表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
体温。  作者: 雪田
本編
12/57

 挿話 ― 秘密。 ―

 二年生になった春。

 初めて教室に入ったとき、見知った顔を探してぐるりと教室を見回した。

 ふと、廊下側の一番後ろの席で、目が止まった。

 身体のサイズに比べて、その存在感は絶大だった。

 クラスの中でたった一人、違う形の制服を着ている。

 清潔な印象は校則に従ったもので、けして派手ではなくて。

 けれど、まっすぐに伸びた髪が、控えめな態度を打ち消して、強烈に主張していた。

 柳原はとても女の子らしい、女の子だった。



 クラスの中で女子が一人きり、なんて状況を想像してみて、同情した。

 特に、柳原みたいな女の子には、きついだろうな、と。

 てっきりすぐに、学校のほうから何かの措置がとられるだろうと思っていた。

 でも、今の今までそれらしいことが行われた様子はない。 

 当の柳原本人が、一言も不満を漏らさなかったせいだった。

 意外だった。

 柳原はあまり社交的なほうではないように見えた。

 でも、誰と言わず話し掛けられれば気さくに応じていたし、なんとかクラスの中に溶け込もう、と努力しているのが伝わってきた。

 クラスメイトと楽しそうに談笑する姿を見て、また少し、柳原への印象が変わった。

 


「あれじゃ、勘違い野郎が増えるだろうな」


 あるときぽつりと赤井が吐いた。

 その言葉を否定する気にはなれなかった。

 中間テストの頃になって、誰々が柳原に告白した、と言うような噂を耳にするようになった。

 そのほとんどは、赤井の口から聞かされたのだけど。

 どこから仕入れて来るのか、赤井は誰よりも早く、そういう類の情報を掴んでいた。

 実は当の本人よりも早いんじゃないか、と思うこともあるくらいで。

 いつのまにか、赤井にもたらされた情報をもとに、柳原を目で追いかけるようになっていた。

 告白の返事はすべてノーだった。赤井から聞いた内では。

 そのたびに、柳原は自分を責めているように見えた。

 おびえや恐怖、困惑といったものを、態度から感じ取れるようになったのも、ちょうどこの頃からだった。


「いっそのこと、適当に誰かと付き合っちゃえばいいのにな」


 その言葉も否定する気にはなれなかった。

 けれど、適当、というのは柳原には難しいんだろうなと、ぼんやり思った。


 



 音もたてずに、柳原が寝返りをうった。

 窓側に向き直した顔に、まともに太陽光線が当たっている。目頭のあたりにうっすらと光るものが見えた。

 灰谷は音を立てないように席を立ち、カーテンを閉めた。シャっと軽い音が図書室内に響いた。


(そういえば、よく寝返りをうつような……)


 と思って、灰谷は小さく笑った。

 ただのクラスメイトにそんなことを思われては、彼女も心外だろう。


 柳原は弱っていたから。

 伸ばされた手をろくに選ぶ余裕もなく、掴んだだけで。

 そんな特別なことを思う資格が、自分にあるとはとても思えなかった。

 少なくとも、ここにあるのは、柳原が望むような純粋な気持ちじゃなかった。

 また、瀬名が期待してくれたような無償の、ボランティア精神でもなくて。

 赤井が言っていた、責任をとるというものとも違った。

 手を貸してほしいと言われて、そうした。


 あのとき、保健室で。

 柳原はこんな風に寝返りをうった。

 額にのせたままにしていた手に、流れた髪がはらはらと降り掛かった。


(……寝た、のかな)


 ときどき乱れて、ときどき穏やかになる。

 覗き込むようにして、その呼吸に耳をすました。

 本当に眠っているようだった。これで少しは楽になれるかもしれない。

 そう確認してから、ゆっくり手を離そうとした。そっと、気付かれないように。

 そのとき不意打ちで、柳原がまた一つ、寝返りをうった。


「ん……」


 ごろんと、仰向けの、元の位置に戻って、また眠り始める。

 胸のあたりまで引き上げられた白いシーツが、上下を繰り返していた。

 ときどき乱れて、ときどき穏やかになる。

 動いた拍子に、顔を覆うようにした髪のその端を、口が食べてしまっていた。

 少し考えてから、その髪をどけようと、手を動かした。

 指先が、常温よりも高い、少し汗ばんだ温度をかすめた。

 一瞬、手のひらに残っていた熱に全身が包まれたような気がした。


 頭で思うよりも先に、手が動いていた。

 そっと、上気する頬に触れた。

 顔のラインにそって、何本かの指で曲線を描くようにして、そして、たどりついた。

 柔らかく親指の先で、唇に触れた。

 カサカサとしていて、水分が足りていなかった。

 熱かった。

 もっと、という強い欲求は、柳原の手によって捕まった。

 瞬間ぶわっと体中から汗が噴き出すのを感じた。



「……なにやってんだ、オレ」



 呆然と、声にした。

 自分でもびっくりするくらい、驚いた。

 信じられない気持ちと一緒に、手を引く。

 すぐにここから立ち去ろうとして、かなわないことを知った。

 ずっと強い力で、手を握られていて。

 おとなしく背もたれに体重を預けて、キィと椅子を鳴らすのが精一杯だった。


 


 灰谷は机の上に置いておいた文庫本を手にとって、適当なページを開いて指を挟んだ。

 カムフラージュだった。今、柳原が目覚めたときの、言い訳にするために。

 見慣れたように錯覚する寝顔を見ながら、灰谷は思う。

 柳原を助けてやりたい。

 今はその気持ちだけでいい。

 おびえて、怖がらせることのないように。

 傷つけて、泣かせることのないようにしたかった。


 でも。

 そのまさかいきなりで、泣かせてしまった。

 灰谷は素直に驚いて、すぐに後悔した。言わなければよかった、と。

 少し遅れて、柳原の手が触れてくるまで。

 あのときよりもずっと冷えた体温を感じて、この手を裏切りたくない、と思った。


 けして、気づかれることのないように。

 こんなあさましい気持ちは、ずっと底のほうに隠しておく。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