幕間劇
二人組の「偵察隊」が旅立った後、宗一郎は余韻に浸る間もなく、急ぎ足で学園に戻った。実際、彼の仕事は、これからの方が多いのだ。二人組が安全な道を確保し、情報を持ち帰ってくれると信じて、その後の作戦のための準備を整えなければならない。
発電所のジキがどれほどの数か分からないが、十や二十ではないだろう。発電所の広さや市街地からそれほど離れていないことを考えれば、数百か、もしくは千以上を覚悟しないといけないだろう。それだけのジキを排除し、長期的に発電所の安全を確保するための人員や設備を確保しなければならない。言うまでもなく、これは簡単なことではなかった。
何しろ、この学園の一万人を超す生徒や教職員のうち、曲がりなりにも期待できるのは、来栖の下にいるキメラ部隊の五十名余りと、警備に参加してくれている学生の一部だけなのだ。警備隊の中には体力が無い生徒も多い(宗一郎自身がその典型だ)し、まともな戦力としてカウント出来るのは、精々五百名程度だった。この人数では学園の警備さえカツカツで、とても遠征部隊など組織出来なかった。
ともかく、頭数を揃えないことにはどうにもならない。そういうわけで、あちこちの運動部を回って何とか協力者を募り、これまで後方支援担当だった生徒の一部に前線に回ってもらうなど、手を尽くして人手を集めていた。ともかく、キメラ部隊は可能な限り多く遠征に出したい。その上で、警備隊の一部も遠征部隊に組み込み、何とか百人程度の部隊を編成する目処が立ちつつあった。
人手を募る時、遠征が決まったことが思わぬ効果をもたらした。来栖にはキメラ部隊のリーダーとして当然参加してもらうつもりだったが、まだ一回生の彼女が危険な外に出るという事実そのものが、一切の危険から遠ざかっていることを何か恥ずべきことのように感じさせるようだった。全く、羞恥心とか男の沽券とか世間体と言うものほど人間に非合理的な選択をさせるものはないし、昔の戦争の時、世界中の政府の徴兵官達はまさに「みんな戦っているのに君は逃げるのか!」という理屈で若者を戦地に追い立てたのだろう。こういう理論で志願させることは、宗一郎の好みとは言い難かった。しかし、それが有効で、そのお陰で数百名の男子が志願し、遠征隊に加わりたいと手を挙げたものも十名以上に登ったのだから、その有効性を認めないわけにはいかなかった。
「俺も美人に生まれてたらよかったな。」仕事の合間、宗一郎は来栖に向かって皮肉交じりにそんなことを言ったものだった。「俺があんたの半分も可愛ければ、随分仕事が楽に進んだと思うんだが。」
この頃は彼女も、宗一郎のそういう物言いにすっかり慣れていたので、特に何ら感情を見せず、淡々と言い返してきた。
「そう思うんなら、せめて男を磨いて女子から支持されるようにすることだね。」そう言って、数日前に彼女がしたたかに打ち据えた宗一郎の腹筋をちらと眺めながら、少し冷たい声で言う。
「割れてない腹筋や薄い胸板、細い二の腕は誇れない時代になったんだよ。」
そう言われると、返す言葉が無かった。何か言おうとしたけれど良い言葉が浮かばず、彼女も口を開かなかったので、しばらくお互いに無言のまま過ごした。それから、さっきの言い方はあまり良くなかったように思えてきて、ぽつりと言った。
「さっきの話だが、別にあんたの頑張りを否定するつもりはないぞ。実際、あんたはこの学校で一番頑張ってると思うよ。色々押し付けて悪いと思ってるし、ちゃんとやってくれて感謝してる。」
「別にいいよ、そんなのは。必要なことだって分かってるから。協力するって言ったしね。」
気負わずそう返す彼女のさっぱりした、頼り甲斐のある声に励まされながら、尚も続ける。
