ザ・トリックスター【中】
相変わらず更新が遅くて申し訳ないです。
おまけに中途半端なところで終わってしまって…。
次こそもうちょっと短い間隔で更新したい。
マンションからモールまでの道のりは、昨日いくばくか打ち倒したこともあってか、ジキの数は少なめだった。出来る限り多くのジキを始末しながら、要所要所にちょっとしたバリケードを築いたり匂い玉を置いたりして、モールからマンションまでのルートの安全を確保しつつ歩み進む。
モールに近づくにつれて、ジキの密度は明らかに高まっていく。通りの角からモールの正門を伺うと、目に入る一画だけで数十を数えた。
「予想以上だな。しかし、もしこいつらがここに群れずに街中を彷徨ってたらと思うと、それはそれでゾッとするな。」
康一の囁きに小さく頷きながら、首を伸ばして可能な限り詳細な状況を確認する。ジキはモールのシャッターで閉じられた出入口付近に密集し、離れたところを彷徨うものはかなり少ないようだ。どうやって出入口を判別しているのか不明だが、これはチャンスかもしれない。身振りで付いてくるよう伝えてから、記憶を頼りに運搬用通路へ向かう。
「こっちはガラガラか。正解だったみたいだな。」
康一の言葉通り、運搬用通路の方にはジキがほとんど見えなかった。しかし、なぜジキは出入口付近にばかり集まったのだろう。もしかしてジキには、生前の記憶がある程度残っているのだろうか。もしそうなら、これは何かに利用出来るかもしれないな…と考えかけてから、もはやジキをモンスターか害虫のようにしか捉えていない自分の思考回路に気付いて、一瞬だけ苦々しい気持ちになった。それでも、目の前のことに意識を戻して、通路を慎重に進んだ。
運搬用通路は地下駐車場へと繋がっていて、奥に行けば行くほど暗くなりそうだった。通路の入り口付近はまだ日光が届くが、駐車場はほとんど真っ暗で、おまけに大小の車のせいで視界が遮られている。少し躊躇っていると、袖を掴まれた。
「懐中電灯、使うか?」
そう言って康一が差し出してきたのは、確かに円筒形の懐中電灯だった。こんなもの荷物にあったっけと訝しんでいると、真っ暗で見えないはずの夏生の表情を読み取ったかのように、康一は笑い声で囁いた。
「さっきの家の台所にあったのを拝借してきた。運搬用通路なら、真っ暗かもしれないと思ってな。」
「うっかりしてたよ。ありがとう、コウちゃん。」
発案者の自分が気付くべき点を失念していたことを恥じながら、懐中電灯を受け取る。これだけ真っ暗な中で灯りをつけるのは、言うまでもなく難しい判断だった。真っ暗ではまともに目的地まで辿り着けないし、物陰に身動きしないジキがいたら大変なことになる。だが、灯りをつければ、こちらの位置を知らせることにもなる。ジキの認知能力は不明な点が多かったけれど、真っ暗な中で指向性のライトをつければ、間違いなく寄ってくるだろう。僅かな逡巡の末、決断した。
「灯りをつけてみて、もしジキが大勢いたら逃げよう。その後のことは、また考える。それでいい?」
康一が辛うじて聞き取れるような声で「分かった」と囁き、深呼吸してから、震える手でライトのボタンを押し込む。闇を切り裂くような白い光の糸が駐車場の一画を照らす。見た所、ジキの姿は見当たらなかったが、やがて唸り声とともに足音が近付いて来た。
「一、二…三体か。左の二体は任せろ。」
いつの間にかバットを構えていた康一が何の気負いもなくそう言い、短く「任せた」と言って同時に駆け出す。役割分担通り右手の一体を始末して振り向くと、康一は既に戦いを終えていた。
「お疲れ。もうここにはいないか?」
康一に問われるままに、懐中電灯をあちこちに向けるが、ジキの姿は無かった。安心して一息ついてから、改めて周囲を見回す。駐車場から建物の中に入るためのドアは、当たり前だがしっかりと施錠されている。どうしようかと考え込む間も無く、康一が手を伸ばして、鍵穴に鍵を差して回した。
「さっきの奴がさ、それっぽい格好だからポケットを探ったら、これがあってな。」
開いたドアを見ながら、酷く疲れた気分で短く礼を言う。幸運なはずなのに、気が重かった。それでも気を取り直して、ドアの中に進んだ。中からも施錠出来たので、ドアにしっかりと鍵をかけ直してから周囲を見回す。建物内も当然真っ暗で、しんとしていた。すぐ目の前に階段が見える。
「本当に誰かいるか、心配になってくるな。」
ぼやくような康一の言葉に首肯しつつ階段を上ると、階段の出口にバリケードが築かれていた。どうしようか、と言おうとした時、足音が聞こえて声を潜めた。足音は少しずつ近付いて来て、ついで話し声も聞こえた。
「ったく、たまんねえよなあ、下から物音が聞こえたから見てこいとか。元警官だか何だか知らんけど、偉そうにしやがって。」
「まあまあ、そう言うなよ。ほら、さっさと見て、上に戻ろうぜ。」
その言葉と共に、足音はバリケードの前で止まった。思わず身を翻して物陰に隠れると、バリケードに懐中電灯の光が当たるのが見えた。数秒間だけその状態が続いた後、また話し声が聞こえた。
「よし、異常なしと。さっさと戻ろうぜ。」
「おい、いいのか?下まで行ってドアの点検をしろって言われただろ。」
「どうせ何もねえよ。あいつの心配性に付き合って、何回バリケードを崩して作り直した?ともかく、俺はもう帰るからな、やりたいならお前一人でやれ。」
