侵入されないよう、バリケードをしっかり元に戻してから外に出る。マンション周辺のジキを片付けてから、モールへの一歩を踏み出した。歩きだしてすぐ、康一がぼやくように言った。
「しかし、どうやって中の奴らを説得するかね。良いアイデアあるか?」
「そうだね、思いっきり悪辣にやるよ。生きてれば希望があるらしいからね、生き残るためには何でもしないとね。」
ちょっと意地悪くそう言うと、康一は嫌そうな顔をしてから、肩をすくめて言った。
「生きるために手を汚して、生存者にも恨まれて。俺達、間違いなく地獄行きだな。ジキの方が天国に行けるかもな。」
あんまりな言い草に思わず吹き出してから、頷いて答える。
「そうだね。本当に、損な役回りだよ。でも、生きてるからには、死後のことより今を考えなくちゃね。」
そう言い終えた時、通りの角からジキが現れた。康一に会釈して、武器をぐっと握る。次の瞬間、同時に駆け出した。
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