「それでも、俺はやっぱり感謝してるよ。あんたがいなければ、俺はとっくに行き詰まって投げ出してるか、もしくは叩き出されてるだろうな。」
それは宗一郎の偽らざる本音だった。警備や偵察、発電所の奪還計画だけでなく、物資の管理や分配から学園内の秩序維持といった学園内のことまで、あらゆることに関して彼女と彼女のキメラ部隊は八面六臂の活躍をしてくれていたし、それは裏を返せば、他に信頼できる相手がいないということでもあった。警備隊は千人を超える規模になり、人手はそれなりにあったが、まさにその規模ゆえに結束力は低く、宗一郎の指示も届きにくかったため、監督役や指導役としてもキメラが必要だった。
そういうこと以上に悩ましかったのは警備隊が反抗する可能性で、ゆるやかなボランティア組織という色彩が色濃いこの組織がどの程度の指示まで受け入れるのか…そもそも、構成員が宗一郎の指示をどう思っているのか…ということは答えの出ない悩みだった。結局、宗一郎は常に過剰なくらいの配慮を示して、決して強制と取られるような指示は出さなかった。発電所奪還に向けた遠征隊を組織している今も、それは変わらなかった。参加はあくまで志願者のみ。しかし、大勢のジキがうろついている外に出たがる者は少なく、最初の募集に手を挙げたのは三十名程度。それから何度も募集をかけ、悩んでいる者には個別に宗一郎や来栖が説得に当たり、何とか目標の百人が揃いつつあった。
「例えそうだとしても。」そういう宗一郎の事情を何もかも理解しているような顔で来栖が言う。「あんたが懸命に頑張ってきたってことも、私は知ってるよ。私一人でも、何も出来なかったと思う。だから、そう思ってもらえるのは嬉しいし、これからだってそうするよ。」
その言葉に、宗一郎は不意に泣きそうになって、顔を見られまいと思わず俯いた。会長などというよく分からない名前で呼ばれるようになって、怒られたり批判されたり苦情を言われることは数え切れないほどあっても、褒められることは数えるほどだった。だからこそ、いちばん身近な、最も長く宗一郎と共にいた彼女からそういう言葉をかけられることは、何物にも代えがたい喜びと自信になったのだ。
少しの間、俯いて涙をこらえてから、顔を上げて平静を装う。取り留めのない言葉を二言三言交わし、そういう時間に安らぎと楽しさを覚えている自分を見つけて、宗一郎は今度こそはっきりと、目の前の彼女が精神的にも自分の支えになっていることを自覚した。何となく気恥ずかしくなって、お茶を淹れようと立ち上がった時、ドアが開く音がした。
「お疲れ。そっちは順調かね?」
飄々とした、それでいてどこか妖艶な声でそう言って部屋に入ってきたのは水島先生だった。先生に続いて二人の男子学生が入ってきて、部屋の空きスペースに慎重な手付きで数点の工作品を置いてから出て行った。
「見れば分かるだろうが、工学部の連中が試作してくれた武器だよ。この短期間で作ったにしては、なかなかのものだよ。」
先生がそう言って指し示したのは、斧と強化バット、物干し竿のような長い棒、クロスボウ、それにダガーナイフで、些か頼りないこの5点セットが、発電所奪還作戦に向けた決戦兵器だった。先生には、これまでに得たジキに関する知見をもとに、工学部と協力して武器を作ることを頼んでいて、これがその成果というわけだった。一点一点指し示しながら、先生はそれぞれの説明をする。
「まずこの斧とバット、それに物干し竿がキメラ以外の隊員用の主力となる武器だ。ジキは腕力は強いが走れないし、足元も覚束ない。そこで、相手が少数の場合はこの竿で転倒させて、斧で首を落とす。いかにジキと言えど、首を切り落とされれば死ぬからな。だが実際には、そういう余裕のある戦いが出来ない場合も多いだろう。突然出くわしたり、相手が大勢だったり。そういう場合には、この強化バットの出番だ。ジキの頭を潰せれば理想だが、それが無理でも、激しい打撃を与えればしばらくは動けなくなる。」