そう言って足音の一つが立ち去ると、もう一つの足音も慌ててその後を追った。もしここにいるのが本物のジキだったら、どうなったことだろう。この残酷な世界で、しかも周囲をジキに囲まれた状態でこのいい加減さとは、ここのモラルはかなり低下しているのかもしれない。
「どうも、ここは大学と比べても色々問題がありそうだね。少し状況を把握してから話をしたいから、しばらくは僕達の存在を明かさないで様子を見たいと思うんだけど、どうかな。」
「まあ、その方がいいだろうな。下手すると攻撃されかねないしな。」
康一の返答に無言で頷いてから、バリケードの一部を崩してなんとか通れるだけのスペースを確保し、階段の向こうにすり抜ける。バリケードを元に戻してから、階段と繋がった通路に出た。ここは一回なので、窓という窓のシャッターが下ろされていて、ほとんど日光が入って来ない。それでも、窓の隙間や上のフロアから微かな光が漏れていて、目が慣れてくれば何とかぼんやりと周囲の光景が見えるようになってきた。
「どの店も空っぽだな。」
「ここは一階だからね、最悪の事態に備えて、いつでも放棄できるように物資も運び出したんじゃないかな。」
「なるほど。じゃあ、上の階にだけ人が住んでるってことか。」
たぶんね、と答えてから、足を止めた。さっきの階段から建物を半周したところで、別の階段が見えた。この階段もバリケードで封鎖されている。
「一階には誰もいないみたいだね。上に行ってみようか。」
「だな。ともかく、この建物に誰かいるのは確実なんだし。」
そう答えた康一と共に目の前のバリケードの一画を崩し、二階に登る。二階にも、人の気配は無かった。
「さっき地図を見たけど、ここは三階建てらしいね。みんな三階に集まってるのかな?」
「少しでもジキから離れたいのかね。」
苦笑まじりにそう言った康一の言葉にそうかもね、と答えてから、ともかく三階に上がる。三階の入口は、これまでの階よりずっと厳重に封鎖されていた。おまけに、バリケードの向こうには人の気配がある。これでは、気付かれずに通り抜けるのは不可能だった。どうしようかと思案していると、康一が腕を引いた。今日何度目かな、と思いながら素直についていくと、人気のない二階に戻ってから康一が囁くような声で言った。
「要は、中の様子がある程度分かればいいんだろ?ちょっと付き合ってくれ。」
そう言って、手近な飲食店の一つに入り、迷わず厨房に進んだ。壁を走る配管の幾つかに耳を近づけ、その一つに夏生を手招きした。半信半疑の気持ちで配管に耳を当てると、空気の向こうから確かに声が聞こえた。どうやら、何か言い争いしているらしい。
「ともかく、これからどうしたらいいのよ!警察も自衛隊も助けに来なくて最近はラジオも鳴らない、周りはあいつらだらけ、水も食べ物も減る一方じゃない。いつまでこうしてればいいの!!」
そのヒステリックな叫びに同調するような声が聞こえた後、年輩の迫力ある女性の声が落ち着いた声音で言う。
「まず落ち着きなさい。確かに状況が厳しいのは事実よ。でも、私たちには今のところ、あと数ヶ月は過ごせるだけの水と食料がある。あいつらが今後、どういう動きを見せるか誰にも分からない。でも、いつか必ず、好機が来る。それまで耐え忍ぶことが一番よ。」
「好機?好機なんて、一体いつ、どうやって来るの?正義のヒーローが来るとでも思ってるの?ここに篭って一月、変化と言えば、あの忌々しい奴らが増えるだけじゃない!」
ヒステリックなその叫びは、建設的な方向性の何もない、単なる感情の発露だった。だが、だからこそ幅広い支持を得たようで、「そうだ」とか「何とかしろ」という声がそれに続く。配管越しにも伝わる一触即発の空気に思わず息を呑むと、取りなすような声が響いた。
「まあまあ、ともかくお互い落ち着いて。気持ちは分かりますが、冷静に話し合いましょう。我々がいがみ合っても、なんにもならない。」
穏和なその声に、ヒステリックな声は少しトーンを下げて、なおも未練がましそうな声で「ともかく、何とかしてちょうだい」とだけ言った。それきり声は聞こえなくなったが、場所を移して口論を続けているとも思えないので、ひとまず落ち着いたのだろう。配管から離れ、飲食店の椅子に腰掛けながら、康一が小声で呟いた。
「どうも、あんまり上手く行ってねえみたいだな、ここも。」
その声の響きには、明らかな諦観の調べがあった。二人とも、大学に辿り着くまでに、幾つもの避難所を見てきた。苦く悲しく辛い記憶に表情を歪ませる康一を横目に、夏生は感情を消した声で言う。
「でも、それが今回は僕達のチャンスになるよ。」
その言葉に短いため息で返してから、康一は「そうかもな」とだけ言った。たぶんここからは、自分の仕事だろう。さっきの会話から得られた情報をもとに、頭をフル回転させて状況を整理し、作戦を立てていく。
さっきの会話の様子からして、この建物には少なくとも二、三十人の避難民がいるようだ。ジキを引きつけるのにどれくらいの人数が必要か不明だが、最低十人と思っていたので、集団を分割するための最低限の人数は確保できたと考えて良さそうだ。
彼らを誘惑し、こちらの話に乗せる余地はあるだろうか?十分あるように思える。彼らは先の見えない避難生活のストレス、ジキに対する恐怖、物資の欠乏への不安などから精神的に追い詰められ、どんな希望でもいいから掴みたがっているように見える。
だとすると、最大の難問は、いかに自分達を信用させるかになるだろう。いかに希望が提示されても、それが疑わしければ人を動かすことは難しい。私服で現れた二人組の青年を、そう簡単に信じてくれるものだろうか?
