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ここ数日、暦の様子がおかしいというのは仲間内で言われていたことだった。
まともに授業内容を聞く人間なんてほぼ居ない教室で一人真面目にノートをとり、放課後は溜まり場に寄ること無く何処かに消える。暦の昼寝スポットに行っても誰も居ない。
「ぜってえオンナだってー!」
「いやいや、新必殺技の研究とかかも!」
「なんだその少年漫画は」
「別のチームか何かに勧誘とかされてんのかな」
「あいつに限って、それはねえっしょー!」
やいのやいのと皆が好き勝手に憶測する。皆のリーダー格である兵藤日和は、綺麗に染め上げた金色の髪をガシガシと乱暴にかきあげた。
「ああーめんどくせー、おい遼太郎、なんか知らねえの?お前んちにいつも泊まってんだろ?」
「うーん…
最近家帰るとさ、先に寝ちゃってんの。まだ10時だっつうのに気持ち良さそうにさぁ!
起きるともう居ねえの!はやねはやおきっつうの?
あと最近すげえ体格良くなってきてるよ!ムキムキまっちょめん!」
「なんだそりゃ」
「ほら、なんかやっぱり必殺技研究だって!
体作りしてんだよ!」
「あたしが後付けて様子見てこようか?」
不良高校である鷹高は一応共学だ。
少ないものの女子生徒も存在しており、兵藤たちのグループの中にも女子がいる。それが彼女、江崎紅緒である。
明るい茶髪に染め上げた柔らかい長い髪の毛に、長い睫毛とパッチリとした目。平均よりすこし背が低く、美少女と呼ぶにふさわしい彼女は、外見とは裏腹に口より先に(手足どころか)バットやらカッターやらが出る凶暴な性格をしており、女だてらに幹部をはっている。
一時期、暦と付き合っていた彼女は暦の行動パターンを他のメンバーよりは詳しく知っている。
「…じゃあ、頼む。」
紅緒は次の日久しぶりに教室に入り、斜め前の席に座る暦を観察しはじめた。
姿勢はしゃんとしていて、いつからこの男はこんな真面目になったのかと首をかしげた。ノートもしっかりととっていて、紅緒の席からちらりと見えた教科書には付箋やアンダーライン、書き込みがされているのが見える。ガリ勉じゃんと紅緒はそれをせせら笑う。
そんな紅緒を余所に、暦は授業が終わりいそいそと出て行く教師を呼び止め、授業内容について質問をしたりしていた。
最初は暦の変化を少し馬鹿にして笑っていた紅緒だったが、だんだんとイライラとしてきた。自分の知らない彼と、彼を変えた存在に暗い感情が沸き上がる。
暦は放課後になると、スッと校舎を出ていった。紅緒はそれを付ける。
暦はたまに後ろを振り返ったり周りを確認したりしている。
何か見られたくないことなのだろうか。恋人か?それとも裏切りか?恋人だったらどんな女だろうか。とうの昔に別れたというのに、嫉妬している自分に気付き紅緒は慌てた。
暦が小さな公園に入っていたのが見えた。
公園は遊具と言える遊具など殆どなく、あるのはベンチと木々くらいの小さな公園だ。ちゃんと管理されていないのか、木々は鬱蒼と茂っていて薄暗い。ポカポカと暖かい所で昼寝するのが好きな暦の好みとはかけ離れているように思う。
外から茂みに隠れて、公園の中の様子を伺った。
「よろしくお願いします!」
「おう。今日もよろしく。
じゃあいつも通り柔軟体操しっかりしてから、ランニング、腹筋、スクワット、素振り。怪我だけはしねえようにな。
あとよ、あすこにいるお嬢さんどうすンだィ?」
「は?」
「ッ!」
バレていたようだ。
植え込みから怖ず怖ずと紅緒が顔を出す。それを見て、暦が血相を変えた。
「紅緒!?なんでお前居んだよ、」
「だって!最近暦、付き合い悪いし…」
「はあ…だから付けて来たのか?」
「だ、だって何してるか隠してるみたいだったしさぁ!気になるじゃん!」
暦は鴇について、仲間内に秘密にしていた。
教えたく無かったのだ。
どうせ教えたら面白がって付いてきて邪魔してくるだろうと思ったし、馬鹿にされると思った。自分が何か言われても我慢できるが、鴇のことを言われたらおそらく我慢できないだろう。
「なんでい、お前友達に教えてなかったのかィ?」
「教えることでも無いじゃないですか…」
二人の力関係は見ていればすぐわかる。紅緒は、『暦はこの男に付いたのだ』と思った。
暦は鴇に『弟子入り』して、自分の勉強への姿勢や放り投げた剣道について考え直した。人への接し方も変わってきている。あんなに憎かった家族も、苦手意識はまだまだ抜けないものの、そこまで強い拒絶を示していない。
暦の反抗期は終わりを告げようとしているのだ。
それは紅緒たちにとって、仲間が一人減ることを意味している。そうで無くても、あの誰に対しても生意気な態度を取っていた暦が、敬語を使っているのだ。
「裏切り者!」
怒鳴ると紅緒は思い切り暦の頬をビンタして、公園を出た。
暦は分けも分からずぽかんとしている。それを見て鴇は笑い出した。
「はははははっ!
お前その顔おもしれえなあ!」
「鴇さんって結構笑い上戸ですよね…
って、そうじゃなくて!なんで俺引っ叩かれたか意味分からねえんすけど!」
叩かれた頬を撫でながら、眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「暦、お前さんはあの子とどういう関係なんだ?」
「元カノで、今はダチです。
不良仲間っつうか…同じ学校なんすけど。」
「へぇ~恋人だったのかい。可愛いコじゃねえか。
あー……あれじゃねえか?お前は仲間辞めて、オレに付いたって勘違いしたんじゃねえか?」
「ありうる…」
暦は項垂れた。
激情家で怒りっぽく、一度思い込んだらずっと勘違いし続けるような彼女だ。これは説明するのに骨が折れそうだ。
「今日は店じまいだ。あのコのこと追いかけな」
はい、と応えて暦は走って公園を出て行った。
鴇は暦の後ろ姿を見ながらまた笑った。
「クスッ
…似てるなあ俺の若い頃に。」
そういえばあの娘は豊子にどことなく似ているような気もすると思うと、
また少し笑えて来る。
妻の豊子は若い頃お転婆で口より先に手が出るような娘だった。鴇はなぜ怒られているのか分からず、取りあえず謝っていたこともあったが、鴇の考えていることがわかるのか、豊子は決まって「なんで怒ってるか分かってないくせに謝るな」と怒り、向こう脛を蹴り付けたり、鳩尾あたりを狙って突きを食らわしてきた。
鴇が紅緒を説き伏せることも、暦を助けてやることもできるが、喧嘩というのは出来るだけ当事者同士で解決しなければ、後に引きずる。
「がんばれよ?」
誰も居ない公園でぽつりと呟くと、鼻歌を歌いながら鴇も公園を出て、のんびりと歩いて暦たちを追う。