物騒な単語が飛び交うその説明を、宗一郎と来栖は特に驚くこともなく聞いている。ジキと戦う時は、キメラ以外は数人がかりで袋叩きにするというのが共通認識になっていて、先生もそれを前提に武器を開発したようだった。先生の説明は尚も続く。
「近接戦闘が基本だが、飛び道具も有った方がいいだろうということで、クロスボウも作ってみた。扱いが難しいが、なかなかの威力だよ。」
「やはり銃は難しいですか?」
武器と聞いて真っ先に思い浮かぶその単語を口にすると、先生は肩を竦めて答える。
「銃自体は、難しいが時間をかければ何とかなるそうだ。問題は弾薬、特に火薬だな。工学部に実験用のものが少量あるらしいが、とても実戦に使えるほどの量じゃない。」
それを聞いて、宗一郎は落胆しつつも納得する。結局、自分達は中世の武士と大差ない武装で戦わざるを得ないのだ。最先端の技術が有っても、資材の不足でこんなものしか用意出来ないと思うと、何とも言えない惨めな気持ちだった。
「まあ、そんな顔をするものでは無いよ。クロスボウは音も小さいし、なかなか良い武器だ。さて、佳奈、これが君達のための武器だよ。」
「ダガーナイフですか?」
目の前に差し出された数本の刃物を前に不思議そうな声でそう尋ねた来栖に対して、先生は頷きながら答えた。
「ジキの一番の弱点は首だからね。切り落とさずとも、けい動脈を切断すればさすがに死ぬ。普通の人間は、噛まれる恐れもあるしこんなものは使えないが、君達には斧よりこちらの方が使い易いだろう。」
結局、一般人はもちろんキメラにとっても、ジキを打ち倒す現実的な方法は首を切り落とすことだけのようだ。ふしぎの国のアリスのハートの女王みたいだな、と内心でごちる。まあ、あの女王は本当は誰の首も切り落とせないのだけれど。
「確かに、そうかもしれませんね。ともかく、色々試してみます。ありがとうございます。」
慎重にそう言って軽く頭を下げた来栖に「それがいいだろうね」と答えてから、先生はため息を吐いてから続けた。
「他にも臭い玉やICレコーダーも用意した。色々揃えてみたが、何千何万というジキの大群に出くわしたら、はっきり言って万事休すだ。爆撃機やミサイルはおろか、銃も大砲も無い我々には、軍隊の真似事は出来ないんだよ。」
それは重い言葉だった。何万という兵士を持ち、巨大な破壊力を持つ様々な兵器を駆使する巨大な軍隊組織なら、何千何万というジキを掃滅することも可能だろう。だが、この大学にある戦力では、数百名程度の比較的小規模なジキの集団と戦えるかも怪しいものだった。この大学だって、都市部から離れていてジキの集団が来ないから辛うじて防衛出来ているのだ。
ジキの大集団と正面からぶつからないように警戒すること…あるいは、ジキの大集団がこの大学に向かって歩き始めないように祈ること…だけが生き延びる道だと思うと、改めて暗澹とした気持ちになってくる。そんな自分達が貧弱な装備で外征に出るというのだから、これは悲壮な英雄譚というより誇大妄想狂を描いたコメディに属する話なのかもしれないな、と宗一郎は自嘲気味に胸の中で呟いた。
先生に武器の量産に取り掛かるよう頼み、他に幾つかの細々とした点について話し合ってから、再び二人きりになった部屋で宗一郎は来栖に向けてポツリと言った。
「発電所奪還に向かうのは、全部合わせて150人近いだろう。そのうち、何人が無事に生きて帰ってこれるかな。」
唐突に発せられたそんな悲観的で不吉な言葉にも、彼女は特に驚いた様子は見せなかった。残酷な現実に慣れたのか、あるいは宗一郎のそういう物言いに慣れたのか。両方かな、と思っていると、彼女の意思の強い凛とした声が耳に響いた。