それから、ふと思い立って、怪訝な顔の康一と共にフロアをあちこち歩き回る。あった!
「リサイクルショップ…?」
わけが分からないという声でそう呟いた康一を無視して、夏生は黙々と店内を漁る。
「やった、有った!」
思わず少し大きな声を出してから、慌てて口を噤む。幸い上階からは特に反応は無かった。
「おいおい、軍隊ごっこでもするつもりか?」
呆れたような康一に、夏生は手に持った迷彩服を手渡して、自信たっぷりに言う。
「当たらずとも遠からず、かな。僕らはこの事態を受けて結成された、全国規模の自警団の一員になるんだよ。本格的な奪還作戦の前に、斥候として派遣されたのさ。」
「自警団?警察や自衛隊じゃないのか。」
「ここは海北道だからね、元隊員や関係者が他の地域より多いし、もし避難民の中にそういう人がいたら一発でバレるよ。まるっきりウソより、事実が少し混じってるウソの方が、ずっと上手くつけるんじゃないかな。」
その言葉に康一は一応納得したようだが、まだ少し懸念が残っているようだった。
「しかし、単なる自警団の言葉に耳を傾けてくれるかね。かなり気が立ってるみたいだし。」
「まあ、そこのところは僕が上手くやるよ。いいから着替えて着替えて。」
そう言って半ば無理やり着替えさせ、自分でも着替える。サイズの違う迷彩服が何着もあって良かった。慣れない肌触りのその服を何とか着こなして振り向くと、すっかり雰囲気が変わった康一が立っていた。
「コウちゃん、似合うねえ。」
「冷やかすなよ。」
本人は嫌そうな口調でそう言ったが、空手で鍛えたがっしりした体格のおかげで、康一は迷彩服が実際よく似合っていた。本職と言われても、思わず信じてしまいそうだ。その点、自分はお世辞にもがっちりしているとは言えないので不安だったが、こういう服を着るとそれなりにそれらしく見えるから不思議だ。
店にはミリタリー用っぽい外見のリュックも有ったので、折角なので荷物を詰め替え、ついでにヘルメットとブーツ、無線機まで装備する。何とかそれなりに見た目だけは整ったかな、と満足してから、今後の段取りについて大まかに説明する。と言っても、ある程度は予定を決めても、最後は行き当たりばったりにならざるを得ないが。
「さて、行こうか、コウちゃん。」
「了解しました、小隊長どの。」
そう言って敬礼の真似事をした友人に「よし、ついてこい」と笑いながら言ってから、一歩を踏み出す。階段に着くと、打ち合わせ通り康一が大声を張り上げる。
「こちら、道南方面第七班。現在、目標建物を捜索中。現時点で生存者ゼロ。引き続き探索を続けます。どうぞ。」
もちろん、無線の向こうに誰もいないので、返事など無い。だが、康一の声は響き渡った。その声に反応するように、三階がざわつくのが分かった。
「誰かそこにいるのか!」
階上からそんな陳腐な言葉が降ってきた。思わず顔を見合わせてニヤリとする。上手くいった。
「生存者の方ですか!」
わざとらしく叫びながら階段を駆け上がる。バリケードの向こうから、さっきよりずっとはっきりした声が聞こえた。
「そうだ。あんたたち、救出に来てくれたのか!?」
「ともかく、ここを開けてくれませんか。」
期待に満ちた声に、はっきりとは答えず、ただこちらの要求を伝える。すぐに「分かった」という返答が届き、バリケードが少しずつ崩される。そうこうしているうちに、人が集まってきたようだ。
「これで通れるだろう、来てくれ。」
その言葉に従って、バリケードの隙間を通って三階の中に入る。隙間を通り抜けて周囲を見回すと、老若男女様々な顔が、一様な不安と期待の混じった表情を浮かべていた。
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