「一人も噛まれないのが理想だけど、本音を言うとそれは難しいとは思う。」でも、と言って彼女は続ける。「噛まれた人には、必ず私の血を打つよ。誰もジキになんてならせない。必ず、全員で、生きて戻って来る。」
その力強い言葉に、宗一郎の心は少しだけ軽くなる。
「あんたがそう言うなら、そうなんだろう。」
最大限の信頼を込めてそんなことを言ってから、少し目を細めて、心の底から言う。
「あんたには、感謝してるよ。」
「突然どうしたの、気持ち悪い。」
本当に気持ち悪そうに顔をしかめてそう言った来栖の様子に苦笑しながら、ずっと感じてきたことを口にする。
「あんたがいなければ、何一つ前に進められないからな。ここの秩序の維持、日々の警備、今度のことだって。俺の思いつきに付き合ってくれて、本当に感謝してる。」
少し気恥ずかしくなりながらも素直に礼を言うと、来栖は珍しく困ったような曖昧な笑みを浮かべてから、少しの間の後で言葉を選びながら言った。
「本当のことを言えば、私も別に何かはっきりした考えがあってここまでやってきたわけじゃないよ。私は最初にキメラになったし、それから色んなことが起こって、ともかく必死に走り続けてきただけだと思う。それが正しかったのか、今でも分からないよ。」
そこで彼女は一旦言葉を切ったが、まだ話したいことがあるように感じて黙っていると、ぽつりぽつりと言った。
「最初にジキを倒した時のことを、まだはっきり覚えてるよ。まだ若い女の人だった。私はジキを倒してるんだって必死で思い込んだけど、でも私は結局、人殺しなのかもしれない。誰が何を言ってもね。たぶん、みんな、これからずっと…」
そう言って来栖は言葉を濁した。東京の政府は機能を喪失する直前、ジキの襲撃を受けた場合に反撃することは、緊急時における正当防衛にあたるとして法的に免責すると明言していた。だからこそ、この大学でもジキに反撃する機運が生まれたのだけど、だからと言って心の葛藤が全て無くなるわけもない。何を言っても彼女を傷つけそうな気がして、宗一郎はしばらく悩んでから、ようやく迷いながら言った。
「いまここで俺が、それは間違ってないって言っても、あんたはきっと誤魔化しって感じると思う。だけど、一つだけはっきり言えるのは、あんたがそういう決断をしてくれたおかげで、俺は助けられた。俺一人じゃない、この大学の全ての人間がだ。そのことに感謝してるし、尊敬もしてる。それは分かって欲しい。」
迷いながら言った宗一郎の言葉を聞いて、来栖はしばらく俯きながら考え込んでいた。息苦しさを感じながら身じろぎもせず待っていると、来栖がゆっくりと顔を上げた。その表情は、寂しげだがすっきりとしている。
「ありがとう。突然変なこと言ってごめん。ただ、ずっと引っかかってたことだから。話せて少しすっきりした。まだ答えは分からないけど。」
最後の言葉に、宗一郎は心の底から同意する。生き残るためのルールと自分達の中の価値観がすっかり矛盾してしまった世界で、何が正しく、何が間違っているのか。それは宗一郎にも全く分からない。今日正しいと思えたことも、明日には違っているのかもしれない。それを探し求め、考え続けることが、あるいはこんな世界で生き続ける目的になるのかもしれない。けれどその考えは口にせず、別の、もっと当たり障りの無い言葉を口にした。
「まあ、また何かあったら気軽に言ってくれ。愚痴でも悩みでもな。人に話すだけで、精神的な負担が軽くなると言うし。」
まっとうだが面白味の無い言葉に、来栖は無表情に頷いて、それから二人とも仕事に戻った。
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